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A氏について

 高校時代の友人にA氏というのがいた。
 私の通っていた中学から、その高校に進学したのは私一人だけで、他校からの知り合いもいないので、どう友達を作ろうかな、と迷っている間にできた、たぶん、最初の友人である。なぜだかわからないけれど、本人に対しても、他の人との会話で彼の名前が出るときも、私は彼のことを「A」でも「A君」でもなく「A氏」と呼んでいた。クラスが同じだったこと、同じ部活に仮入部したこと、地元が比較的近く、帰りの電車が同じだったこと。こういうことが重なって、私とA氏はすぐに仲良くなった。
 私とA氏は、仮入部期間に参加していた弓道部にそのまま入部した。一人で射場に立ち、弓を引けるようになって初めて気づいたことだけれど、弓は、遠くにある的を狙うものであると同時に、微妙な取り扱いの差で、射手本人にも被害がでるものである。弦を離すタイミングで、弓本体を握っている方の腕の腹や、頬を弦で払うことがある。
 一人で引き始めた頃は、先生や先輩の指導も入り、あまり払うことはなかったと思うのだが、A氏は、恐らく二年生の中頃辺りから、腕の腹や、頬を払うようになった。A氏はその期間が長引いても、めげずに練習を続けて、腕も頬も青黒く腫れ上がるようになっていた。側から見ていても相当な痛みがあるように見えた。めげずに練習をしていたと書いたが、本当はあのときすでにめげていたのかもしれない。ただ、クラスに同じ部活の友人が何人かいて、皆仲が良かったから、逃げ出す場所もなく、痛みに耐えていたのかもしれない。
 私は一方で、比較的安定した状態で弓が引けて、大会にも出て、結果を残したり、残さなかったり、という具合だった。「そのため」という接続詞を使うのは言い訳になってしまうような気がするけれど、そのため、私はA氏の苦しみを理解せず、「頑張ろう」などと酷い言葉をかけていた。
 次第にA氏は部活に来なくなった。その後、それぞれ別の友人と仲良くなったり、恋人らしき人ができたりと、ほんの少し、以前の関係は薄れたけれど、それでも、私たちの通っていた学校は三年間クラス替えがなかったから、A氏と私を含む、クラス内のグループの仲は卒業まで続いた。

 ここまでの内容が、次の出来事に繋がるのか、もしくは全く無関係の独立した出来事なのかはわからない。

 高校を卒業し、A氏とは別々の大学に進学することになったが、すぐにまた集まって遊ぶだろうと思っていた。しかし、その後、A氏と会ったのは二度だけだった。
 私は大学に通うのに、路線の違うM駅からS駅への乗り換えのため、その駅間を毎日歩いていた。あるとき大学からの帰り、M駅に向かう道すがら、前方からA氏が歩いてくるのが見えて、お互い笑顔で近づいて、卒業後二、三ヶ月の近況を報告しあった。数分間の立ち話の後、まだこの駅を使ってるならまた会うかもね、と言って私は駅に向かった。
 その言葉のとおり、それから三、四週間後の同じ時間に、同じ通りを遠くからA氏が歩いてくるのが見えた。私は「A氏だ!」と思い、笑顔になり、A氏の方も、私に気付いたようで、微笑んでいるのがわかった。まだ声をかけるには遠いな、そろそろかな、などと思いながら、そのまま一歩一歩近づいていき、手を振るために、右手をあげようとした。A氏の方も同じような動きをしていたと思う。あと二、三歩だな、と思った数秒後、気づくと私とA氏はすれ違っていた。そのまま足は止まることも振り返ることもなく、私とA氏をそれぞれの目的地まで運んでいった。
 私はA氏を無視しようと思ったわけでは決してない、と思う。A氏も私を無視しようと思ったわけでは決してない、と思う。それでも声は発されず、手は振られなかった。お互いにお互いを認識し、話しかける準備までしていたにもかかわらず。もし、少し早いなと思いながらも、手を振り始めていれば、もし、もう少し手前から、声をかけていれば、A氏との関係は続いていたのかもしれない。
 あのとき何が起こったのかは、私は今でもよくわからない。彼があの出来事をどう解釈したのか、もう答えは出ない。その後、私を含め当時仲良くしていたメンバーは、誰もA氏と連絡が取れなくなった。

 弓の微妙な取り扱いを上手くできなかったA氏は、私との関係でも傷ついていたのだろうか。であれば、弓を程よく扱えた私がどうにかすればよかったのではないか。と、思ったけれど、私は、傷んでいるA氏の腕を見て、「頑張ろう」と言った人間である。私こそ、A氏に負担をかけた張本人なのかもしれない。そんな私には人間関係の取り扱いは手に余るので、いずれにしてもこうなっていたのだろう。

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