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顔振峠と義経伝説 ♣山と歴史の連なる道♣(0001)

源義経や武蔵坊弁慶らの奥州下りの伝説が残る埼玉県の顔振峠です。

<趣意>
山林が国土の約7割を占める日本では、山も歴史との関係が深いものがあると思われます。そんな日本の歴史とも関係が深い山を、連なった歴史とともに辿っていきたいと思います。
約5500文字(読了/約11分)

顔振峠からの眺望
顔振峠からの眺望

「顔振峠」
(“かあぶりとうげ”又は“こうぶりとうげ”)
場所: 埼玉県飯能市・越生町
アクセス: 西武池袋線「吾野」駅または「東吾野」駅から徒歩


海北友雪,Kaiho Yusetsu『源平合戦図屏風』(東京富士美術館所蔵) 「東京富士美術館収蔵品データベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/tfam_art_db-1069)

<端緒>

2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』でも物語序盤で活躍した源義経。“判官贔屓”という言葉でも知られるように今も昔も時代劇などの物語では悲劇のヒーローとして人気者です。義経は兄・源頼朝と対立して庇護者であった奥州藤原氏のもとへ逃れていきます。このときの伝説が日本各地には残っています。そのひとつが顔振峠です。

顔振峠の名称の由来は、義経一行がこの峠を越えた際にその風景の見事さに何度も顔を振り返ったから、または峠の道の厳しさに一行も何度も顔を振りながら登ったからとも言われています(諸説あり)。今回は義経一行の逃避行に加わったつもりで登ってみました。

<概要>

秩父山地前衛、飯能市と越生町の境に位置する峠。標高は約500m。
源義経が源頼朝に追われて奥州へ逃げ落ちる際にこの峠を通ったとの伝説が残る。

<国土地理院地図>

顔振峠


<登山コース>

西武池袋線「東吾野」駅
西武池袋線・東吾野駅
ユガテ登山口
ユガテ登山口
ユガテまでの登山道
ユガテまでの登山道

西武秩父線「東吾野」駅からスタートです。改札を出て県道299号線を渡って右に進み、吾那神社への階段を上ります。境内の裏手に、今回のルートの通過点となる山上集落ユガテへの登山道“飛脚道”があります。やや暗い杉林のなかを1時間程度の登りでユガテに到着です。

橋本山近辺からの眺望
橋本山近辺からの眺望
ユガテへの分岐
ユガテへの分岐

ユガテ集落の手前に橋本山という展望ポイントがあります。こちらからは南方向へ眺望があります。見える山並みは奥多摩でしょうか。大岳山や御岳山になるのかもしれません。

ユガテ標識
ユガテ標識
ユガテ集落
ユガテ集落

ユガテの地名の由来は「かつて湯が噴出していたから」とも言われているようですが(諸説あり)、現在はそのような形跡は見当たりません。春には花がきれいに咲く地域だそうです。集落の方々は畑作や林業を営んでいるのでしょうか。秩父地方はかつては養蚕が盛んであったため、このような山の中にも集落ができたのかもしれません。

鎌北湖分岐
鎌北湖分岐
林道との交差
林道との交差
エビガ坂
エビガ坂
阿寺諏訪神社
阿寺諏訪神社

ユガテ集落の畑の間を抜けてさらに北へ進みます。途中で車道とすれ違い通り過ぎるとエビガ坂とよばれるポイントに着き尾根に出ます。ここは道標にある鎌北湖方面と吾野駅(顔振峠)方面への分岐になります。顔振峠に向けて北西へ進みます。ここまで同じような杉林の道を90分ほど進むと諏訪神社に着きます。諏訪神社から南に下るとクライミングスポットで有名な“阿寺の岩場”があります。今回は顔振峠のある西へ向かいます。

顔振峠
顔振峠

諏訪神社から約30分ほどで目的の顔振峠に出ます。標高は500m程度ですが展望はそうとは思えない良さがあります。南側に広がる麓の光景が遠くまで一望できます。

顔振峠からの眺望
顔振峠からの眺望
平九郎茶屋
平九郎茶屋
武甲山
武甲山

峠にはお茶屋さんがあります。今回は「平九郎茶屋」さんにお世話になりました。外にはテラス席が中にも麓を望む景色の良い席があります。お茶屋さんで眺望を楽しみながら一休みするのがオススメではないでしょうか。テラス席に座って見える、向かって右側奥のピークは武甲山と思われます。山肌が削られたような跡が見受けられました。

