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祖母からのレッスン

 「後悔、先に立たず」などという言葉は誰もが当然のように知っている言い回しである。でも、この言葉を本当の意味で、実感を伴って理解することは、先に立たない後悔を経験したあとにしかできないのだと知った。

 昨年十月、祖母が倒れた。祖父と二人で暮らしている自宅で転倒し、頭を打った。くも膜下出血と脳梗塞を起こして、即ICUでの治療が行われた。治療はうまくいき、難は脱したけれど、もう自分では動くことができない身体になってしまった。認知症も始まりかけていたようで、私が面会に行っても、私を認識してくれるときも、してくれないときもあった。夢の中の出来事のような脈略のない話を滔々と喋る祖母の横で、うんうんと頷くしかできないことも多かった。
 今年に入り、ようやく退院して、介護付き老人ホームに入居した。祖父母の自宅がある駅のすぐ近くの施設で、祖父母宅から歩いて二十分程の距離である。歩いて二十分の距離。だけど、祖母があの家に戻ることはもうないのだろうと思う。
 病院に見舞いに行った帰り、祖父を自宅まで送り、駅まで歩いている途中で、これまでの祖父母との記憶が甦ってきた。両親が仕事に出て、祖父母に預けられた日、コンビニにアイスを買いに連れて行ってもらったこと。家の裏の小川で、どんぐりや落ち葉で遊んだこと。お昼を食べに車でレストランに連れて行ってもらったこと。近くの神社の夏祭りで一緒に金魚を掬ったこと。コロナが始まる年までは、正月には毎年集まり、おせちやお寿司を食べたこと。大学生になり、車の免許を取ったときには、私の実家に来ていた祖母を家まで送り届けたこともある。そのときには、家のある路地に入る道が狭いことや、その両脇の溝に落ちないように注意をされた。
 細々とした思い出の断片が、無数にあることに気づいた。その一つ一つに登場する祖母は、あの日の転倒を境にいなくなってしまった。昨年の初めには、「もう体力もないから、おせち料理を作るのは今年で最後にする」と言っていた。それでも正月に会った祖母は、私の目には元気であるように映った。それから十月まで、大人になってから会う気恥ずかしさや、仕事の忙しさ、いつでも会える距離にいることを言い訳にして、祖父母を訪ねることをしなかった。
 また会えるから大丈夫だと思っていた人や、また行けるから今度にしようと思っていた場所が、予告なく去って行ってしまうことがあると、祖母は身をもって教えてくれた。本当はそんなこと、教えてほしくなかったけれど。先日、祖母は八十八回目の誕生日を迎えた。今、私は気軽に会いに行ける場所にはいないけれど、実家に戻った際には、祖父母のもとも訪れようと思う。
 日常生活の中で行う些細な決断。その決断に迷ったときには、祖母からのレッスンを思い出したい。

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