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子どもを心配ではなく、希望のまなざしで見たいのだ

未来に不安を抱こうと思えば、数知れずほど、心配の種は潜んでいます。子どもに対しても同じことがいえます。

日常の中でも、ほんの小さな心配の種がゴロゴロと転がっていて。

けれど、わたしは。

子どもへのまなざしを、
「心配ではなく希望で注ぎたい」

これは願いでもあり、
誓いのようなものでもあるかもしれません。




性根は心配性で悲観的なわたし。
夫の方が、根っからの楽天家だと思います。
わたしが「どうしよう、どうしよう…」
と悩んでいても、
「なんとかなる。大丈夫!」
と悩みを吹き飛ばしてくれるような人で。
幾度となく救われてきました。

心配性なわたしだからこそ、心配を希望に変えるための価値観を大事にしてきました。そんな価値観をいくつかご紹介できたらと思います。

● 子ども時代に失敗をたくさんしたらいい

「失敗」をネガティブなものだとは思っていません。とりわけ、子ども時代にはたくさん失敗したらいいと思っています。数々の失敗から、みずから学んでいけばいい。
大人が先手を打って、失敗しそうなことを取り除いたり、必要以上に声をかけたりすることの方が、多様な経験の機会を奪っているように思えます。

こけてしまいそうな、でこぼこ道も歩かせるし、こぼすかもしれないけれどおかずの入った食器を運ぶお手伝いもしてもらっています。
もちろん見守りながら。

● 未来を切り拓く力を潜在的に誰しもが持っている

まだ息子は2歳で小さいけれど、これからさまざまな困難が待ち受けているかもしれません。

今日、たまたま目にした雑誌の中に、こんなことが書かれていました。

「人は、教えられなければ学ばない未熟な存在ではなく、生まれながらにして主体的に学ぶことができる存在だ」

ポーネルンド発 子育て応援誌「あそびのもり」

この文章同様、子どもを「未熟な存在」「教えて導いていかなければならない存在」だと思っていません。困難を自分で乗り越えていける力をもっていると信じていますし、それはきっと息子に限らず誰しもがそうだと思います。

● ネガティブな出来事は本来の自分を取り戻すきっかけになる

世間的にネガティブな出来事だと思われること。実際に経験するとなると、悲しみに心が蝕まれて、どん底の気持ちを味わうと思います。

けれど、そうした経験も長い目で見たら、
「あの経験があったから…」
と思える出来事に変わる時がくるかもしれません。
本来の自分を取り戻して、より人生を豊かに自由に生きるきっかけになりうるのだとも思っています。

だから、子どもの人生でたとえどんなことがこれから起きようとも、「子どもにとって良いことしか起きないはず」だと信じて、息子にとっての最大の理解者であり、味方であり続けたいです。




心配になってしまうのは、それだけ大切にしたいという証でもあります。大切だから心配に思うのは当たり前。けれど、子どもには、自分らしくのびのびと人生を楽しんでほしいから。

わたしは、
「心配ではなく、希望のまなざしで見たい」
これまでも、今も、これから先も。


さまざまな子どもとのエピソードから、親としての気づきや学びを書き綴っています。こちらも、ぜひ覗いてみていただけると嬉しいです。

Rihoさんの記事。
うんうんと頷きながら読ませていただきました。
今回の記事と関連深かったので、ご紹介させていただきますね。

最後まで読んでいただきありがとうございました♩

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