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しれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウム ④第一部 経過報告と課題提起その2

1988年に開催されたしれとこ100平方メートル運動10周年記念シンポジウムの内容を連載形式で掲載いたします。
当時のナショナルトラスト運動や環境問題への認識を共有できればという意図です。

なお、編集は当時の斜里町役場の部署「斜里町役場自治振興課」です。

内容は以下のとおりです。

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あいさつ 斜里町長 午来昌
祝辞
環境庁自然保護局長 山内豊德(報告書には全文掲載なし)
北海道知事 横路孝弘(報告書には全文掲載なし)
ナショナル・トラストを進める全国の会会長 藤谷豊

第一部経過報告と課題提起
千葉大学教授 木原啓吉
100平方メートル運動推進本部会長 午来昌
100平方メートル運動推進関東支部長 大塚豊
 100平方メートル運動推進関西支部世話人代表 笠岡英次

報告者による討論
天神崎の自然を大切にする会理事 後藤伸
ナショナルトラストをめぐる全国的な動き
会場からの質問応答

第二部基調講演
「国立公園に何が求められているか-保護と利用のあり方を考える-」
日本自然保護協会会長 沼田眞

第三部パネル討論
「国立公園の新たな保全と利用に向けて」
NHK解説委員 伊藤和明
自然トピアしれとこ管理財団事務局長 大瀬昇
中部山岳国立公園管理事務所保護課長 渡辺浩
野生動物情報センター代表 小川巌
日本自然保護協会参事 木内正敏
北海道「味と旅」編集長 山本陽子
会場からの質疑応答・総括討議

閉会にあたって 100平方メートル運動推進本部副会長 炭野信雄

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第一部 経過報告と課題提起

大塚豊(運動推進関東支部長)
戦後間もない3年間、三井農林斜里事業所長を務められ、それが縁で当初より運動にかかわってこられた。昭和54年、三井農林㈱の社長を務めるかたわら当運動の関東支部長に就任された。

大塚でございます。斜里に在住の方々には若干の顔の見覚えもあるのでありますけれども、関東、関西からお見えいただいた方にはちょっと初めての方ばかりのように感じます。

私は、昭和27年、今御紹介にありましたように斜里の三井農場の場長として赴任いたしました。あの地において土地を耕し、木を植え、牛を養い、豚を飼って生活をいたしました。農場はちょうど斜里岳と斜里平原との境目のところで、これから傾斜線になるというところであります。斜里岳をバックに見下ろした斜里平原、その向こうにつながるオホーツク海、オホーツク海という名前は大変ロマンな響きを伝える海の名前です。それを見ると本当にすばらしい。したがって私は、斜里生活中に大変にこの土地を愛する気持ちになりました。爾来昭和30年代には1年おきに、40年代には2、3年おきに、50年代はだんだん間遠くなりましたがこの地方を訪れておるという関係にあるものであります。

10年前、藤谷さんから突然、「知床で夢を買いませんか」というパンフレットをいただいた。今はもう「知床で夢を買いませんか」ということは膾炙されてしまったので、別に感激も何もないかもしれませんけれども、11年前ひょっこり「知床で夢を買いませんか」、これは何だ、「大地の行き詰まるところ」とアイヌの人が言うこの土地において、そういうしゃれたキャッチフレーズをもって何を言わんとするんだという感じでありました。というのは、今皆さんのところに、「アメリカで夢を買いませんか」というパンフレットが着いたら、どういう印象をお持ちになるだろうか、それと同じような印象でありました。開いて内容を見ました。わかりました。賛成しました。早速入ります。お金は払います。それが私の「知床100平方メートル運動」の第一歩でありました。

それから縁が結ばれたのでありますが、この斜里町であげた火の手は全国にどんどん広がっていった。東京の方にも広がるものがだんだん見えてきた。そこで藤谷さんがお見えになって、「東京で支部を作るんだ、支部長をやってもらわなきゃ困るな」と言われた。私は浅学非才でそう情熱に燃える男でもありませんでした。「私は適任者ではないですよ」と言ったのですけれども、「おまえは斜里町で生活をしたじゃないか、斜里町の水を飲んだじゃないか、その責任だ」、こう言われますと否定する何もありませんので、支部長をお引き受けして、以来今日に至っているわけであります。

