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【糸魚川が跳ぶ】 ~すぐに結果が出ないときでも、粘り強く向き合うその先に~

こんにちは!100歳図書館の事務局メンバー【ライター担当】えっちゃんこと柴田 惠津子です!

今回ご紹介する人生最高の1枚の写真
糸魚川が跳ぶ
~すぐに結果が出ないときでも、粘り強く向き合うその先に~

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こちらは、今から40年以上前に撮影された陸上競技のお写真。“水濠”という池のように水が張られた障害物を高校生が勢いよく跳び越えています!!

お写真の持ち主は……
糸魚川462というゼッケンをつけてトップで走っている、齊藤 喜代志さんです。(写真右)

高校時代、喜代志さんは陸上部でキャプテンを務めていました。
トラック種目で最も過酷だとも言われる中・長距離の障害物競技の選手だったそうです。

新潟県糸魚川市 根知地区という穏やかな田園が広がる農村で生まれ育った喜代志さん。
現在(2021年)まで、糸魚川市役所の職員・米づくりの兼業農家という2足のわらじで、地元に貢献されています。ほかにも糸魚川・根知の未来のため数々の地域活動における中心的役割を担ってこられました。

今回は、このお写真のころ、高校生 陸上部時代の思い出から、根知での暮らし、定年退職後に描く人生まで語っていただきます。


陸上競技のお写真に込められた喜代志さんの想いを2021年3月7日 「つながる100歳図書館」で語っていただきました。
この記事では、そのエッセンスをまとめてご紹介していきます。

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陸上部で培った“半歩でも1歩でも前へ前へ”の精神

- ハードルを越えている瞬間のお写真、躍動感があっていいですね!

今から40年以上前の高校2年生のとき、新潟の上越地区で開催された大会に出場したときの写真になります。

陸上部時代の写真はたくさんありますが、なかでも、選り抜きの1枚です!


- こちらは、どんな競技になりますか?
水濠がある種目って、現在だと3000メートル障害物競走にあたりますよね。(日本陸上競技連盟公式サイトより)
陸上競技の種目のなかで、最も過酷だと言われることもあるとか……

複数のハードルと、水濠を越えて着順を競う、陸上競技のトラック種目になります。当時、わたしは1500メートルを走っていました。

写真は、水濠を跳び越えている瞬間になります。

水濠は、ハードルの下に水が張ってある障害物になりますが、深いところでは、水深が1メートル近くもあるんですよ。

しっかり跳び越えないと腰のあたりまで水に浸かってしまうので、より遠くへ遠くへ、必死に跳び越えていました。


- 過酷ですね……。ちなみに、陸上部に入部しようと思ったのはなぜでしょうか。

実は、小学生のころまでは運動が苦手で、スポーツには縁がないタイプだったんですよ。

でも、中学生になって何に血迷ったのか、野球が好きだったので野球部に入部しました。実際に活動してみたら、自分が思っていたよりもスポーツができることに気づけたんですよね。

高校生になっても野球部で活動しようと思いましたが、勉強時間をしっかり確保したい気持ちもあったので、入部しませんでした。そんなとき、校内の部活のなかでも比較的勉強とも両立しやすい運動部が陸上部で、声をかけていただいたのもあって、入部することにしました。


- 陸上部で活動してみてどうでしたか。

陸上競技は、タイム、距離、高さといった数字で、成績の良し悪しがわかるスポーツだったので、1人ひとりが持っている素質・ベースがないと、いくら努力しても一流どころにはなれないという、非常に過酷で冷酷なスポーツだなと感じました。

たとえば、1500メートルの種目であれば、5分というタイムが壁になることがあります。タイムを越えるまでには一時、頭を打つこともありますが、その後、ぐっと記録が伸びることもあるのがおもしろいんですよね。

がんばりつづければ記録が順調に伸びるばかりではなくて、記録が伸びない停滞期でも、どれだけ歯を食いしばれるかがすごく大事という。

限界をつくらずやるだけやって突破していこう、半歩でも1歩でも前へ前へ、という精神力を、陸上部での経験を通じて養うことができました。

1人ひとりのベースを、いかにできるところまでがんばって伸ばせるか。

それは、スポーツだけでなく、仕事や勉強、人生のさまざまな場面においても大事なことだと思います。

- 実際にやるだけやってみて、ここまでやったぞ、と思えることと、なんとなく頭だけで考えて限界を決めてしまうのは、ぜんぜん違うことなのかもしれないですね。喜代志さん、運動がもともと苦手だと仰いましたが、中学時代に飛び込んだ野球部で、思っていたよりも運動が苦手じゃないことを知れて、結果、高校時代で陸上部で活躍できたという、過去からいろんなハードルを乗り越えてきたんだなと思いました。


最後の試合の夜。先生と2人だけでお寿司屋に

- 顧問の先生との思い出深いエピソードもあるんですよね!

