断片

頭と心の整理のために。

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記事一覧

A氏について

 高校時代の友人にA氏というのがいた。  私の通っていた中学から、その高校に進学したのは私一人だけで、他校からの知り合いもいないので、どう友達を作ろうかな、と迷っ…

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4日前
3

三文生活 九月初週

 八月最終日から伏せっている心を引き摺って、今週は旅行に出ていた。正確には旅行に出た日の夜から、心が寝込み始めたのだけれど。  ベトナムの建国記念日で、四連休と…

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5日前
3

正常に寂しく、正常につらい

 先日、この人とは関係を続けたいな、と思っていた人との繋がりが切れてしまった。いや、本当はまだ完全には切れてはいないのかもしれないけれど、あとひとつかふたつ、選…

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8日前
1

「立入禁止」になるまえに

 昨日、DIC川村記念美術館の休館のニュースを見て、いつでも行けると思っていた場所がもういけない場所になるのはいったい何度目だろうか、と思った。  子どもの頃、歳…

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2週間前
4

通じなかった「さようなら」

異国で馴染みの店ができた。 家族経営で、行くと、ささやかなサービスをしてくれる。 挨拶とお礼だけの心地良い場所。 ある夜、食後、店員さんがやってきて、なにか言い…

断片
2週間前
4

ゲイバーの扉を開けて

 八月の前半二週間ほど、日本に一時帰国をした。二、三ヶ月に一度世話になっていた高校時代からの友人の美容師Yに髪を切ってもらった折、せっかくの一時帰国だし、当時の…

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3週間前
3

誰のものでもない空間

 私の職場は、ハノイの一画のビルにある。同じ階には、まだテナントの入っていない区画があり、コンクリートが剥き出しの床が、その空間を他のオフィスや廊下から隔ててい…

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1か月前
3

絵の中の四季を散歩する

 昨年、九月の末である。東京メトロ半蔵門線清澄白河駅を出て、じっとりとした雨を降らせる灰色の空の下を歩き始めた。蒸し暑い空気の塊が身体にまとわりつき、歩を進める…

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2か月前
4

通過儀礼としての夢

 子供の頃、熱を出すと、必ず同じ夢を見た。  夢の中では、視界の全てが白黒で、一人称視点と、三人称視点が交互に映し出された。三人称視点で、自分を外から眺めると、…

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2か月前
3

祖母からのレッスン

 「後悔、先に立たず」などという言葉は誰もが当然のように知っている言い回しである。でも、この言葉を本当の意味で、実感を伴って理解することは、先に立たない後悔を経…

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3か月前
3

小さな構成要素の集合として

 試しに、時計という存在が消えた世界を想像してみる。はじめからその存在がなかったわけではなく、ある日突然、朝起きると、誰も時計というものを思い出せなくなっている…

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3か月前
7

朝ごはん

朝ごはんを一緒に食べる関係が、最も親しい関係だと思う。 昼ごはんは学校や職場で食べるし、夜ごはんも友人や同僚と食べられる。 でも、朝ごはんは夜の篩にかけられた親…

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3か月前
1

感情の器、あるいは鏡としての絵画

 高校生のときから、私は美術館に通い始めた。当初から美術自体には興味があったし、絵画や彫刻を眺めることは好きだったが、それ以前には意識的に美術館に足を運んだこと…

断片
4か月前
13

社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」

 小学校四、五年生頃までだったと思う。私は教師という存在に対して奇妙な勘違いをしていた。例えば、私のクラスで算数の授業が行われていたとする。その隣のクラスでも同…

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4か月前
3

三木成夫を読んだ記憶から

 人間の臓器の内で唯一、意思によってコントロールができる(ときにはしなければならない)ものが、肺である。旅立つ前の最後の晩餐、故郷の味をまだ充分に身体に蓄えてい…

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4か月前
2

着物、かくまってくれる友人、命綱

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着…

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4か月前
4
A氏について

A氏について

 高校時代の友人にA氏というのがいた。
 私の通っていた中学から、その高校に進学したのは私一人だけで、他校からの知り合いもいないので、どう友達を作ろうかな、と迷っている間にできた、たぶん、最初の友人である。なぜだかわからないけれど、本人に対しても、他の人との会話で彼の名前が出るときも、私は彼のことを「A」でも「A君」でもなく「A氏」と呼んでいた。クラスが同じだったこと、同じ部活に仮入部したこと、地