初めの夢ももはや大分現実化しているところがある。もう消えてなくなるような夢ではなくて、幽霊に足が生えたようにこの夢には大地に根ざすものが芽生えてきた感じがいたします。この段階において、東京支部は一体何をしているんだという言葉があろうかと思いますが、この表で見ますように東京都が一番頭数が多く、約2割弱。
どこの都府県よりも多い数字があらわれておる。これは、我々支部の者が運動したからなんて偉そうなことを申すつもりは毛頭ありません。知床が既に斜里の知床だけにとどまらず、北海道の知床だけにとどまらず、日本の知床になった、こんなところは日本にそんなにざらにあるものじゃないぞ、本当にこれは貴重な存在だという認識が、東京の人たちにもわかってきたために、全国でブロック別に分けるとトップに位するようなものになります。人口が多いからというだけの問題ではないと私は信じております。

東京支部が何をしたかと言われるとちょっと具合が悪いのですけれども、夢の話だから眠っていいかというと、そんな馬鹿なことはないぞ、目を覚ましてちゃんとやれ、こういうお話があるかもしれません。まあ日ごろは余り熱心な、活発な運動ではなかったかもしれませんが、昨年、一昨年のように、一旦緩急があれば、これは大変だというところで東京でも会合を開き、アピールをし、心から応援をしたわけであります。その時の経過の詳細は、事務局の方がちゃんと整理してくださいましたけれども、きょうその細かいことを御報告申し上げよりも、今後の問題について討議する方が望ましいかろうと思いますので、それは省略させていただきます。

もともと夢には過去がありません。夢は常に未来へ向かって伸びるものである。上を向いて歩こうです。ですからきようのシンポジウムその他で教えられることを身に体し、心に踏まえて、将来の道に進んでいきたいと思います。

したがってそれほど特筆する活動はやっておりませんが、ただ1つ御報告申し上げたいのは、自然教室を実施しておるということであります。東京初めその近郊の子供さんをここの自然に集めて、アイヌ人が住んでいたような家に生活をし、自然の中で木の生えるところ、林間に群れ遊ぶ野生の動物を見、見上げればオジロワシ、オオワシ、片やシマフクロウというふうなものが飛ぶであろう空を眺めながらここで生活するということは、彼らの小さき魂に大変強いイソプレッションを私は与えるものだと思います。私自身の体験からいたしましても、キャンプでの自然の中の生活は印象深いもので、いまだにその触れ合いの仲間とは思い出会等を持って睦まじくつき合っております。その知床自然教室を毎年続けておる、これが東京支部の行事の皆様に御報告し得る唯一のものであろうかと思います。

別に派手なことは何もやっておりません。先ほど本部長さんのお話のように、ジャーナリズムで非常にPRされて輪が広がる、それはかつて「天声人語」に書かれた当時、非常に伸びたごとくであります。今後もメンバー一同がPRに努力をいたしまして、まず人員獲得を念願しなければならないと思います。その他どういうPRをいかに働きかけるかということは、本日午後のシンポジウムによって諸先生方が討議されるその種を心に体し、身に守って、今後の道を進みたいと思います。

東京支部も眠ってばかりはおりません。もう目を覚ましてこれから頑張りますので、よろしくお願いいたします。

大変まとまりのない報告でございますけれども、与えられた時間も使い果たしましたのでこれで失礼させていただきますが、まあ夢の話だからとりとめなくたっていいじゃないかというところでお許し願いまして、私の報告を終わりたいと思います。

東京支部も頑張ります。よろしくお願いします。(拍手)


木原
大塚さんは、今年77歳になられたそうですけれども、非常に元気で、この知床の運動も大塚さんや藤谷さんがみんな頑張っておられるので、我々もまた頑張らなければならんと思っているわけです。

