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全てマルクス主義、プロレタリアートの社会経済と政治独裁。ありのままで生きること、それが正しい

最近、玄米から白米に変えてから、何か身体の調子が悪い。体調は悪くなるし、吹き出物が増えてなんか老けたような感じする。逆流症みたいなのもあるし、何より便通が悪い。玄米をやめただけでこんな不調になるのかって、そう思った、やはり玄米に戻そう。


日本の保守右翼と自称する芸能人や有名人、政治家の人達は、殆んど統一教会系だと思う。何故ならそういった人達は統一教会について触れようとしないし、そのくせ西側陰謀論プロパガンダには便乗しマスメディアをこけ下ろし、統一教会、他カルトが担ぎ上げるトランプ支持をする。

この擬態と成り済まし、偽旗作戦のやり方そのものが分割統治のやり方そのもので、洗脳やマインドコントロール、サブリミナル、プロパガンダ、心理操作、群衆心理操作、ダブルスタンダードに情報操作、コミンテルンとはそういったやり方で人を支配する。

だから本当の事を言う自分はそういった人達にとっては不都合な人物となる。いくらこんな事を話しても誰も信じないだろう、半信半疑になる気持ちも解る。まさかそんなことはあるかと、誰しも思うはず。

しかし自分の内容を見るような人は、少なからずとも陰謀論に興味がある人だと思うので、それを疑い無視するなら陰謀論すら信じる必要はないと思う。

グローバリスト、ユダヤ陰謀論やディープステート、西側陰謀論プロパガンダを信じるが、この話を疑うならその人は相当深い洗脳状態と断定できる。

なぜ自分がコミンテルンと特定してるかと言うと、マルクス主義はフリーメイソンの思想主義であり、そこから派生したのが今ある様々な主義思想であり、元を辿れば全部同じものからの派生だと解る。

それなら第一インターナショナル、第二インターナショナル、第三インターナショナルとなるコミンテルンが最終的な主義だと判断した。コミンテルンはソ連と共に無くなったと認識している人ばかりだが、無くなってはいない。その思想主義は今でもしっかり継承されてるし、中国もロシアも北朝鮮も今でもそのイデオロギーをしっかりと継承している。

要するに右も左もみんなマルクス主義の革命運動であり、アメリカの赤と青の政治ですらネオコン思想のボルシェビキマルクスレーニン主義となるトロツキズム、それどころか、ありとあらゆる主義の全てはそこからの派生になるので、全てがマルクス主義でありその基本が自由、平等、友愛結社のフリーメイソン思想主義になる。

その秘密結社の始まりは石工職人で、それがそもそも旧支配階級に仕掛けた労働者階級の革命そのものであり、プロレタリアートによる政治と経済の独裁思想主義が社会主義となった、やがてそれは今後達成される新しい世界秩序、新共産主義の完成形となる。

バクーニン主義によるマルクス主義への反発、その対立構造の理由となるユダヤ陰謀論はそれより以前からあったもので、そのフリーメイソンの共産主義に反発していたのがイルミナティのアナーキスト社会主義革命。

結局はどちらに転んでも行き着く先は同じ。必ず特権階級は誕生し、頂点の王族、皇族、富豪の支配が無くなる事はない。




俺はね、昔からみんなと同じ、は嫌だった。違う自分でいたかった、特別になりたいとかじゃない、何て言うかそうでなくてはいけないとする固定概念をぶち壊したかった。

学んだ通りの歴史なんかそっくりそのまま語らないし、社会とか何だとかは自分の身体で体験して知ろうとしてきた。その結果どれだけ世の中がおかしいのか、人々がみんなパターン化して、ロボット、まさにNPC(ノンプレイヤーキャラクター)、みたいになってるのを感じた。それが本当に嫌だった。


結局はアナーキストって言っても自由でも何でもない、不自由な鎖に縛られてる。これが正しいなんて誰かに植えつけられたら、もうその時点で鎖になってしまう。

そんな気持ちを持つ自分らしさを忘れていたかな、いくつになっても自分は自分でしかなくて、やっぱり普通や当たり前には属せない。俗世間、俗世間か…、その他大勢としてそこで生きるのは嫌だ。


33日間の断食瞑想をやってる時、なんか自由を感じたな。1日1個のチョコレートで空腹を満たして、まるでサバイバル生活してるみたいなギリギリな状態だった。食べ物を買うお金が無いとかそういうんじゃなくて、最初は、不思議な感情と、歯の痛みが原因だった。歯が痛くて首も痛い、なんか何も食べる気もしない、それと恋煩いに似た胸の苦しみのような不思議な感覚があったからだった。


