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柳生街道 ♣山と歴史の道♣(0002)

柳生新陰流・柳生石舟斎の故地である柳生の里と、興福寺や東大寺がある奈良市街を結ぶ古道です。

<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも関係が深い山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。

 

<概要>
江戸幕府において徳川将軍家の剣術指南役を務めた柳生家。 幕府大目付である柳生宗矩(石舟斎の息子)は一万石の大名となり、故郷である大和・柳生の地とその周辺を治めました。 柳生の里にある芳徳寺は柳生家の菩提寺であり、現在も柳生石舟斎(宗厳)をはじめとする柳生一門の墓地が残されています。

全行程21km程度、歩行時間でおおよそ5時間30分から6時間程度(休憩除く)になります。

全体的に奈良市街寄りのエリアを除くと、丘陵地帯とその間の平坦な農村集落をいくつも抜けていく地形や地勢になります。 森の中の山道あり、田畑の間を縫う山里の道ありと風景や景観はバリエーションに富んでいます。

「柳生街道」 (やぎゅうかいどう)
場 所/ 奈良県奈良市
アクセス/ 柳生の里へは、奈良駅から路線バスで50分程度

 

<行程>

柳生の里看板_柳生街道
柳生交差点_柳生街道
柳生の里道標_柳生街道

今回は柳生の里(「柳生」バス停)から出発します。 柳生街道を歩き始める前に柳生の里をすこし観光してみました。 バス停のそばの交差点からまず芳徳寺へ向かいます。

もみじ橋_柳生街道
芳徳寺坂道_柳生街道
芳徳寺門_柳生街道
芳徳寺案内_柳生街道
柳生氏墓所_柳生街道
柳生石舟斎墓標_柳生街道

朱塗りのもみじ橋を渡ります。 橋は車道から民家の間の細い路地に入ったところにあるため少々わかりにくいです。 橋を渡り、右に入るとお寺に至る登り坂になります。 芳徳寺は高台にあるのですが、もともと柳生城があり、その城跡に創建されたようです。
寺内の奥には柳生石舟斎をはじめ柳生宗矩や創作の世界でも活躍した柳生三厳(十兵衛)らの墓標が集まっております。
今回はもみじ橋から山道を登りましたが、別ルートですと舗装道路でお寺まで上がることができます。 次に柳生藩家老の屋敷へ向かいます。

家老屋敷石垣全景_柳生街道
家老屋敷石垣一部_柳生街道
家老屋敷長屋門_柳生街道
家老屋敷案内_柳生街道

お寺をいったん下って、国道369号線を挟んで向かい側に旧柳生藩の家老屋敷はあります。 こちらも道路からすこし登った丘の上にあります。 お城のような非常に立派な石垣が築かれています。 長屋門も残されています。 残念ながら時間の関係で今回は屋敷の中へは入りませんでした。
さらに近くにある柳生藩の陣屋跡へ向かいました。

柳生藩陣屋跡入口_柳生街道
柳生藩陣屋跡案内_柳生街道
柳生藩陣屋跡遺構_柳生街道
柳生藩陣屋跡高低差_柳生街道

江戸時代の柳生藩にはお城はなく代わりに陣屋が置かれました。 現在は当時の建物等はありませんが、その広い敷地は屋敷の遺構とともに残されており、一部は公園化されています。
陣屋も丘陵上に設けられており、下の国道との高低差は思いのほかあります(感覚的には三階建ての建物の屋根の上にいるような感じでしょうか)。 上の4番目の写真ですと、高台の建物が陣屋跡にある公民館になります。 陣屋とはいえただのお屋敷ではなかったということでしょうか。 
この先から本格的に柳生街道を歩き始めます。 

柳生街道の道_柳生街道
柳生街道の道2_柳生街道
柳生街道の道3_柳生街道
柳生街道の峠_柳生街道

この先から細い山道となっていきます。 2番目の写真ですと、左側の下の道が国道で、右側の上の石畳の道が柳生街道になります。 山肌をトラバースするように高度を上げていきます。 20分弱登りきったところにあるのが「かえりばさ峠」(4番目の写真)です。 峠を越えて下ると田畑と集落に出ます。

柳生街道の集落_柳生街道
柳生街道の峠を振り返る_柳生街道
おふじの井戸_柳生街道

この先も柳生街道は、丘陵と農村集落が交互に出て抜けていく道になります。 2番目の写真はかえりばさ峠の丘陵を振り返ったものです。 田畑の途中に「おふじの井戸」があります。 ここは宗矩がのちに妻となる女性のおふじさんと出会った場所との伝承が残っています。 さらに円成寺へ向かいます。