今、自然教室のことをおっしゃいましたけれども、本当に私、知床の運動の教育的効果は大きいと思います。単に土地を買った、植林をしたというだけではなくて、そこに参加することで大人も子供も自然についての認識を深め、心が洗われる思いがする。そしてまた、次の時代を担う子供たちに大きな影響を与える自然教室の場を提供したという点でも、知床の運動は我が国の自然保護史上、あるいは教育史上も大きく歴史に残るのではないかと、今、大塚さんの話を伺いながら思っておりました。

続いて関西支部の笠岡さんにお願いいたします。笠岡さんは、池の坊の仕事に勤める傍ら、ずっとこの100平方メートル運動に取り組んでおられるわけであります。そのほか最近では、京都市が高いビルを建てられるように都市計画法の手続きを変えようということが進んでおりまして、これで古都京都の歴史的な景観が保たれるのかと、全国の心ある人々が心配しているのですが、笠岡さんは早くからこの問題についても取り組んでおられます。

私は、関西支部の偉いところは、知床の運動をやりながら、一方で同じ関西地区にある和歌山県田辺市の天神崎の保存運動に、本当に一生懸命になって頑張ってこられた。関西支部の活動が天神崎の運動を盛り上げる1つの大きな力になったのではないかと私は思っておるのですが、そういうことも含めまして、笠岡さんにお話を伺いたいと思います。


笠岡英次(運動推進関西支部世話人代表)
現在華道家元池坊に勤務されているが、当運動の関西支部世話人代表をはじめ、财天神崎の自然を大切にする会理事、京都府文化財保護指導委員として、自然保護の普及啓蒙にも取り組んでおられる。

関西支部の笠岡でございます。

関西支部のできましたのは1980年7月、関東支部に遅れることちょうど1年でございます。近畿地方の各府県の参加者で支部を作ってくれないかというお話を最初に持ち込まれたのが、今助役をなさっております横山さんでございまして、最初はそのお話、本当に驚いたわけです。

関西の方に関西リサイクル運動市民の会というのがございます。
これはリサイクル、商品の交換またはガレージセールを開いて市民の輪を広げている会で、そちらの高見さんと私に話がありました。
その当時、関西支部の人数が1,200人ぐらいあったわけですが、それをどういうふうに集めて支部をやっていくのか。それからもう1つ問題になったのはお金の問題です。関西というのはなかなかせちがらいですからすぐお金の話が出てくるのですけれども、一番最初はそこに困ったわけです。

しかし熱心にくどかれまして、とりあえずやりましょうということで、昭和57年7月に大阪の北御堂会館で発会式をやったわけです。
この時は藤谷さんなんかも御足労いただきまして、盛大ではなかったのですが100人ほど集まって結成式をやったということが記憶に残っております。

北御堂会館というのは芭蕉が辞世の「旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる」という俳句を詠んだ、その芭蕉の夢のかけめぐる北御堂会館で、「知床100平方メートル運動、夢を買いませんか」がスタートしたというのも、何かの因縁ではないかと今思っているわけです。

とりあえず支部は発足したのですけれども、何分ちょっと未熟児的なところがありまして、なかなか運動がうまく進まない。
総会の席上、私のところは世話人でやろう、世話人は公募でみなさんにお願いしてやってもらおうということで進めたわけです。

10人ほどの世話人においで願って進めていくわけですけれども、近畿は2府4県ございまして、大阪、京都、滋賀、兵庫、和歌山、奈良とかなり範囲が広いわけで、みなさんに寄っていただく機会がなかなか持てないわけです。

それと全員がボランティアであるということでやってきたわけです。会をやりますから来てくださいと言ったって、旅費が出るわけじゃなし、晩御飯が出るじゃなしで、すべてボランティアでやっておりました。そういうことから、再々お集まり願うのも御迷惑ではないかということで、運営は非常に難しかったわけです。

そこで、先ほど言いましたように関西リサイクル運動でやっておりましたガレージセールをやって資金を集めようじゃないかということになりました。電話1つするにしても電話代が要りますし、葉書を出せば葉書代が要ります。そういう費用からまず集めていかなければ、どんな運動もうまく発展しないということは、私もほかの会をやっておってよく存じておりましたので、まずそこからやろうということで、ガレージセール、いわゆる不用品の販売から始まっていったわけです。

