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小さな構成要素の集合として

 試しに、時計という存在が消えた世界を想像してみる。はじめからその存在がなかったわけではなく、ある日突然、朝起きると、誰も時計というものを思い出せなくなっている。目覚まし時計も、腕時計も、確かにそこにあるけれど、それがどういった用途で使われていたものなのかもわからなくなり、それぞれの時計に関する思い出も、全てが白紙に戻っている。
 時計というものが忘れ去られた世界でも、それが表していたところの時間という概念は、存続し続けるのだろうか。恐らく、時計が存在する以前から、時間概念はあったであろうから、その頃の感覚に戻るのだろう。太陽が十度移動するまで、あなたの影が五センチ伸びるまで、朝顔が萎むまで、コップの中の氷が溶けるまで。時計がなくなった後でも、人々は他の尺度で時間を知ろうと試みるのだろう。
 では、時計に関する思い出はどうだろう。私にとっての最初の時計の思い出は、父から受け継いだ古い腕時計についてである。文字盤の深い紺色が美しく、その上を金色の三本の針が、異なる速さで周遊している。中学の行事か何かの際に借り、そのまま譲り受けたものである。父も気に入っていたものだったのだろう。長年使った痕跡の多く残るその時計を、時計屋さんに持って行き、手入れをしてもらった後、渋々私に譲ってくれた。大切な思い出である。でも、この思い出が、時計という存在とともにこの世界からなくなってしまっても、私は私のままでい続けるだろう。
 私は毎朝、起きたら必ずコーヒーを淹れる。夏には氷を入れたアイスコーヒーを、冬には肌寒さの中で豆の層を通り抜けた黒い液体が溜まるのを待つ。今では、朝を始めるのになくてはならない習慣となっている。
 コーヒーに関する思い出も、脳裏に無数に浮かんでくる。高校の自動販売機で売られていた、甘味を多分に含んだ缶コーヒーを友人と一緒に飲んだこと。高校に向かう途中、学校に行く足が重くなり、近くの喫茶店に避難したこと。初めてブラックコーヒーを飲んだときの、苦味が舌に染み入る感覚と、それでも強がって飲み干したこと。いつしかその苦味にも慣れ、行きつけの喫茶店もできたこと。深夜の睡魔をコーヒーで払い、課題をやり遂げたこと。私にとってコーヒーは生活に欠かせないものになっている気がするが、それでは、それがなくなったとき、私は私でなくなるか。否、コーヒーがなくなり、その思い出が消えたとしても、私は私のままでいるだろう。
 絵はどうであろうか。私の部屋には無数の美術書や展覧会の図録が並べられている。壁に掛けられたコルクボードには何枚もの絵画のポストカードが留められている。美術館には数年に渡り通い続け、絵に癒されたり、慰められたり、励まされたりしてきた。私自身も、デッサンに留まりはするけれど、旅先で見た風景や、日常の残しておきたい場面を描くことがある。絵を見ることも、描くことも、私の精神を支える上で、大いに役立ってきた。
 では、絵に関する記憶が消え去ったとき、絵を見たとしても、何の感慨も引き起こされなくなったとき、絵を描こうという気持ちが忘れ去られたとき、私は私でなくなるだろうか。時計やコーヒーに比べると、多くの部分が削り取られた気はするが、それでも、答えは否であろう。
 行為についてはどうだろうか。私は生活の手段として、「教える」という行為を続けてきたが、それは、今では若干の惰性の上に行われている部分も否定できないし、「教える」という概念自体がなくなったところで、その行為に未練を感じることもない気がしている。他に何かできることがあるのかわからないから、教えることができなくなることに不安はあるけれど、それは生活手段をなくすことへの不安であり、自分の存在の根拠をなくすことに対してのものではない。
 大学時代、バックパックを背負って、数ヶ月間の旅をした。言語や文化の違いに晒され、疲れ果てることもあったし、あからさまな悪意を向けられることもあったけれど、見も知らぬ私に無償の親切を与えてくれる人もいた。これらの経験は確かに私の血肉になっていて、この記憶を奪われることになれば、できる限りの抵抗をすると思う。けれども同じように、旅が私の中心か、と問われれば、そうではない。
 そう考えてみると、これらの一つ一つは、どれがなくなったとしても、私が私であることを阻むものではない。なにか、「これがなくなると、私が私でなくなる」という核があるわけではない。しかし、時計がなくなり、コーヒーがなくなり、絵がなくなり、教えるという行為がなくなり、旅がなくなり、日常の私を構成する要素が少しずつ取り払われていくことで、私は少しずつなくなっていく。「これがなくなると私でなくなる」というような存在の核となるものはなく、むしろ一つ一つは、それがなくなっても大きな影響は及ぼさない要素の集合が、私を成り立たせているのではないか。

 こういうことを考えたのは、小川洋子の小説、『密やかな結晶』を読んだからだ。この小説を初めて読んだのがいつだったのかは思い出せないけれど、初読以来、ずっと心に残り続けている作品である。
 小説の舞台となる島では、「鳥、香水、フェリー、左足……大切だったものが、みんな、少しずつ消えてゆく」。消滅の後、人々は二、三日の内に、それがないのが当たり前の日常、もともと存在していなかったかのような日常を送り始める。主人公の「わたし」は小説を書くことで生活をしていて、本に対する思い入れは深く、小説が消滅した際には、苦しみつつも、次第に小説について何も感じることができなくなり、たった一文を書くのに何時間も費やすことになる。そんな「わたし」であっても、その後は日常生活に戻っていくから、やはり、何年も費やしてきたからといって、それが自己の核となるというようなのもはないのだろう。この小説では、左足が消え、右腕が消え、最後には体が消滅した。小説が消えたときでさえ消え去らなかった「わたし」自身も、体の全てが消滅を迎えることで消え去った。
 自分の核となる、何か一つのものがあるのではない。それ自体は周縁に位置する、様々な要素の集合としての私。このことは逆説的に、自分のアイデンティティや将来に不安を抱えていた私に、一つの解答例を示してくれた。一つの核になるものを見つけるのではなく、自分を構成する小さな要素を増やしていけばいいと。時計も、コーヒーも、絵も、教えることも、旅も、それらは私を形作る一要素ではあるのだから。そうした要素を増やしていき、その中で比重の増えるものを育てればいいと。
 存在意義というほど大袈裟なものではないけれど、現状や進むべき道に迷いが生じたとき、新たに私を構成し始めている要素はないか、私の中で比重を増している要素はないか、そう考えるための処方箋として、今もう一度この本を手に取ったのかもしれない。

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