義経伝説の残る顔振峠ですが、2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公である渋沢栄一の従兄弟である渋沢平九郎の足跡もある場所でもあります。彼は幕府軍に参加して新政府軍に追い詰められて最後は自決しますが、その石碑が峠の北側の地・黒山に立てられています。

顔振峠からの下山口
顔振峠からの下山口
県道299号線の地下道
地下道をくぐる

峠から南へ、西武秩父線「吾野」駅を目指して下っていきます。20分ほどで林道に合流します。そのまま林道を進み、県道299号線に突き当たります。道路を渡らなくても手前の地下道がありますので、そちらを通れば299号線をくぐるようにして吾野駅の方へ向かうことができます。

吾野宿・標識
吾野宿・標識
吾野駅への階段
吾野駅への階段
吾野駅
吾野駅

吾野は以前は秩父街道の宿場町でありました。そのことを示す標柱もあります。また古風な作りの民家も残されています。地下道を抜けて10分ほどで吾野駅に到着です。今回はここがゴールです。

<行程表>

※標準的タイムによる目安(休憩は含まず)。
西武秩父線の駅を起点終点にして半円状に丘陵を歩くルート
「東吾野」駅→ ユガテ(60分)→ エビガ坂(20分)→ 阿寺諏訪神社(90分)→ 顔振峠(30分)→ 「吾野」駅(60分)
コースタイム/ 4時間30分程度
標高差/ 370m程度

<登山コースの補足>

コースは全体的にすこし暗めの杉林の中を歩きます。
長い急登などはありません。
顔振峠は「関東ふれあいの道」の一部になります。
登山道は林道・車道と何度か交差しますが、道を少し進むと顔振峠を指し示す道標がありますので迷うことはほとんどないと思います。
●トイレや水場など
トイレは東吾野駅、ユガテ、阿寺諏訪神社、吾野駅にあります。
登山道の途中に水場はありません。
東吾野駅と吾野駅には自動販売機があります。

<難易度・危険箇所など>

大きな難所や危険箇所などはほとんどありません。


源義経、平泉館にて秀衡親子に対面之図 ※部分

歌川国芳『源義経、平泉館にて秀衡親子に対面之図』(東京都立図書館所蔵)「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)」収録
(https://jpsearch.go.jp/item/tokyo-R100000086_I000036582_00)

<源義経の奥州逃避行ルート>

源平合戦(治承・寿永の乱)で義経は“一ノ谷の戦い”や“屋島の戦い”で華々しく活躍し、ついに“壇ノ浦の戦い”で平家を滅亡に追い込みます。政治面での源頼朝の活動は別として、源平合戦での軍事的功績の第一は義経といっても過言では無いのではないでしょうか。

しかしその後、鎌倉を根拠として動かずに朝廷から距離を取って独自の武家政権としての政治活動を展開しようとする頼朝、京都に凱旋し朝廷と政治的に接近していく義経の間に不和が生じていきます。その結果、義経は頼朝から叛意ありとされて追討を受けることになります。

軍記物語「義経記」では義経一行は山伏姿になり京都から北陸方面へ出て日本海沿いに奥州へ逃げ落ちたことになっています。ただ義経記は軍記物であるため実際に義経一行がどのようなルートで欧州へ向かったのかはハッキリとは分かっていないようです。

頼朝の本拠である鎌倉とは地理的には遠くない武蔵・秩父をわざわざ通行するだろうか?という疑問があります。しかし平家滅亡後すぐに頼朝の覇権が完全に確立し浸透したわけではないため、東国武士のなかにも密かに義経に助力するものがおり、そのツテを頼って関東を北上したとしても、あながちあり得ないことではないのかもしれない。

義経の都落ちから奥州へ入るまで2年程度の時間を要しています。追われる身ですので順調に道を進めたわけではないでしょう。ときにはどこかで匿われて相応の時間を滞留したのかもしれません。このような歴史的空白や日本人の判官贔屓もあり、当時の人々からすると、見知らぬ旅人の姿を目にして「もしかしたらあれは義経一行だったのでは…」という想像から日本各地に義経伝説が生まれたのかもしれません。

義経の奥州逃避行の歴史的実証はともかく、日本各地に義経伝説が生まれたことにより、後世、その義経伝説が夢やロマンスに彩られて小説や演劇などの様々な文化芸術が数多く創造される契機となったことはたしかなのではないでしょうか。