高2の秋から高3までキャプテンを務めていたのもあって、先生の手となり足となり、みたいなところがありました。練習に出てこない部員がいると、説教しろって言われて、後輩たちに説教することもありましたね。

とくに心に残っているのは、高校時代最後の県大会後のことです。

そのときわたしはよい成績を残せなかったのですが、自分としては、やり切ったなぁ、がんばったなぁ、という感じで、感動に浸っていたんです。

そんなとき、ふと、先生から声をかけられて、わたし1人だけ、夜の新潟の街に連れ出されまして。どこに行くのかと思ったら、お寿司屋さんに連れていってくれたんです。

お寿司を食べながら、先生は、ぼそぼそ話し出しました。

「残念ながら、上の大会へ行けんかったけど、お前、勉強も陸上もよくがんばったな。それが大事なんだ」と。

先生はわたしのことをよく見てくれていたんだなぁと思いました。

先生も、さらに上の北信越の大会への出場を期待していたと思いますし、ほかのチームメイトたちはインター杯など上位大会への出場が決まっていたので、わたしの気持ちを気にしてくださっていたんじゃないかなぁと。

そのとき初めて、高校3年間での想いが溢れてきて、泣けました。


- 忘れられないお寿司の味になりますね。ちなみに、顧問の先生は、なぜ喜代志さんを障害物競技の選手に抜擢したんですかね。喜代志さんのどんな素質を見抜いておられたのか気になりました。

わたしが1500メートルを走った場合、障害物のあり・なしで、タイムの差があんまり変わらなかったんですよね。

練習中はすっげぇ辛そうな顔して走っているんだけど、終わるとケロッとしていて、回復も早かったので、先生はそのあたりを見抜いていたんだと思います。


- 大変なことがあってもケロッとしている喜代志さん。その先の記録を楽しみにされているのか、ハードルを越えていくことを辛く思わないというか、楽しんでいることが伝わってきます。お寿司屋さんでは、顧問の先生といった周りの方々の言葉や期待によって涙を流されていて、当時は、部活のみんなのために、現在は、地域のみんなのため、にという、喜代志さんの共通した想いを感じました。現在の地域のリーダーとしての素質は高校時代からのものだったんですね。


ハードルを越えて全国の人とつながる糸魚川・根知へ

- もうすぐ定年退職とのことですが、2021年現在、喜代志さんが今後について考えていることはありますか?

定年退職後の第2の人生も、兼業農家をつづけながら、地元の根知地区の皆さんとの暮らしのなかで何かできることを見つけて取り組みたいですね。

それから、根知のファンを全国に広げていきたいと考えています。


- コロナ禍によって、都会以外の自然あふれる場所での暮らしに価値を感じている方々も増えていますよね。

根知の自然のなかでの生活が、都会の方々にとっての喜びや生きる力につながるような仕組みもつくっていけるといいなと思っています。

コロナ禍でも、幸いなことにわたし個人としての暮らしぶりは以前とそんなに変わっていないんです。毎日田んぼに出てトラクターに乗って元気に暮らしていますよ。

もし何かに行き詰ったり、辛いことがあったりしたら、こうやって自然のなかでゆったり過ごしてみる体験をされることもいいんじゃないでしょうか。

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- これまでずっと地域に根差したお仕事や活動をされてきた喜代志さんにとって、ふるさとってどんな存在でしょうか。

なんて言うんだろうな……。

生まれてから、ずっと育ててもらった地域だし、一緒に成長してきた仲間たちもたくさんいますので、根知では、自分が望んだ暮らしができているかなと思っています。

そして、そういう暮らしをずっとつづけていきたいと思えるような根知が、わたしにとってのふるさとです。

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- 喜代志さん、素敵なお話をありがとうございました。今、地域のリーダーとして活動する喜代志さんの根本には高校時代の陸上部での経験があったんですね!いろんな仕事・活動・勉強などを、停滞期も含め、粘り強く取り組む大切さも学ばせていただきました。また、糸魚川・根知地区、とっても素敵な場所ですね!根知にも注目していきたいと思います!

執筆:柴田 惠津子

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プロフ齊藤さん

齊藤 喜代志さん プロフィール

好きな言葉は「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」
(意味:広い知識を身につけても、自分でそれについてよく考えなければ、本当に理解することはできない。ひとりで考えるばかりで、広い知識を身につけようとしなければ、独断に陥る危険がある ※故事成語を知る辞典より)

1961年6月23日生まれ、59歳(2021年現在)
新潟県糸魚川市根知地区在住。地元の糸魚川・根知をこよなく愛し、地域の事業・活動に多数取り組む。糸魚川市役所職員、兼業農家、根知未来会議の事務局長、いーねち・ホッとプロジェクトリーダー、糸魚川の情報発信基地ジオパルの友の会代表、新潟県建築士会糸魚川支部理事、日本海あんこう文化研究会会員として活動する。趣味は、読書とゴルフ。2021年3月7日、100歳図書館に登壇

根知未来会議
https://nechimirai.com/

これまでの活動略歴:
・都市計画、公共建築、税務、地方創生などの事業
・根知青年団
・糸魚川市連合青年団団長
・いきいき根知恵の会事務局長
・根知むらおこしふるさと協会のイベント部長
・まちづくりの推進を行う奴奈川塾虹会会長
など

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