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三文生活 九月初週

三文生活 九月初週

 八月最終日から伏せっている心を引き摺って、今週は旅行に出ていた。正確には旅行に出た日の夜から、心が寝込み始めたのだけれど。

 ベトナムの建国記念日で、四連休となっていたので、ハノイから車で二時間ほどの場所にあるニンビンに行った。かつて都が置かれ、今ではいくつかの世界遺産がある。観光地になっているため、家族連れやカップル、友人グループがほとんどで、一人で来た私は余計につらくなった。

 観光の目

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正常に寂しく、正常につらい

正常に寂しく、正常につらい

 先日、この人とは関係を続けたいな、と思っていた人との繋がりが切れてしまった。いや、本当はまだ完全には切れてはいないのかもしれないけれど、あとひとつかふたつ、選択を間違えたら、たぶんもうプツンっと切れてしまう。
 こんなとき、いつもほつれ目を取り繕おうとして、幾度となく自分の手で人との繋がりがを切ってしまってきた。今度こそは、そうならないようにしよう、となるべくほつれ目をいじらないようにしているけ

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「立入禁止」になるまえに

「立入禁止」になるまえに

 昨日、DIC川村記念美術館の休館のニュースを見て、いつでも行けると思っていた場所がもういけない場所になるのはいったい何度目だろうか、と思った。

 子どもの頃、歳を重ねて人生が進んでいけば、それだけ入れる場所や行ける場所は増えていく一方だと思っていた。
 小学校高学年のどこかのタイミングで、初めて、親に付き添われずに、隣駅の大きなデパートや商店街に行った。中学に上がると、クラスメートと元旦に、郊

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通じなかった「さようなら」

通じなかった「さようなら」

異国で馴染みの店ができた。

家族経営で、行くと、ささやかなサービスをしてくれる。

挨拶とお礼だけの心地良い場所。

ある夜、食後、店員さんがやってきて、なにか言いながら両手で「×」を作ってきた。

「明日はお休み」らしいので、わかったよ、と合図して別れた。

次の日店のシャッターは下りていて、その次の日も、そのまた次の日も、シャッターは、下りたままだった。

一週間して、店の工事が始まった。

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ゲイバーの扉を開けて

ゲイバーの扉を開けて

 八月の前半二週間ほど、日本に一時帰国をした。二、三ヶ月に一度世話になっていた高校時代からの友人の美容師Yに髪を切ってもらった折、せっかくの一時帰国だし、当時の部活のメンバーで集まろう、という提案を受け、数名の同期と新宿で顔を合わせることになった。

 私は酒に弱い。全く飲めないわけではないけれど、飲むとすぐに頭が痛くなる体質も手伝って、彼らとの飲みに参加するのは久しぶりだった。学生の飲みの常で、

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誰のものでもない空間

誰のものでもない空間

 私の職場は、ハノイの一画のビルにある。同じ階には、まだテナントの入っていない区画があり、コンクリートが剥き出しの床が、その空間を他のオフィスや廊下から隔てていた。職場を出てすぐ隣の区画であり、立ち入りを禁止するような鎖も立札もないから、一息つきたいときには、その窓際でハノイの空を眺めていた。
 職場という、自分の役目を果たさなければ、いることが許されない場所のすぐ隣の、まだ誰のものにもなっていな

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絵の中の四季を散歩する

絵の中の四季を散歩する

 昨年、九月の末である。東京メトロ半蔵門線清澄白河駅を出て、じっとりとした雨を降らせる灰色の空の下を歩き始めた。蒸し暑い空気の塊が身体にまとわりつき、歩を進めるほどに、肌からは汗が噴き出してくる。傘に遮られることのなかった雨粒が、肩や足元を濡らし、そのうちに汗と雨粒の区別もつかなくなる。こんなことなら天気の良い日を選ぶべきだったと、今朝の自分を恨みつつ、私は目的地の東京都現代美術館に急いだ。

