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「立入禁止」になるまえに

 昨日、DIC川村記念美術館の休館のニュースを見て、いつでも行けると思っていた場所がもういけない場所になるのはいったい何度目だろうか、と思った。

 子どもの頃、歳を重ねて人生が進んでいけば、それだけ入れる場所や行ける場所は増えていく一方だと思っていた。
 小学校高学年のどこかのタイミングで、初めて、親に付き添われずに、隣駅の大きなデパートや商店街に行った。中学に上がると、クラスメートと元旦に、郊外の山へ初日の出を見に行った。高校は実家から電車で通う距離にあったから、定期券の区間内の駅も私の行動範囲に加えられた。大学に上がった最初の年に初めて海外に行き、在学中には二つの国に留学もした。今は日本の外に住んでいる。

 私は、幼稚園の入園初日、迎えに来たバスに乗れば、もう二度と家には戻れないものと思ったのか、咽び泣きながら乗車を拒否し、数分間の抵抗の末、同じバス停から乗る子に手を引かれて、拉し去られるような子どもだった。二日目以降についても、咽び泣き、手を引かれ、拉し去られ、を暫くは繰り返し、次第に泣き声をあげなくなったようである。
 私の手を引きバスに乗せた子とは今でも交流があるが、今どこで何をしているかを話すと、
「昔は私がいないと幼稚園にも行けなかったのにね」
と、もう二十年以上は前の過去を蒸し返してくる。

 そんな幼少期から現在までの軌跡を振り返れば、確かに入れる場所、行ける場所は増えていく一方のように思える。ただ、現在に至るまでの過去には、その道筋のところどころに、今ではもう足を踏み入れることができなくなった「場所」が点在している。
 たとえば、小学校の卒業式の日。この日は学校から持ち帰るものも多いだろうということで、ランドセルではなく、リュックサックや大きめの鞄で登校してもよいと、担任の先生から言われていた。私は、普段と違う格好で登校できることが嬉しくて、リュックサックを背負って、家を出た。家を出ると、玄関先まで母が追いかけてきて、一枚写真を撮る、と言ってきた。嫌がる私を無理やり立たせて、カメラを向けた母は、最後なのにランドセルじゃないのね、と少し悲しそうにシャッターを切った。
 学校に着くと、私以外の生徒は皆、ランドセルで登校していた。家に帰ったら、ランドセルを背負って、もう一枚写真を撮ってもらおうかとも思ったけれど、恐らく反抗期に片足を踏み入れていたであろう当時の私が、母にそんなことを頼めるはずもなく、私の小学校卒業の日の写真は、リュックサックを背負った姿のままである。そして、あの日の母の笑顔にも、薄っすらと寂しさが差したままである。

 数年前に焼けてしまった、パリのノートラダム大聖堂。セーヌ川の上をシテ島まで結ぶアルシュヴェシェ橋にはノートラダム大聖堂を臨む側のフェンスに無数の南京錠が掛けられていた。現地で聞いた話によると、恋人同士が橋のフェンスに南京錠を掛け、鍵をセーヌ川に投げ捨てることで、永遠の愛の証とするらしい。私がこの場所を訪れたのは2015年だったから、現在でもこの橋に南京錠が掛けられたままなのかはわからないけれど、少なくとも、ノートラダム大聖堂の壮麗な後ろ姿と南京錠の掛けられた橋のフェンスを写真に収めることは、もうできなくなってしまっている。
 焼けてしまった建築といえば、沖縄の首里城も思い出される。首里城には高校の修学旅行で訪れる予定だったのだが、その修学旅行の二日目と三日目に重なる時期に、ちょうど沖縄を台風が通過ことになり、予定されていた三日間の行程が二日に短縮されることになった。その短縮の報が、私たち生徒に伝えられたのが、奇しくも首里城の地下駐車場であった。私たちを乗せたバスはそのまま宿泊先のホテルに戻り、帰り支度を済ませるとそのまま東京に帰ることになった。高校の修学旅行で沖縄を訪れたきり、その後沖縄の地を踏む機会を得られずにいたから、私は首里城をこの目で見ることはなかった。
 ノートラダム大聖堂も首里城も、何年かすれば、再建されるのか、私の生きている間に再建されることはないのかはわからないけれど、いずれにしても、行けばいつでも見られると思っていた場所が、もう行けない場所になってしまうということは、日常にありふれているのだなと認識させられた。

 なくなってしまった場所が、物理的な場所であれば、現在、ノートラダム大聖堂も首里城も再建が望まれているように、またいつか、行ける機会が訪れるのかもしれない。
 しかし、なくなってしまった「場所」が、小学校の卒業式や、転倒前の元気だった祖母であれば、それらは、もう二度と戻ることのない「場所」となってしまう。今の日常にいつ、どこで、「立入禁止」の立札が立てられるのかを、私たちは知らされずに生きている。それがわかるのは、いつでもその「場所」が閉鎖された過去となったあとである。明日、ここに「立入禁止」の札を立てます。そう宣言されても、それはそれで困るけれど、今入ることが許されている「場所」を大切にするためにも、時折、過去の道に立てられた「立入禁止」の立札を振り返る必要があるのだろう。

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