切り返し_柳生街道
切り返しからの道_柳生街道
分岐1_柳生街道
円成寺道標_柳生街道

その先の集落を通り過ぎていきます。 集落内では道がいくつも分岐しますが、ていねいに要所に道標が設置されていますので、不注意で見逃さなければ道を間違うことはないかとあまり思われます。
道中にある南明寺、夜支布山口神社を通り越していくと、右手にJA(農協)が出てきますが、その手前で来た道をV字に切り返すように左手へ進む道が柳生街道になります。 1番目の写真の道の中央に分離の境界があるの分かるかと思います。 右手から出てきて左手へ入っていきます。 ちなみに右手から出てきてそのまま直進するとJAのある369号線に出て「大柳生口」バス停に出ることができます。
田畑を抜けて再び丘陵に入っていきます。 3番目の写真・右手の登り坂が正規ルートになります。 山道ですこし荒れており道標も乏しいのでちょっと不安ですが、やがて丘陵を越して、細い林道を登り切ると円成寺のある集落に出ます。

円成寺門柱_柳生街道
円成寺案内_柳生街道
お食事処里_柳生街道
円成寺の街道案内_柳生街道
国道との分岐_柳生街道

円成寺は柳生街道のほぼ中間地点になります。 円成寺には隣接してお食事処がありますので、ここで食事をしてもいいかもしれません。 季節によっては松茸うどんなどもあります。 円成寺の前を通る369号線から分かれて再び丘陵に入っていきます。 入口には案内看板があり、4番目の写真・左手の石畳の道が街道になります。

分岐2_柳生街道
分岐3_柳生街道
県道との合流_柳生街道
県道184標識_柳生街道
県道184_柳生街道
県道の道標_柳生街道

円成寺からの山道は何度か分岐しますのですこし迷うかもしれません。 1番目の写真ですと道標が倒れている左手の道を進みます。 その先もほぼ道なりに前へ進んでいきます。 やがて土の道が終わり舗装道路と合流します。 舗装道路は県道184号線です。 184号線に入り左手へ進みますが、細いわりに車両もそこそこ通行しますが、路側帯等もありませんので注意が必要です。 いくつか脇道がありますが舗装道路を峠の茶屋へ向かって真っ直ぐ進みます。

県道と街道分岐_柳生街道
峠の茶屋_柳生街道
峠の茶屋建物_柳生街道

184号線をまっすぐ進みますと、別の舗装道路と合流します。 合流地点を右手へ曲がります。 1番目の写真は合流地点を振り返ったものです。 左側へ指示されている「滝坂道」の方向に進みます。 田畑の中を行き八柱神社を過ぎると峠の茶屋です。 茶屋の建物はまるで江戸時代の旅籠のような趣です。 茶屋では甘酒などの飲み物のほか草餅などの軽食をいただけるそうです。

首切地蔵標識1_柳生街道
ドライブウェイ合流_柳生街道
ドライブウェイ標識_柳生街道
首切地蔵分岐_柳生街道
首切地蔵分岐道標_柳生街道

山の中の茶屋を過ぎると、左手に地獄谷石窟仏への道があったようですが、現在は道が荒れており通行禁止になっています。 ここから先は右手にもう春日山原始林に近づいています。 高円山ドライブウェイと合流する三叉路に出て右手へ下りていきます。 そのまま真っ直ぐ進みますと奈良の若草山へ至りますが、今回は左手の分岐へ首切地蔵に向かいます(3番目の写真の左手の下り道です)。

春日山原始林看板_柳生街道
首切地蔵と遊歩道分岐_柳生街道
首切地蔵_柳生街道
首切地蔵案内_柳生街道

春日山原始林の案内看板が出てきました。 さらに下っていくと左手は首切地蔵へ、右手は春日山遊歩道になります。 2つの道は高低の段落差がありますがほぼ並行しています。 首切地蔵に出ますと遊歩道を歩いてきたハイカーも含めて賑わっています。 首切地蔵まで来ると柳生街道も終盤です。

沢沿いの道_柳生街道
春日山大木_柳生街道
朝日観音_柳生街道
朝日観音案内_柳生街道
街道終わり_柳生街道
郊外住宅_柳生街道
奈良まち屋_柳生街道

原始林だけあって伐採から免れていたからでしょうか、けっこうな大木もあります。 沢沿いの岩壁に刻まれた朝日観音などの信仰の証がときどき現れます。 首切地蔵から40分ほどでついに住宅が見えてきました。 土の道も終わり郊外の住宅地へと入り、奈良市街となりました。 興福寺等のある市街中心部へ向かって街の中を下っていきます。 途中には町家とも呼ばれている古民家が多く残る街並みもあります。 住宅地に入り30分ほどで近鉄奈良駅あたりに出ることができます。

 

<行程表>
※所要時間は標準的タイムによる目安です(休憩含まず)。
柳生の里(「柳生」バス停)→ 芳徳寺(15分)→ 柳生藩家老屋敷(15分)→ 旧柳生藩陣屋跡(15分)→ かえりばさ峠(30分)→ おふじの井戸(15分)→ 夜支布山口神社(30分)→ 円成寺(60分)→ 峠の茶屋(70分)→ 首切地蔵(20分)→ 柳生街道入口(40分)→ 近鉄奈良駅(30分)
歩行時間/ 約5時間40分