別に何かを悟ろうとか、特別な何かになろうとしたわけじゃないし、今も何かになろうとしてるわけじゃない。現状の生活にさほど不満もないし、今を楽しく生きられるならそれだけで幸せを感じる。

友達や仲間を作ると、何だか面倒くさくなる。気を使い、そこに属さなきゃいけない、意見が食い違うとケンカ、仲間割れ、そんな事をするのがつまらない。だから人間は必ず嘘をつくし、欺く、裏切る、それを充分に解ってる。人間を信じるのではなく、その人の心の中にある神の心、愛を信じる。


どんな人でも、芸能人だろうが有名人だろうが、インフルエンサーだろうが政治家だろうが、ユーチューバーだろうが、スピリチュアリストだろうがニューエイジだろうが。みんな、お金のためなら嘘をつく、言い訳や欺きをする、そして裏切る、必ず。

でも恋や愛は嘘をつかない。本気の恋をしてる時は、誰しも自分が誠実でありたいと願う、そうなろうとする、こうなれないと逆にやさぐれて、恋をした相手を攻撃してしまう。諦めと破壊衝動にかられて、何もかも終わりにしたいと思ってしまう。

しかし終わりがあれば始まりがある、捨てる神があれば拾う神あり。物事ってのはそういうもの、いつまでも始まりのままなら終わりがない、恋のままなら愛は得られない。


キリストは12人の弟子と共に、13人から始まり20の生命を越えて21を超えて、33歳でロンギヌスの槍で貫かれ、処刑されこの世を去る。そして3日後に復活

自分は、始まりのまま、ずっと終わりが来ない旅をする、終わりが来ないから始まりのまま。13の始まりのまま、捨てられないものが33の終わりに向かえない原因になる。

終わりは待ち続けるが、13は始まりのまま。


ありの、ままの、姿見せるのよ~🎵

ありのままの~自分になるの~🎵

なぁにも~怖くない~♪風よ~吹け~🎵

少しも寒くないわ…

か…



自由ってのは何なのかな。


自由も、不自由の終わりへと向かわなければ本当の自由など得られないのかもしれない。


本当のアナーキーは、全てにおいて無秩序であり、自由と不自由を自己責任で背負わなければならない。アナーキストになればそこには他者に縛られた不自由がある。

政府と呼ぶ不自由があるから自由がある、これが本質であり、物事はやはり何かを得る代わりに何かを失う、自由を失う代わりに自由を得るんだと思う。

後々に我々の世界の普通や当たり前になる、ベーシックインカムは今と同じで不自由を強いられる代わりに自由を得られる。

人間は何処まで行っても不自由であり自由、始まりであり終わり、自由だけでもいけないし、始まりだけでもいけない。


面接を受けるために馴染みのない街に行き、その会社の場所が解らなくて街をウロウロする、そうやってるうちに何だか楽しくなり、面接などそっちのけでゲームセンター入ったり、飲食店に入って美味しいもの食べて、適当な買い物して帰る。面接などどうでもいい、今の自分が大事だと思う、自分はそんな勝手なことばかりやってきた。

でも義務とか責任とか、宗派とか、主義とか、全て取っ払ってしまえば自由になれる。家族や友達、仲間は自分に不自由を強いる、だから嫌だった。1人が楽だった、心も何もかも自分で何とかすると思った。


だから思う、やっぱり何だかんだ言って、資本主義の限界は消費者の不足であり、世の中に物が溢れたらその社会システムの終わりが近いと言うこと。消費者がいないなら物は売れない、物が売れないから資本主義の、売れや買えや励めや繁栄しろや、その終わりが必ず来る。

破壊をするから再生があり、街を戦争で破壊するから再生の始まりがやって来る。仕方がない、それが資本主義社会の拝金主義。

残酷があるから至福がある。

これが、アダムとイブが神を信じずに蛇、ルシファーの言葉を信じた禁断の果実による善悪の知恵による呪縛、ウロボロス。

善悪二元論での終わらない争い、分断と対立、いつまでも終わらない始まりと終わり。

それを悪魔に支配させてしまった、我々の無限地獄、終わらない罪。それを終わらせてくれるのが最後の審判、魂の選別、過去と現在と未来における全ての魂は同時にある最後において、神とその使者による天と地の最後の審判が下される。

男がいるから女がいて、善があるから悪もあり、光があるなら闇もあり、悪魔がいるなら天使もいる、争いがあるから平和があり、破壊があるから再生がある。

天国があるなら地獄もある。

ありのままで生きること、それが神が我々に望んでいること。








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