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亜熱帯の鳥の鳴き声で目覚める

 亜熱帯の鳥の鳴き声が、夢の中に分け入ってくる。そこに沈んだ私の意識を捕まえて、現に釣り上げる。カーテンの隙間から漏れ出た光が、瞼の裏に滲んでくる。光が目に馴染んだ頃、遅れて、すでに活動を始めている人々の、まだ私には分からない言葉と、通りを走るバイクの音が耳に届いてくる。
 ベトナムに来てからニ週間。目覚めの手続きは、大体決まっている。日本では、セットした目覚まし時計の騒音に眠りを壊されるか、その数十秒前に、手がそれを察知して、目覚まし時計のスイッチを切るかしていた。いずれにしても、日本にいたときの目覚めよりも心地いい。
 東南アジアでは、他に二つの印象的な目覚めがある。
 一つは、ミャンマーの山岳地帯の町に数ヶ月間滞在していた頃の目覚め。居は現地の方の家のニ階、片隅の一部屋であった。その家では、庭で数羽の鶏を放飼いにしていた。私の目を覚まさせる役割を果たしていたのはそれらである。
 鶏といえば、目覚めと結びついたのイメージが確かにあった。しかしそれはスイスかどこか、ヨーロッパの山小屋で、眠りが前日の疲労を癒した後、冷えた空気の中をよく通る一声のみで迎える、雪を戴く山々と、澄んだ湖に囲まれた美麗な朝のイメージであった。
 私の目覚めは、それをちょうど裏返したようなものだった。朝五時前頃、蒸し暑さの増していく気配を含んだ空気の中、一羽目が鳴き始める。その声は鶏自身の大きさからイメージできるものより、数十倍はけたたましく、一鳴きで十分に、疲れの抜け切っていない身体にさらなる疲れをもたらすものだった。一羽目に続いて、二羽目、三羽目と、まるでうるささを競うコンペティションのように、大声を上げ始める。数羽の鶏の鳴き声は毎朝、十時頃まで続き、次第に止んでいくも、その頃には代わって通りが騒々しくなるのであった。
 もう一つは、これも同じくミャンマーで迎えた朝で、前述の部屋を借りていた方の実家を訪れた際のことである。その村は、先の山岳地帯の町から、さらに数時間、車で峠道を進んだ場所にある。
 その家には年末年始を跨ぐ二週間ほど滞在したが、一匹の豚が活動を始める音によって起こされていた。鶏と違い、自己を主張するためではなく、不器用さから出してしまう彼の生活音と、時々発せられる噯気と吃逆の混じったような鳴き声も、出したくはないが仕方がなく出る咳のように感じて、少しの愛着が湧いた。
 新年の朝、私の眠っていた部屋の、ちょうどベッドが面している壁の向こう側から、突如、獣の呻き声が飛び込んできた。描写の仕様のない、断末魔。息を奪われる寸前の、最後の抵抗。行くと、三人の男によって地面に寝かされた一匹の豚が屠殺されている最中であった。男のうち一人は彼の両手足を縛った縄を引き、もう一人は横向きに寝かされた彼の顔に木の板を渡したものの上に乗り、その動きを抑えていた。三人目の男が鉄の棒を彼の心臓あたりに突き刺していた。三分ほどかけて、彼はゆっくりと呻き声と抵抗の動きを小さくしていった。村人たちにより、夕方まで時間をかけて解体され、川で洗われ、調理された豚は、新年を祝う夜の食事となって、再び、私の前に現れた。
 次の朝、私は何によって目覚めたのか、覚えていない。
 自分が新しい場所に移動したことを、目覚めの手続きが変わることで実感することは多い気がする。それは、これまでのように周囲の物理的環境によるのかもしれないし、仕事や地位が変わるに連れての心境の変化によるのかもしれない。あるいは、いつかは身体の痛みなどで起きるようになるのかもしれない。
 どのくらいの期間、ここに住み続けるかは分からないけれど、とりあえずは、今、亜熱帯の鳥の色鮮やかな鳴き声で迎えるこの朝が、私の人生でも有数の美しい朝であることは確かなように思う。

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