見出し画像

京都・愛宕山から明智越え[後編] ♣山と歴史の道♣(0003)

日本各地にある愛宕神社の総本宮である京都市の愛宕山。 そして明智光秀本能寺の変の際に出陣した丹波亀山城を結ぶ明智越えのルートをたどります。 いずれも明智光秀と本能寺の変に係るコースです。
長くなってしまったので今回は前編に続き後編なります。

<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも関係が深い山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。

 

画像1

<概要>
愛宕山は、旧国境ですと山城と丹波の国境に位置します。 丹波は明智光秀の領国であり、近接してその居城である丹波亀山城(現・京都府亀岡市)がありました。 この亀山城の城下町と水尾の里を経て愛宕山(愛宕神社)を結ぶルート(参詣路)が現在では「明智越え」と称されています。 また愛宕山を越えて京都市内に入る道ともなっています。

明智光秀が本能寺の変を起こす前に、愛宕神社で連歌会(愛宕百韻)を催しました。 その際に冒頭で詠まれたのが著名な「時は今 あめが下しる 五月哉」とされています。 また神社で、クーデター決行を占うためでしょうか、籤を3回引いた(引き直した)とも伝えられています。

一説には、明智光秀は丹波亀山城を発して本能寺へ向かう際に兵を3つに分けて、そのひとつは今回の明智越えを通して京都市中に向かったともされています。 丹波亀山城址から愛宕山(愛宕神社)へはおおよし10km程度の行程になります。

「愛宕山」 (あたごやま、あたごさん)
「愛宕神社」 (あたごじんじゃ)
場  所/ 京都府京都市右京区
アクセス/ 阪急電鉄の京都河原町駅・三条京阪駅・嵐山駅、京福嵐山線の嵐山駅から京都バス。 阪急・嵐山駅からの場合、バスで20分程度。

 

<行程>
コースの全体は、愛宕山の登山口・清滝バス停から愛宕神社のある愛宕山へ登り、いったん水尾の里へ下りてから、「明智越え」と呼ばれる山越えで亀岡市中心部(丹波亀山城跡)へ至ります。 明智光秀が本能寺の変前に愛宕神社に参拝した際はおそらく「明智越え」のルートを往復したものと思われます。
今回は後編として、愛宕山と明智越えの全ルートの後半である「水尾の里から明智越えを通って丹波亀山城址」までをお送りします。 
前編は次のリンク先をご覧ください。
京都・愛宕山から明智越え[前編]♣山と歴史の道♣(0003)

43_水尾・風景

45_明智越えへの道

46_高低差

47_保津峡道標

48_沢

49_保津峡・明智越え分岐

前編からの続きです。 水尾の里から「明智越え」の入口まで向かいます。 水尾の集落を抜けると県道50号線から分岐し簡易舗装された明智越えに繋がる沢沿いのルート(上2番目の写真)に入ります。
50号線とは並行的に進みます。 50号線は谷の上の方を通っており、簡易舗装の道からは見上げることができます(上3番目の写真)。
沢沿いの道を進むと、保津峡への進路を示す道標が出てきます(上4番目の写真)。 やがて明智越えの分岐にさしかかります(上6番目の写真)。

50_明智越え木橋

51_明智越え道の始まり

52_明智越え沢と道

54_亀岡への道しるべ

沢にかかった木橋を渡ると「明智越え」のルートが始まります。 ここからは今回のコースの後半部になり、明智越えにて亀岡市へ入っていきます。

細い山道が続き、さらに細くなっていきます。 やがて小さな沢とそれに沿うように細い道となります(沢というよりも雨が降った後に水が流れる、というようなところかもしれません)。 沢と道はそのうち一つになります。 森の中を下草のシダが生い茂り、藪漕ぎならぬシダ漕ぎ状態へ。 赤テープもとくに見当たらず、「本当にこの道?」とちょっと疑問がわきますが、しばらくして尾根筋まであがっていくと、ようやく「亀岡」を指し示す標示が出てきます。

55_鉄塔

56_水尾と愛宕山を振り返り

さらに上がっていき送電線の鉄塔を越えると視界が開けました。 方角的に写真左手の下方に見えるのが水尾の里そして後背の山々が愛宕山に連なる尾根でしょうか(上2番目の写真)。

57_明智越え登山道・雑木林

58_明智越え道標

59_灌木トンネル

60_立入禁止・前

61_神明峠・尾根道

道はすこし荒れていますが、「明智越えハイキングコース」(保津峡と亀岡を結ぶ)を表す看板もいくつか出てきます。
樹木が頭上を覆いかぶさるように張り出したまるでトンネル状の道を抜けていきます。 
巻き道がありますが「危険箇所あり」と閉鎖されているので、尾根伝いに神明峠の方向へ進んでいきます。