運動参加者の方にお願いしまして、皆さんのお宅で眠っているものがあれば送ってください。それをこちらの世話人が会場で売って資金に充てたり、またお金がうまく集まれば、それで知床の夢を買おうというキャッチフレーズを出しましてやったわけです。

おかげさまで、1、2年たちますとそこそこのお金がたまってきまして、3年目に第2回目の総会を関西支部でやった時には、皆さんから預かったお金で、関西支部として10口分、80,000円で買ったわけです。これは、総会の席上で時の町長さんから登録書を伝達していただくというイベントもつけておこないました。

しかし、いつも人様の善意に頼っているのは限界がありますので、私たちの方で何か別にオリジナルな商品を作ったらどうかという意見も出てきます。大阪はいろいろな階層があり、世話人も主婦の方からOLから学校の先生から、私みたいな会社員からいますので、アイデイアはどんどん出てくるわけです。そういうことで始めましたのがオリジナル商品作りです。

しかも運動のイメージにちゃんと即したものでなければならないということから考えましたものがTシャツを作ってみようかということです。今、会場の表にも出ておりますけれども、こういうTシャツを作ったわけです。このクマのイメージで、まず斜里を、知床をイメージするということ

。もう1つナショナルトラスト運動であるということから、イギリスのナショナルトラスト運動の趣旨を書きました英語版のものも作りました。この英語版はわりに若い人に受けたわけです。こういうところから始めていったわけです。

このTシャツも、生地からプリントから、みんな奉仕的に私がやりましょう、安くそういうものを提供しましょうという方が運動の中にいらっしゃいまして、そういう方のお助けによりまして、こういう商品が格安にできた。これを売ることによって運動の資金ができる、また我々事務局の仕事ができやすくなるということで進めていったわけです。

お金がまとまってきますと、何かしないとみんなに叱られますからと始めたのがナショナルトラスト講座です。偉そうな名前をつけていますけれども、そんなに大したものではないんです。1回目から現在まで4回続いております。

それから、先ほどちょっと木原先生から紹介がございました天神崎の運動との提携です。これは今から6年前、この知床でシンポジウムが行われました時に、初めて天神崎の運動が同じ地元の関西にあるんだということを知りまして、地元でこんなに頑張っているのに、我々が何もお手伝いしないわけにいかんじゃないか、一緒にやりましょうかということで手を組んだわけです。
以来、先ほど大塚先生からは知床で自然教室を子供たちのために行っているという話がございましたけれども、我々も本当は知床で自然教室をやりたいんですが、関西から知床は余りにも遠過ぎましてなかなか人が集めにくいのと、費用が高くつくのと、時間的にもかかりますので、とても知床ではできないから、天神崎へお邪魔して、向こうのすばらしい自然をベースに子供たちに自然の大切さを認識していただこうということで、天神崎の後藤先生にも大変御迷惑をかけているのですけれども、これも毎年、今年で4回進めております。

その中でまた新しい商品を、2、3年前から爆発的に出ましたテレホンカード、これもシレトコスミレとシマフクロウの2種を作りました。
このテレホンカードというのは利益が非常に薄いんです。一枚作って原価800円で売っていたら全くもうからないんで、1,000枚ぐらい売らなければ1ロ買えない値段なんですけれども、これはPRも兼ねて、こういう運動がありますよということで皆さんに知っていただく。「8,000円はよう出さんけれどもテレホンカード800円なら買うわい」という人の善意を集めて、また運動の方に参加していこうと思って作ったわけです。

そうした中で起こったのが国有林の伐採問題、去年、一昨年の問題です。我々としましては、全くもってけしからぬ話だ、我々は知床100平方メートル運動とは言うものの、本当は知床全体を守ってほしいから買ったんだという認識もございましたし、また会員さんの中からもそういう声が随分出てきたわけです。
向こうは国有林だからいいじゃないかということはけしからぬ、我々は知床全体を対象として夢を見ているんだということで、それに取り組まなければならないというので、一昨年の8月末には、本部長を含めて林野庁並びに営林支局の方に、関東支部と連名で中止を求めるアピールを出しました。その後、関西と関東が2つの目玉を持って交互に集会を開くということで、その場で伐採反対のアピールを出して、その時分から関東支部との間がかなり近づいてきた。

