断片

頭と心の整理のために。

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最近の記事

誰のものでもない空間

 私の職場は、ハノイの一画のビルにある。同じ階には、まだテナントの入っていない区画があり、コンクリートが剥き出しの床が、その空間を他のオフィスや廊下から隔てていた。職場を出てすぐ隣の区画であり、立ち入りを禁止するような鎖も立札もないから、一息つきたいときには、その窓際でハノイの空を眺めていた。  職場という、自分の役目を果たさなければ、いることが許されない場所のすぐ隣、まだ誰のものにもなっていない、自身の存在意義や価値というものを示さなくてもいることができる場所。そんな空間と

    • 絵の中の四季を散歩する

       昨年、九月の末である。東京メトロ半蔵門線清澄白河駅を出て、じっとりとした雨を降らせる灰色の空の下を歩き始めた。蒸し暑い空気の塊が身体にまとわりつき、歩を進めるほどに、肌からは汗が噴き出してくる。傘に遮られることのなかった雨粒が、肩や足元を濡らし、そのうちに汗と雨粒の区別もつかなくなる。こんなことなら天気の良い日を選ぶべきだったと、今朝の自分を恨みつつ、私は目的地の東京都現代美術館に急いだ。  デイヴィッド・ホックニーの展覧会が開催されている。現代美術には明るくなく、iPa

      • 通過儀礼としての夢

         子供の頃、熱を出すと、必ず同じ夢を見た。  夢の中では、視界の全てが白黒で、一人称視点と、三人称視点が交互に映し出された。三人称視点で、自分を外から眺めると、私は宙に浮いたメビウスの輪の上にいた。灰色の、凹凸一つない、無機質な道で、左右どちらにも、落ちるのを防いでくれるような手すりはついてなかった。道と書いたが、実際には帯に近いものだったかもしれない。  その帯の外側は、ただ、暗い無が広がっているばかりで、絶対に落ちてはいけないと直感できるような空間だった。  帯の上の私

        • 祖母からのレッスン

           「後悔、先に立たず」などという言葉は誰もが当然のように知っている言い回しである。でも、この言葉を本当の意味で、実感を伴って理解することは、先に立たない後悔を経験したあとにしかできないのだと知った。  昨年十月、祖母が倒れた。祖父と二人で暮らしている自宅で転倒し、頭を打った。くも膜下出血と脳梗塞を起こして、即ICUでの治療が行われた。治療はうまくいき、難は脱したけれど、もう自分では動くことができない身体になってしまった。認知症も始まりかけていたようで、私が面会に行っても、私

        誰のものでもない空間

          小さな構成要素の集合として

           試しに、時計という存在が消えた世界を想像してみる。はじめからその存在がなかったわけではなく、ある日突然、朝起きると、誰も時計というものを思い出せなくなっている。目覚まし時計も、腕時計も、確かにそこにあるけれど、それがどういった用途で使われていたものなのかもわからなくなり、それぞれの時計に関する思い出も、全てが白紙に戻っている。  時計というものが忘れ去られた世界でも、それが表していたところの時間という概念は、存続し続けるのだろうか。恐らく、時計が存在する以前から、時間概念は

          小さな構成要素の集合として

          感情の器、あるいは鏡としての絵画

           高校生のときから、私は美術館に通い始めた。当初から美術自体には興味があったし、絵画や彫刻を眺めることは好きだったが、それ以前には意識的に美術館に足を運んだことはなかったと思う。美術館へは、当時、好意を抱いていた友人と出かけるための口実として、通うようになった。相手も美術が好きだった。その友人とは大学の半ばまで、定期的に美術館に行っていたが、次第にその頻度が減り、気づくとその習慣はなくなっていた。  一緒に行く相手がいなくなってからも、私は一人で美術館に行き続けた。美術館に通

          感情の器、あるいは鏡としての絵画

          社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」

           小学校四、五年生頃までだったと思う。私は教師という存在に対して奇妙な勘違いをしていた。例えば、私のクラスで算数の授業が行われていたとする。その隣のクラスでも同じく算数の授業が別の教師によって行われている。そのとき、それぞれの教師はそれぞれの教室で、一言一句違わぬ言葉を、寸分の狂いもないタイミングで発していると思い込んでいた。他の科目、他の教師についても同様の幻想を抱いていた。  どうすればそんなことができるのか疑問に思い、足りない言葉で母に尋ねたが、私の質問の意味が理解でき

          社会人の不完全さ、有害な「忠実さ」

          三木成夫を読んだ記憶から

           人間の臓器の内で唯一、意思によってコントロールができる(ときにはしなければならない)ものが、肺である。旅立つ前の最後の晩餐、故郷の味をまだ充分に身体に蓄えていないのに、胃は、これ以上の食べ物を拒否する。自分の意思で胃を動かして、消化を早め、さらなる味を迎える隙間を用意することはできない。しかし肺は、意思によってその動きを変えることができる。息を潜めて隠れなければならないとき。森の奥で澄んだ空気を深く吸い込みたいとき。身一つで、色彩豊かな海の中へと溶け込みたいとき。人は意識し

          三木成夫を読んだ記憶から

          着物、かくまってくれる友人、命綱

           死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。                  太宰治 『葉』  太宰の着物に相当するものを私は命綱のようなものと呼んでいる。ただ、私には希死念慮はないから、何か、もう少し柔らかい呼び方はないかと探してもいる。  私の好きな漫画にヤマシタトモコの『違国日記』という作品がある。そこで、主

          着物、かくまってくれる友人、命綱

          亜熱帯の鳥の鳴き声で目覚める

           亜熱帯の鳥の鳴き声が、夢の中に分け入ってくる。そこに沈んだ私の意識を捕まえて、現に釣り上げる。カーテンの隙間から漏れ入ってくる光が、瞼の裏に滲んでくる。光が目に馴染んだ頃、遅れて、すでに活動を始めている人々の、まだ私には分からない言葉と、通りを走るバイクの音が耳に届いてくる。  ベトナムに来てからニ週間。目覚めの手続きは、大体決まっている。日本では、セットした目覚まし時計の騒音に眠りを壊されるか、その数十秒前に、手がそれを察知して、目覚まし時計のスイッチを切るかしていた。い

          亜熱帯の鳥の鳴き声で目覚める

          話すこと、書くこと、延いては無価値のままで存在すること

           いつの頃からか、話すこと、書くことが苦手である。とはいえ、学生時代の塾講師のアルバイトも含め、7年近く、教師の仕事をしているから、人前で話すことに緊張する、といった類の苦手では、多分ない。  自分の話す内容に、書く内容に、いつしか価値が感じられなくなった。元々、自分の内から価値のある言葉など出てきたことはないことに、気がついてしまった。そういう感覚が近いと思う。友人や会社の人間、子供たちは、なぜそうも自信を持って自分について話せるのだろう。そう思うようになってしまった。  

          話すこと、書くこと、延いては無価値のままで存在すること