<補足>
柳生街道は円成寺をほぼ中間地点として奈良市街寄りを「滝坂の道」、柳生寄りを「剣豪の道」と名付けられて分かれています。
奈良市街からスタートした場合、興福寺のあたりから峠の茶屋まではほぼ登りの道になります(おおよそ90分)。
JR奈良駅・近鉄奈良駅から柳生へのバスは運行本数が少ないです。週末は早朝のバス便がありません。
JR奈良駅から柳生までタクシーですと6500~7000円程度です。
部分的に傾斜の強い山道もありますが、基本的には里山トレッキングという雰囲気です。
途中に食事のできるお店やコンビニ等の売店などはあまりありませんので、飲料や軽食は持参した方がいいかと思われます(自販機はあります)。
トイレは道中の要所や観光スポットにいくつか点在しています。

 

<付近の山>
若草山
山の辺の道
吉野山
大和三山
東海自然歩道

<周辺のスポット>
芳徳寺 (奈良市観光協会)
旧柳生藩家老屋敷 (奈良市観光協会)
円成寺 (奈良市観光協会)
ならまち (ならまち情報サイト)
興福寺 (※公式サイト)
東大寺 (※公式サイト)

<お食事処>
お食事処 里 (食べログ) ※円成寺隣接
峠の茶屋 (食べログ)

<入浴施設>
敷島温泉 (※公式サイト) 奈良市街/銭湯
大西湯 ※奈良市街/銭湯

<名産品>
柿の葉寿司
葛餅

 

<私的な雑感>
日本でもっとも有名な剣豪は?と問われれば、そのうちの一人として柳生石舟斎(と息子たち)が挙げられるのではないでしょうか。
その柳生一族の故地が現在の奈良市街中心部から東へ約20kmにある柳生の里になります。

柳生氏は大和の国人として興福寺や松永久秀らと連絡のために柳生の里と興福寺周辺を結ぶ柳生街道を往来していたと思われます。 もちろん石舟斎だけではなく江戸幕府大目付となった宗矩や十兵衛なども奈良・京都へ出るためにおそらくこの街道を行き来していたことでしょう。

高名であった柳生家を訪れるために多くの武芸者もこの道を歩いていたと思われます。 創作の世界の話になりますが、吉川英治『宮本武蔵』でも武蔵は柳生を訪れています(史実かどうかは別として)。 

失礼で申し訳ありませんが、道中には名のあるいわゆる観光スポットやSNS映えするような絶景・眺望などはあまりありません。 街道は丘陵の森の中を上って下りて田畑が広がる集落に出て、そこを過ぎるとまた丘陵に入りそれを越えてまた集落に下りてゆくというパターンの繰り返しです。

しかしながら、それこそ古くからの日本の原風景ともいえる里と里山の素朴な情景ではないかと思われます。 おそらく戦国時代や江戸時代の頃ともあまり大きく変わらないであろう景観に身を溶け込ませて、奈良と柳生を往来する剣豪になった気分でこの道を楽しむことにぴったりなのではないかと感じました。

 

<備考>
●柳生石舟斎
石舟斎は若年より剣術に秀でており早くから五畿内でも名の通った剣術家であったようです。 しかし当時もっとも著名な剣術家でもあった新陰流の創始者・上泉信綱が京都への上洛の際に自らそのもとへ訪れて弟子入りし、やがて柳生新陰流を生み出すことになります。
●装備について
トレッキングシューズなどの軽登山にも対応できるシューズが最適と思われますが、ウォーキングシューズやスポーツシューズなどでも問題ないと思われます。 危険箇所や難所はほとんどありません。
●東海自然歩道
柳生街道は東海自然歩道の一部でもあり、各所に丁寧に道標が設置されていますので比較的安心してあまり迷う恐れもなく歩くことができると思われます(一部わかりにくいところもありますので地図やガイドブックは忘れずに)。 
●起点について
個人的な考えですが、柳生の里へのゴールという達成感を得たいのであれば、奈良市街中心部から出発した方がいいかと思われます。 ただ、出発してからしばらくは(峠の茶屋まで)ずっと登りが続きます。

 

<参考リンク>
柳生観光協会 (※公式サイト) 
柳生観光協会 (ガイドブック、パンフレット等) 
歩く・なら (※公式サイト) 
東海自然歩道 (※公式サイト)
奈良交通バス (※公式サイト)
柳生石舟斎 (Wikipedia)
柳生宗矩 (Wikipedia)
柳生十兵衛 (Wikipedia)
上泉信綱 (Wikipedia)


<関連記事>
柳生街道周辺の登山に関する上町嵩広の関連記事です。一部、外部サイトの記事もあります。


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(6) 不定期更新です。 隔月一回を目安に更新を予定しております。
(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
(9) 登山道等の状況については、適宜、現地の観光協会、ビジターセンターや山小屋などの各関係機関にあらかじめご確認くださいますようお願いいたします。

(2021/12/30 上町嵩広)

 

<バックナンバー>
0001 顔振峠と義経伝説




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