16救済
抜苦与楽による
直接的利他行による救済
これ以外の
間接的利他行は
利他行たり得るか
直接的利他行は
選択自由である
解説要約)
仏教においては
悟りと
救済を
問題とする
どちらに重心を置くか
その軽重は
多様である
悟りと救済の
根拠は異なる
解説)
お釈迦さまは
悟りを得た
では救済はどうか
梵天勧請により
説法を開始した
これは教による
出家者救済である
だがこの説法という教は
お釈迦さまの選択自由である
梵天勧請を拒絶する
選択もあったのである
大乗仏教は
この救済を拡大させ
在家の衆生救済を
掲げた
教としての
救済か
抜苦与楽による
直接的利他行による救済か
己の苦は
己だけでなく
他者も共有する苦である
他者の苦を共感するとき
己は他者に対し
慈悲(苦の根源を教として)を発し
先導者となる
だが
本来的に
抜苦与楽による
直接的利他行による救済以外の
間接的利他行に
救済の力は
あるか
さて
悟りは存在
そのものに実在的に
根差している
無明が人間にとって
根源的生命力としての渇愛としてあり
渇愛は愛欲(カーマ)として発現し
生死に駆り立てる
この現実を実感することから
始まり
そして終わる
悟りの先は
それ以前と何も変わらない
変わらぬ生活
だが全く違うともいえる
異なる心身
これから先
慈悲という選択が
訪れる
梵天勧請である
慈悲という思念による
間接的利他行から
教へ
だが救済の根拠である
慈悲には実在的根拠はない
実存的な
選択自由の内に
ある
選択を拒絶すれば
悟りの境涯に
生き、そして死ぬ
救済を選択すれば
教となり
時に抜苦与楽の
直接的利他行へ向かう
済世利人(さいせりにん)となり
密厳国土(みつごんこくど)となる
その選択は持続され続けられねば
その世界は廃壊(はいえ)する
まさに梵天の危惧したように
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