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三木成夫を読んだ記憶から

 人間の臓器の内で唯一、意思によってコントロールができる(ときにはしなければならない)ものが、肺である。旅立つ前の最後の晩餐、故郷の味をまだ充分に身体に蓄えていないのに、胃は、これ以上の食べ物を拒否する。自分の意思で胃を動かして、消化を早め、さらなる味を迎える隙間を用意することはできない。しかし肺は、意思によってその動きを変えることができる。息を潜めて隠れなければならないとき。森の奥で澄んだ空気を深く吸い込みたいとき。身一つで、色彩豊かな海の中へと溶け込みたいとき。人は意識し

    • 着物、かくまってくれる友人、命綱

       死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。                  太宰治 『葉』  太宰の着物に相当するものを私は命綱のようなものと呼んでいる。ただ、私には希死念慮はないから、何か、もう少し柔らかい呼び方はないかと探してもいる。  私の好きな漫画にヤマシタトモコの『違国日記』という作品がある。そこで、主

      • 亜熱帯の鳥の鳴き声で目覚める

         亜熱帯の鳥の鳴き声が、夢の中に分け入ってくる。そこに沈んだ私の意識を捕まえて、現に釣り上げる。カーテンの隙間から漏れ出た光が、瞼の裏に滲んでくる。光が目に馴染んだ頃、遅れて、すでに活動を始めている人々の、まだ私には分からない言葉と、通りを走るバイクの音が耳に届いてくる。  ベトナムに来てからニ週間。目覚めの手続きは、大体決まっている。日本では、セットした目覚まし時計の騒音に眠りを壊されるか、その数十秒前に、手がそれを察知して、目覚まし時計のスイッチを切るかしていた。いずれに

        • 話すこと、書くこと、延いては無価値のままで存在すること

           いつの頃からか、話すこと、書くことが苦手である。とはいえ、学生時代の塾講師のアルバイトも含め、7年近く、教師の仕事をしているから、人前で話すことに緊張する、といった類の苦手では、多分ない。  自分の話す内容に、書く内容に、いつしか価値が感じられなくなった。元々、自分の内から価値のある言葉など出てきたことはないことに、気がついてしまった。そういう感覚が近いと思う。友人や会社の人間、子供たちは、なぜそうも自信を持って自分について話せるのだろう。そう思うようになってしまった。  

        三木成夫を読んだ記憶から