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正常に寂しく、正常につらい
先日、この人とは関係を続けたいな、と思っていた人との繋がりが切れてしまった。いや、本当はまだ完全には切れてはいないのかもしれないけれど、あとひとつかふたつ、選択を間違えたら、たぶんもうプツンっと切れてしまう。
こんなとき、いつもほつれ目を取り繕おうとして、幾度となく自分の手で人との繋がりがを切ってしまってきた。今度こそは、そうならないようにしよう、となるべくほつれ目をいじらないようにしているけ
「立入禁止」になるまえに
昨日、DIC川村記念美術館の休館のニュースを見て、いつでも行けると思っていた場所がもういけない場所になるのはいったい何度目だろうか、と思った。
子どもの頃、歳を重ねて人生が進んでいけば、それだけ入れる場所や行ける場所は増えていく一方だと思っていた。
小学校高学年のどこかのタイミングで、初めて、親に付き添われずに、隣駅の大きなデパートや商店街に行った。中学に上がると、クラスメートと元旦に、郊
通じなかった「さようなら」
異国で馴染みの店ができた。
家族経営で、行くと、ささやかなサービスをしてくれる。
挨拶とお礼だけの心地良い場所。
ある夜、食後、店員さんがやってきて、なにか言いながら両手で「×」を作ってきた。
「明日はお休み」らしいので、わかったよ、と合図して別れた。
次の日店のシャッターは下りていて、その次の日も、そのまた次の日も、シャッターは、下りたままだった。
一週間して、店の工事が始まった。
ゲイバーの扉を開けて
八月の前半二週間ほど、日本に一時帰国をした。二、三ヶ月に一度世話になっていた高校時代からの友人の美容師Yに髪を切ってもらった折、せっかくの一時帰国だし、当時の部活のメンバーで集まろう、という提案を受け、数名の同期と新宿で顔を合わせることになった。
私は酒に弱い。全く飲めないわけではないけれど、飲むとすぐに頭が痛くなる体質も手伝って、彼らとの飲みに参加するのは久しぶりだった。学生の飲みの常で、
誰のものでもない空間
私の職場は、ハノイの一画のビルにある。同じ階には、まだテナントの入っていない区画があり、コンクリートが剥き出しの床が、その空間を他のオフィスや廊下から隔てていた。職場を出てすぐ隣の区画であり、立ち入りを禁止するような鎖も立札もないから、一息つきたいときには、その窓際でハノイの空を眺めていた。
職場という、自分の役目を果たさなければ、いることが許されない場所のすぐ隣の、まだ誰のものにもなっていな
絵の中の四季を散歩する
昨年、九月の末である。東京メトロ半蔵門線清澄白河駅を出て、じっとりとした雨を降らせる灰色の空の下を歩き始めた。蒸し暑い空気の塊が身体にまとわりつき、歩を進めるほどに、肌からは汗が噴き出してくる。傘に遮られることのなかった雨粒が、肩や足元を濡らし、そのうちに汗と雨粒の区別もつかなくなる。こんなことなら天気の良い日を選ぶべきだったと、今朝の自分を恨みつつ、私は目的地の東京都現代美術館に急いだ。
小さな構成要素の集合として
試しに、時計という存在が消えた世界を想像してみる。はじめからその存在がなかったわけではなく、ある日突然、朝起きると、誰も時計というものを思い出せなくなっている。目覚まし時計も、腕時計も、確かにそこにあるけれど、それがどういった用途で使われていたものなのかもわからなくなり、それぞれの時計に関する思い出も、全てが白紙に戻っている。
時計というものが忘れ去られた世界でも、それが表していたところの時間
感情の器、あるいは鏡としての絵画
高校生のときから、私は美術館に通い始めた。当初から美術自体には興味があったし、絵画や彫刻を眺めることは好きだったが、それ以前には意識的に美術館に足を運んだことはなかったと思う。美術館へは、当時、好意を抱いていた友人と出かけるための口実として、通うようになった。相手も美術が好きだった。その友人とは大学の半ばまで、定期的に美術館に行っていたが、次第にその頻度が減り、気づくとその習慣はなくなっていた。
もっとみる社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」
小学校四、五年生頃までだったと思う。私は教師という存在に対して奇妙な勘違いをしていた。例えば、私のクラスで算数の授業が行われていたとする。その隣のクラスでも同じく算数の授業が別の教師によって行われている。そのとき、それぞれの教師はそれぞれの教室で、一言一句違わぬ言葉を、寸分の狂いもないタイミングで発していると思い込んでいた。他の科目、他の教師についても同様の幻想を抱いていた。
どうすればそんな
三木成夫を読んだ記憶から
人間の臓器の内で唯一、意思によってコントロールができる(ときにはしなければならない)ものが、肺である。旅立つ前の最後の晩餐、故郷の味をまだ充分に身体に蓄えていないのに、胃は、これ以上の食べ物を拒否する。自分の意思で胃を動かして、消化を早め、さらなる味を迎える隙間を用意することはできない。しかし肺は、意思によってその動きを変えることができる。息を潜めて隠れなければならないとき。森の奥で澄んだ空気を
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