62_神明峠・分岐

63_神明峠分岐から左折

64_鉄塔1

しばらく進み、神明峠には入らずに、その手前の分岐を左手(南西)へ折れます。
途中、迷わせるような分岐が右手にありますが(林道へ下りていく作業道でしょうか?)、また左手へ入ると送電線鉄塔が出てきますので、そちらが正規ルートになります。
神明峠手前(分岐)の左に折れる地点あたりが、明智越えのピークになると思われます。 この先からは基本的に下り基調の道になります。

65_鉄塔2

66_立入禁止・後

67_亀岡への道標

68_ハイキングコース看板

69_土用の霊泉・看板

70_土用の霊泉・説明

71_土用の霊泉・現状

二つ目の鉄塔を過ぎると、閉鎖されていた巻き道のもう一方の分岐が出てきます。 その先に「土用の霊泉」が現れます。 かつては水が出ていたのかもしれませんが、現在はその痕跡もよく分かりませんでした。 斜面から水が滴っていただのでしょうか。

72_明智越え・史跡案内

さらに進んでいくといくつかの史跡とそれを示す案内板が出てきます。 2020年大河ドラマ『麒麟が来る』の影響でしょうか。 新しく整備されたらしき案内板が設けられています。 

73_明智越え・下り道

74_亀岡市眺望

75_保津城跡

76_明智越え・最後

77_明智越え・登山口

どんどん下っていくと、やがて木立の先に亀岡市街が見えてきます。 写真の中央に見えるのはおそらくサンガスタジアムでしょうか。 しばらくすると山道も終わり、民家の間を抜けて舗装道路に出ました。

78_明智越え・振り返り

79_大橋

80_亀山城お堀

下りきった一般道から明智越えの山を振り返ります。 
町の中心部へ向かっていくと保津川を越える新保津橋が出てきます。 川を渡れば右手にサンガスタジアムがすぐそばです。 橋を渡り切って右折すると、丹波亀山城址の堀の端が出てきました。

81_亀山城案内図

83_明智光秀銅像

亀山城址は現在は宗教団体の敷地になっています。 亀岡駅に向かう堀端の一角が公園になっており、そこに明智光秀の銅像が立っています。 
ここが今回の終点です。

 

<行程表>
※標準的タイムによる目安です(休憩含まず)
水尾の里→ 明智越え分岐(20分)→ 尾根筋(30分)→ 神明峠分岐(20分)→ 土用の霊泉(10分)→ 峯の堂跡(40分)→ 文覚寺(20分)→ 亀岡駅(30分)
歩行時間/ 約3時間

<国土地理院地図>
水尾の里

<行程の補足>
水尾の里から明智越えの分岐を南東方向へ(50号線に沿うように)進むとJR山陰本線「保津峡」駅にたどり着きます。
明智越えルートは明智光秀が本能寺の変の際に京都へ向かったときに使用されたルートの候補のひとつともされています(または別働隊が通過したという説もあります)。
丹波亀山城址は現在は宗教施設となっており基本的に関係者以外は入れませんが、施設の許可を得て敷地内を見学することが可能です。

 

山小屋_3

<売店等>
亀岡市街に出るまで途中に売店等はありません。

<お食事処>
亀岡駅ちかくにイオンモールと西友があり、施設内に飲食店が入っています。

<入浴施設>
サンロイヤルホテル亀岡駅前 (※公式サイト)
湯の花温泉 (※公式サイト) 亀岡駅から車で約15分

<付近のスポット>
道の駅 ガレリア かめおか (※公式サイト) 亀岡駅から徒歩約20分
保津川・川下り (保津川遊船企業組合) サンガスタジアムそば
亀岡市文化資料館
嵯峨野トロッコ列車 (亀岡市観光協会)

<名産品>
丹波栗
黒豆

<そのほか補足>
亀岡駅にレンタサイクルサービスあり (亀岡市観光協会)

 

<メインテーマ>
丹波亀山城を出発したとき、明智光秀は織田信長を裏切って叛逆することをすでに決意していたのでしょうか?
愛宕神社で戦勝祈願をしていたのかもしれません。 しかし、おみくじを3回も引いた(引き直した)という伝承が確かならば、決行にまだ迷いがあり、また大きな不安を抱えていたのかもしれません。

光秀が本能寺の変を起こした理由や事情などについてはすでに多くの研究や論説がありますのでここでは割愛します。
すこしだけ個人的な印象を述べさせていただきますと、光秀個人の内心として将来への大きな強い暗い不安に捕らわれていたのかもしれないなーと感じています。 

現状では機内の支配をほぼ全面的に任されていましたが、その先はどうなっていたでしょうか。 信長の天下構想は、後年の豊臣秀吉や徳川家康にみられるような天下人の意向ひとつで領地替えをあっさりとさせられてしまうような統治スキームだったのかもしれません。

それまでの中世的な封建制度では、自分がいったん支配した土地はよほどの理由でもないかぎり半永久的に支配権を獲得するような性質であったと思われます。
ところが信長の場合、支配に落ち度があったりすると、重臣といえども一族もろとも追放されたり支配を否定されたりすることがありました。 佐久間信盛や塙直正などの例が代表的でしょうか。