 

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通過儀礼としての夢

通過儀礼としての夢

 子供の頃、熱を出すと、必ず同じ夢を見た。

 夢の中では、視界の全てが白黒で、一人称視点と、三人称視点が交互に映し出された。三人称視点で、自分を外から眺めると、私は宙に浮いたメビウスの輪の上にいた。灰色の、凹凸一つない、無機質な道で、左右どちらにも、落ちるのを防いでくれるような手すりはついてなかった。道と書いたが、実際には帯に近いものだったかもしれない。
 その帯の外側は、ただ、暗い無が広がって

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祖母からのレッスン

祖母からのレッスン

 「後悔、先に立たず」などという言葉は誰もが当然のように知っている言い回しである。でも、この言葉を本当の意味で、実感を伴って理解することは、先に立たない後悔を経験したあとにしかできないのだと知った。

 昨年十月、祖母が倒れた。祖父と二人で暮らしている自宅で転倒し、頭を打った。くも膜下出血と脳梗塞を起こして、即ICUでの治療が行われた。治療はうまくいき、難は脱したけれど、もう自分では動くことができ

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小さな構成要素の集合として

小さな構成要素の集合として

 試しに、時計という存在が消えた世界を想像してみる。はじめからその存在がなかったわけではなく、ある日突然、朝起きると、誰も時計というものを思い出せなくなっている。目覚まし時計も、腕時計も、確かにそこにあるけれど、それがどういった用途で使われていたものなのかもわからなくなり、それぞれの時計に関する思い出も、全てが白紙に戻っている。
 時計というものが忘れ去られた世界でも、それが表していたところの時間

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朝ごはん

朝ごはん

朝ごはんを一緒に食べる関係が、最も親しい関係だと思う。

昼ごはんは学校や職場で食べるし、夜ごはんも友人や同僚と食べられる。

でも、朝ごはんは夜の篩にかけられた親しい人としか共にしない。

生まれてから二十年ぐらい、朝ごはんは家族と一緒に食べてきた。

実家を離れて今日までに、一人の朝ごはんが普通になった。

たまに一緒に食べる人が現れては、長居はせずに去っていく。

次はいつ、誰かと朝ごはんを

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感情の器、あるいは鏡としての絵画

感情の器、あるいは鏡としての絵画

 高校生のときから、私は美術館に通い始めた。当初から美術自体には興味があったし、絵画や彫刻を眺めることは好きだったが、それ以前には意識的に美術館に足を運んだことはなかったと思う。美術館へは、当時、好意を抱いていた友人と出かけるための口実として、通うようになった。相手も美術が好きだった。その友人とは大学の半ばまで、定期的に美術館に行っていたが、次第にその頻度が減り、気づくとその習慣はなくなっていた。

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社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」

社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」

 小学校四、五年生頃までだったと思う。私は教師という存在に対して奇妙な勘違いをしていた。例えば、私のクラスで算数の授業が行われていたとする。その隣のクラスでも同じく算数の授業が別の教師によって行われている。そのとき、それぞれの教師はそれぞれの教室で、一言一句違わぬ言葉を、寸分の狂いもないタイミングで発していると思い込んでいた。他の科目、他の教師についても同様の幻想を抱いていた。
 どうすればそんな

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三木成夫を読んだ記憶から

三木成夫を読んだ記憶から

 人間の臓器の内で唯一、意思によってコントロールができる(ときにはしなければならない)ものが、肺である。旅立つ前の最後の晩餐、故郷の味をまだ充分に身体に蓄えていないのに、胃は、これ以上の食べ物を拒否する。自分の意思で胃を動かして、消化を早め、さらなる味を迎える隙間を用意することはできない。しかし肺は、意思によってその動きを変えることができる。息を潜めて隠れなければならないとき。森の奥で澄んだ空気を

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着物、かくまってくれる友人、命綱

着物、かくまってくれる友人、命綱

 死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 
                太宰治 『葉』

 太宰の着物に相当するものを私は命綱のようなものと呼んでいる。ただ、私には希死念慮はないから、何か、もう少し柔らかい呼び方はないかと探してもい

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