リハビリ的生活



私はひとりが好きな人間だ。
誰の気を遣わずに済むし、急な気分変換にも自分だけなら誰の障害にもならない。
そして何より、何よりも一人はラク。ラクすぎて背中から翼が生えて飛んでいけそうなくらいの開放感。


だけど、ひとりでいる時間をある一定以上摂取してしまうと途端に危機感に陥る。
「これ以上ひとりでいてはいけない」という警告が私の中で発動する。

この警鈴が鳴ると、
LINEでいつもなら軽く流していた友達の誘いに敏感になったり、返信がマメになる。
同窓会やら飲み会の集合も、こういう時になると気が180度変わったように「参加」ボタンを押してしまう。




“なんで自分はひとりが好きなくせに、
ひとりでいることを避けようとするんだろう。”

自分のことながら、ずっと甚だ疑問だった。
海外ひとり旅も全然OKだし、一人カラオケもめっちゃ楽しい。考え事も、仕事もひとりでしている方が楽しいしラク。そして自由感。


でも、ひとりでいることに「居心地の良さ」を感じ始めた時、

「そろそろいつもと違う誰かと会って話さないと!」
「行ったことない〇〇へ、週末行ってみよう」
「あの著名人の来るイベント参加して話聞いてみよう」

などと、途端にスケジュールを埋め始めようと躍起になる。



そして久しぶりの誰かと会ったりして、
その人の近況だったり、仕事だったり、好きなことだったり、
色んな話を聞いたり話したりして、

その中で同時になんとなく自己と対比して、
「私の考え、生き方、ひとりよがりになっていないかな?」と確認しているのだ。


「〜〜〜〜と思うんだよね」みたいな話をしたとして、
その反応を見て、
あまりにも驚かれたり、
とても共感してもらったり、
それで、ひとりでいた/ひとりで考えていたことが、正常に伝わるものなのかどうか、自分だけ歩きしていないかどうか、大丈夫かな、私、みたいなそんな確認を多分しているんだと思う。


行ったことのない新しい場所へ行ってみて、
自分の居場所は既存の場所で本当にいいのかどうかとか、
新しい場所で新しい空気を吸うことで、
「ほら、こんな場所もあるし、こういう生き方もあるんだよ、知ってた?」とどこかで悟っているんだと思う。




だから、ひとりが好きだけど、
ひとりで居続けることができないのは

「自分よがりで生きてしまうんじゃないかという恐れ」、からなんだろう。


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もっと言うと、同じ人と一緒に居続けることも時々怖くなる。




でも現在、以前から遠距離してた好きな人と一緒に暮らし始めて早1年が経とうとしている。

この際だから惚気てしまうと、色々あって疲れるけど広い目でみるとめちゃくちゃ幸せである。朝起きた直後の好きな人の口臭が、小さい虫なら2〜3匹程度なら殺せてしまうくらいには臭いことも私は知ってしまった。もし一緒に暮らさなかったら、一生この事実を知らないままこの人に恋をしていたかもしれない。ねっ、私・・・し・・・幸せでしょう・・・・?(震え声)


恋人を取っ替え引っ替え出来るほど器用な人間じゃないし、まずモテないじゃねーか()そんな私だけど、

「同じ人と一緒に居続けること」も、先ほどの「ひとりで居続けること」と同じくらい、ある種恐ろしいのだ。




このままだと、この人と一緒にいることが「当たり前」とか「普通」と感じるようになってしまうんじゃないか。
でも所詮は「他人同士」。
当たり前とかないし、普通とかもない。


時代が変われば考え方も変わるし、
環境が変われば違和感を感じたり、いずれ順応したりと、私たちは日々変化のある環境で生きていかなきゃいけないし、色んな人と出会っていく。
そんな過程のなかで、いつこの関係が崩壊してもおかしくないし、むしろ一緒にいることが居心地がいいと長年思い続けてしまっているとしたら、それはそれで大丈夫なの?やばくない?と。


・何も自分は変わってない(成長していない)んじゃないか
・それとも相手に合わせて生きているだけなんじゃないか

そんな恐ろしさを感じたりもする。


自分も彼もお互いに自分の軸をしっかり持っていて
それに向かいながら、各々のフィールドの世界を生きながら、
でもやっぱり帰って来たい相手同士でいれるのなら、そんな関係が長く続くなら、こんな有り難いことはない。
でも未来なんて見えないから、綺麗ごとの世界なんて無いから、何が起こるかわからないから、
「今が当たり前だと思わないように」って時折ハッとしながら、噛み締めて生きるしかないなというのが自分の今。


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ひとりが大好きだけど、一人に固執し続けることも怖くて、
好きな人とずっと一緒にいたいと思うけど、それに慢性するのも怖いのだ。






だから適度に、他の人と会ったり、違う場所へ行くことを定例つけたりしていて、
誰かと一緒に過ごし続けることに慢性しないように、意識をしたりしている。


なんだろう、こんなことを思いながら生きている自分は、「なんだかリハビリをしているみたいだなあ」って。
麻痺しないようになんかして動かないと、なんだか怖い。怖いという意味はネガティブではない怖さで。



「わしの人生は安泰じゃ〜これからも永遠に!ひゃっふー!!!!」って安心して、生きている人っているのかな。

そもそも、私の人生に「安心」ってあったのかな。
こうすれば、「絶対」とかもないし、いつまでも続く「平穏」もないし、なかった。

何か「した!」
何か「できた!」
何か着実に進んでいる感じとか、何かを残した記録がないと、落ち着けない時があって、不安は募る。どんどん人生の終わりに向かっているのに、何も動いてない、有り余る体力を温存して生きているみたいだ。
noteに何か感じたことを書いたり残したりしているのは、そんな意味では自分を安心させるためでもある。いや、多分それがほとんどの動機かも。

他の人はどんな感じで日々を生きているんだろう。


今の私はリハビリみたいな動機で生きているのかなぁ。




おばけやゴキ●リよりも、
「怖いもの」はたくさん存在するんだな、っていう話でした!!(違う)

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