また信長の統一的支配が進むなかで、長宗我部氏の四国統一を否定するようなこともありました。
光秀は自分の足元を見つめ直すと、自らは高齢(正確には分かりませんが、信長より年上であった可能性が高そうです)であり、しかも後継者である自分の息子はまだ若年。 「自分の身にもし何かあったときに、若年の息子にこれまで通りの機内支配や織田家中の重臣の地位が引き継がれるだろうか?」 光秀は「否!」と考えたかもしれません。

光秀は亀山城から愛宕神社までの厳しい山道を歩きながら(その帰り道も)自問自答を繰り返し続けたのでしょうか。 そして、決意を固めたのかもしれません。 「自分が天下を獲る!」

 

私的雑感

<私的な雑感>
前述しましたが、光秀は信長から命じられて秀吉の中国攻めの援護出兵のための準備を亀山城で行っていました。 その合間に亀山城から愛宕山へ連歌会に向かいます。 おそらくいまの明智越えのルートを使ったものと思われます。 亀岡市街にも愛宕詣の名残もありますし、道中には史跡がいくつかありますので、当時は亀山城の城下町(旅篭町という地名も残っています)から愛宕山までの生活道や参拝道として相応に使われていたと思われます。

今回は愛宕山から明智越えルートを通って亀岡(丹波亀山城)まで出ました。 水尾の里から明智越えのルートに入るところ、また水尾から入った場合の明智越えルートの最初がちょっと分かりにくいかなと感じました。

愛宕山~水尾、明智越え~保津峡のそれぞれのルートはおそらくハイキング客も相応にいると思われますので、案内などはそれなりに設けられているので比較的安心して歩くことができます。

眺望や自然に特別に恵まれているわけではないと思われますが、古来からの生活と文化の息づいた里山の道という雰囲気を感じます。 また本能寺の変に至るまでの光秀の心中を推し量りながら歩けば、日本を激動させた歴史をよりいっそう感じることができたように思えました。

 

<旅のお友>

84_阿闍梨餅

85_阿闍梨餅・実物

「阿闍梨餅」です。 京都土産の定番のひとつではないでしょうか。
もちもちとした食感の生地と甘さ控えめの上品な餡子がお気に入りです。 手頃なサイズ感といい、行動食にぴったりではないでしょうか。
伝統を重んじる気風は大切だなーと思いつつも、変わり味で抹茶餡とかうぐいす餡とかあったら面白いなーとちょっと思っています。
「阿闍梨餅」 (京菓子司 満月)

 

<備考>
●亀山と亀岡
現・亀岡市は、旧国名の丹波・山城・摂津の国境に位置していました。 もともとは「亀山」という地名でしたが、明治に入り三重県の亀山と区別するために「亀岡」と変更されました。 そのため城の名前は当時の「亀山城」のままです。
●丹波亀山城の見学
城跡は現在、宗教団体の敷地になっていますが、許可を得て敷地内を見学することができます。 詳細については亀岡市のご案内をご確認ください。
「丹波亀山城跡の見学について」(亀岡市)

 

<参考リンク>
丹波亀山城 (Wikipedia)
明智越えハイキングコース (亀岡市観光協会)
ぶらり亀岡 (亀岡市観光協会)
山と高原地図「47 京都北山」「48 北摂・京都西山 箕面・妙見山」 (昭文社)
京都府・亀岡警察署 (※公式サイト)

 

注意

<ご留意点>
(1) URLはリンク先の運営方針等によりリンク切れなどになっている場合があります。ご容赦ください。
(2) 詳細な情報等はリンク先へご確認、お問い合わせ等をお願いいたします。
(3) 各項目は本運営者の自己の裁量で掲載させていただいております。なお、リンク先およびその記載情報等について、正確性、信頼性、安全性、有用性や合法性等を保証するものではございません。また、本ページへの掲載は、運営者のリンク先の掲載情報への賛意等を意味するものではございません。ご理解ください。
(4) 本ページの掲載内容は、諸般の事情により運営者の判断で変更されることがございます。ご了承ください。
(5) サービス改善や向上などのご意見等がございましたら、お聞かせいただければ助かります。よろしくお願いいたします。
(6) 不定期更新です。 隔月一回を目安に更新を予定しております。
(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
(9) 登山道等の状況については、適宜、現地の観光協会、ビジターセンターや山小屋などの各関係機関にあらかじめご確認くださいますようお願いいたします。
(10) 今般の新型感染症の影響で各種施設等の利用については制限などが行われている可能性があります。ご利用の際には詳細について事前に各種施設等へご確認などをお願いいたします。

(2022/02/06 上町嵩広)

 

<バックナンバー>
0001 「顔振峠と義経伝説」
0002 「柳生街道」
0003 「愛宕神社と明智越え」(前編)


この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

日本史がすき