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沈黙の天秤

愛は永遠、愛は無限、愛は永久。

愛は神である、神の心であり赦しそのもの、自由であり命であり、全ては愛に始まり愛に終わる。平和であり幸福であり、人々が求め続けてきた人類の全て。

愛の言葉を汚したのは、それを拝金主義のプロパガンダに使ってきたカルト宗教、組織、団体、集団。それは神を冒涜したのと同じ、人間の教祖になど神は導きの光など与えない。言葉などくれない、気づきなどもたらさない。


愛を皮肉り、揶揄し、馬鹿にし、見下し、こけ下ろす。憎しみ怒り、妬み、嫉み、愛を平然と泥沼に投げ捨てる。それは神の心である、それを生ゴミを捨てるかのように廃棄してきた、多くの人々は愛を投げ棄てた。

金銭欲に溺れ、物欲に惑わされ、色欲に溺れた。何を言っても耳がない、心にも届かない、愛を溢れされる聖杯がない、空っぽの器。混沌とした心、その坩堝から出るものは真っ黒に焼け焦げた欲望のみ。

愛を枯渇させる、三位一体の聖杯を消滅させる。その沈黙の天秤を忘れ去る。


沈黙の天秤とは、三種の神器であり、契約の箱であり、太陽と月と地球、父と子と母。

愛を沈黙させる、その心の中にある天秤を錆びさせる。どんなに言葉を尽くしても、多くの人の、その天秤は沈黙したまま、心に女神がいない、それを使う女神がいない。


三位一体は動かない、天秤はくすみ、錆びて動かなくなる。愛が溢れる聖杯は枯渇する、愛を沈黙させる、始まりである言葉を沈黙させる、生み出す愛を沈黙させる、だから神は沈黙をする、神の沈黙は愛である。


孤独な天秤は、乙女座の横で、宇宙の風に吹かれ、ただ虚しき金属音を奏で続ける。それが52ヘルツとなり、たった1人で見えない女神を探し続け、何度も何度も呼び続ける、いつまでも、いつまでもずっと、周波数の違う音を奏でながら女神へ呼びかける。


なぜ神は沈黙するのか…、それは人々が自ら愛を沈黙させるから。愛は生み出す力、始まりであり誕生であり創世、それは神の言葉であり救いの言葉でもある、赦しであり優しさであり思いやり、暖かさと温もり、太陽の光を浴びた時の心地良さをくれる、尊いもの。


人間の哲学や科学、思想主義など及ばないもの、それが愛。


リバタリアニズム、トランスヒューマニズムなど神の足下にも及ばない。人類の自惚れはバビロンを招く、どれだけ科学を発展させても、技術を培っても神どころか、天使にも及ばない。

適当な言葉の羅列で人々を洗脳するニューエイジを気どっても神にはなれない、人間は神ではない、天使でもない、我々は愛である、神が創造した愛の結晶。アダムとイブであり、三位一体の聖杯でもある。


ただ、そこにある今は、とても幸せな願いとなり夢となる。

側にいるだけで幸せで、オーロラの中に漂う我が身のように、他にはない特別な感情。幸福は真実なる愛にあり、いつまでも続いてほしい時を願い、叶わぬ想いを願い続ける。

夢から覚めても、共にいた時間を想いながら天を仰ぐ。そこへ行きたい、女神の元へ、今すぐにでも、永久に共にありたい。



天を見上げ、52ヘルツの音を奏で、目を閉じて虚しき時のワルツを踊り続ける、沈黙のイナンナは女神へ捧げる愛のセレナーデ。


この世界でたった1人、孤独でもかまわない、女神だけを思い続ける、永久に。

孤独な沈黙の天秤となり、愛を生み出す。







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