それまでは疎遠で申し訳なかったのですけれども、非常に国立公園の伐採は不幸な出来事ではありましたけれども、そういうことによって我々の間が密接になったり、また日本における自然保護の問題点が見直されてきたということでは、災い転じて福となしたという気がいたしているわけでございます。

これからの問題といたしましても、新しく自然センターができまして、財団もできたということでございますけれども、そういうものも含めまして、我々は去年の植樹の時にも、関東支部と関西支部合同で、「自然トピア知床計画」に対しまして、マイカー規制を一番最初に、しかも厳重にやってもらわなきゃ困るというアピールを出しております。
先ほど環境庁の局長さんも藤谷さんもおっしゃっていましたけれども、やはりマイカー規制をきちんとしなければ、国立公園の自然は守れない。
だから幾らそこにセンターを作ったり100平米運動ハウスを作っても、自然そのものが壊されていく現状の中では意味がないじゃないか。まず第1にマイカー規制だということを去年の植樹の時にも関東支部と一緒にアピールさせていただいております。

そういうことで、マイカー規制によって知床の自然をいつまでも守っていきたい、それがこの運動を支えていただいている皆さんに対する1つのお返しじゃないかと思っておりますので、そういう点につきましての皆さんの御意見を承りたいと思っております。

よろしくお願いします。ありがとうございました。 (拍手)


木原
関西の方々は非常に実際的といいますか、先ほどお見せになったTシャツとかテレホンカードを作りながら資金を作って、運動をどんどん広げていく。
私どももずっと関西支部の動きを見ていて、なるほどこれも新しい自然保護運動だなと思っているわけです。そして、例の国有林伐採問題でも非常に敏感に反応を示して、世論をリードしてこられたように思っております。

今のお話でもありましたとおり、関東支部と関西支部が、それまでは余り関係がなかったのが、ああいう事件がきっかけになって非常に危機意識を持って非常に両方の支部が緊密になったということは、雨降って地固まるじゃないですが、かえってよかったんじゃないかと思います。

あれほど国有林伐採問題で全国的に注目を浴びたのも、やはり知床の原生自然を守ろうという30,000人もの人が、ずっとこの10年間この運動を支えてきたということがあったからこそ、ああいう問題が注目され、そしてこれからの林野行政も、自然保護についてもっと配慮しなければならないということを自覚したのではないかと思います。この知床の運動がなかったら、簡単にこの問題は押し切られてしまっていたのではないかと思います。

私ども、後で基調講演してくださる沼田先生と一緒に林野庁の自然保護問題についての検討会に出ておりまして、知床の100平方メートル運動を支えてきた本当に名もないおじいさん、おばあさん、子供たち、そういう人たちの声を今や国政は無視することはできない。むしろそういうものに学んでいかなければ、これからの林野行政も自然保護行政も展開できない時代に来たということをひしひしと感じました。

ですから、60年代、70年代の住民運動が、もう既に壊れかけた、あるいは環境破壊が始まったところで、これはいかんと立ち上がってやる形なので非常に激しい形をとらざるを得なかったし、とったからこそまたああいう環境が守れたのですが、これから80年代、90年代の自然保護運動というのは、知床の運動に見られるように、10年、20年という地道な運動があり、だからこそ、ああいう時に大きな力を発揮できるのではないかという印象を持ちました。

先ほどから午来町長の報告も伺ったのですが、午来町長は、先ほどのあいさつの中で、ハード面についてはいろいろな施設ができ、組織も確立した、今後はソフト面だということをおっしゃいましたけれども、その中でマイカー規制の問題なども取り上げておられるわけです。これについて町はどういうふうに取り組んでおられるのか、その辺からお伺いしたいと思います。


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