<付近の山>

関八州見晴台
伊豆ヶ岳
武甲山
黒山三滝
関東ふれあいの道

<お食事処>

西武池袋線「飯能」駅やJR八高線「東飯能」駅の周辺には飲食店が多数あります。

<売店等>

顔振峠はお茶屋さんがあります。
吾野駅の駅前に売店がありますが不定期営業のようです。

<日帰り温泉など>

休暇村奥武蔵 / 吾野駅
祭の湯 / 西武秩父駅
宮沢湖温泉 喜楽里別邸 / 飯能駅または東飯能駅

<山小屋等宿泊施設>

休暇村奥武蔵
西武秩父駅周辺には宿泊施設が複数あります。

<そのほか補足>

休暇村奥武蔵の日帰り入浴は平日のみです。
●アクセス補足
顔振峠から黒山へ下りると東武越生線「越生」駅行きの路線バス(川越観光自動車)のバス停「黒山」がありますが、運行本数は非常に少ないです。
吾野駅・東吾野駅ともに西武池袋線・秩父線の特急は停車しません(季節限定で東吾野駅に臨時停車する便が運行されることがあります)
●お天気情報
伊豆ヶ岳 (山の天気予報/tenki.jp)

 

<私的な雑感>

ピークハントではなく峠のある丘陵を歩くコースということもあり、全体的にハイキングに近い感覚です。反面、あまり登り応えはないので物足りないかもしれません。そういうわけで秩父観光の一環として半日ハイキングというアクティビティとして組み込むと面白いかなと思いました。

この周辺の眺望に多く共通していることだと感じるのですが、南西側に奥多摩の山並みがよく見えます。このあたりは標高が高くないわりに眺望に恵まれて奥多摩や武蔵野の見晴などがよい展望地が多いなーという印象です。

現代では東京と埼玉に分かれていますが、かつては武蔵国としてひとつであり、一体的な文化的社会的領域であったのかなと思われます。たとえば東京都青梅の御岳神社を中心に御岳講という信仰が関東一円に広がっておりました。当然、かつては東京に巨大な中心軸があったわけではなかったので、秩父や奥多摩などの奥武蔵のなかで生活や交流が完結していたのでしょうか。

今回、失意のなか逃げ落ちていく義経一行の心情を思い描きながら顔振峠を登ってみました。成功者としての華やかな京都での生活を失い、血の繋がった兄との対立、愛する静御前との別離。暗澹たる気持ちの義経であったとしても、顔振峠からの素晴らしい眺望に顔を上げて賞賛し一時でも晴れやかな心持ちとなったとしても、たしかに肯けると感じました。


<山旅のお土産>

●四里餅 (しりもち)

四里餅外装
四里餅

手のひらより一回りぐらい小さなサイズの大福です。餅が多め(中の餡子(小豆)は少なめ)で甘さが抑えられた味です。餡子を楽しむより餅を味わう菓子かもしれません。個人的にはお餅好きなので嬉しいです。本来は飯能駅から離れた店舗(徒歩で行く距離ではないと思います)での販売になりますが、飯能駅の「西武飯能ペペ」の1階サービスカウンターでも数量限定で売られています。
リンク先: (さいたま逸品ぐるめぐり)

<備考>
源平合戦 (Wikipedia)
源義経 (Wikipedia)
書籍「現代語訳 義経記」 (河出書房新社)
書籍「現代語訳 吾妻鑑」 (吉川弘文館)
書籍「現代語訳 平家物語」 (岩波書店)
書籍「源義経」 (吉川弘文館) 

<参考リンク>
義経伝説と滝のあるみち (一般社団法人奥むさし飯能観光協会)
関東ふれあいの道(11)義経伝説と滝のあるみち (埼玉県)
西武鉄道で行くハイキングコース24選 (西武鉄道)※マップあり。
川越観光自動車 ※公式サイト
山岳情報 (埼玉県警察)
登山・登山道に関する情報 (埼玉県)
山と高原地図「22.奥武蔵・秩父 武甲山」 (昭文社)
飯能警察署 (埼玉県警察)
西入間警察署 (埼玉県警察)

 

<バックナンバー>
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(7) カバー写真と、今回ご紹介した山とは、関係はありません。
(8) 情報は掲載日時点の内容です。
(9) 登山道等の状況については、適宜、現地の観光協会、ビジターセンターや山小屋などの各関係機関にあらかじめご確認くださいますようお願いいたします。
(10) 今般の新型感染症の影響で各種施設等の利用については制限などが行われている可能性があります。ご利用の際には詳細について事前に各種施設等へご確認などをお願いいたします。

(2021/05/25 上町嵩広  ※2023/06/16 改訂)


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