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百卑呂シ随筆

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2023年10月の記事一覧

黒歴史の正体、浄化

 19の時に暗黒詩を書いたキャンパスノートが大変な黒歴史書になって、懐かしさと恥ずかしさの間でずっと処遇に困ってきたのだけれど、最近ようやく使い切った。  暗黒ページを破り捨てて、残りのページは写経ノートとして、主に夏目漱石と内田百閒の文を書き写した。文豪の力を借りて黒歴史を浄化した形である。  浄化の後で、黒歴史も美しい思い出も実は捉え方が違っているだけで中身は同じなのかも知れないと思った。 ※  毎日更新も365日で一区切りだろうと思っていたが、気付けばとうに過ぎて

訃報で浮かぶ情景

 訃報を聞いて、副店長だった頃のことを思い出した。  ある時キッチンで仕込みをしていたら、店長の倉本さんがBUCK-TICKについて語り始めた。何の弾みか最近ハマって、アルバムを1枚ずつ買い集めているという。 「副長、BUCK-TICKはいいぞ」  副長とは副店長のことである。新撰組みたいで、この呼び方だけは好きだった。 「いいって、どういいんですか?」 「どうって、とにかくいいから聴いてみろよ。僕は狂っていた〜♪ だぜ?」 「意味がわかりません。D'ERLANGERの方

鼠おばさん

 娘が小学校に入って最初にできた友達がNちゃんだった。何だかチワワに似た子だった。  Nちゃんは集団登校の班が一緒だから、母親同士も登校初日に知り合った。妻とN母はそれからずっとママ友として交友を続けている。  何かの折に妻からN母に紹介されたが、顔が鼠だったから驚いた。頭の上に耳があって、顔中灰色の毛に覆われている。 「こちら、Nちゃんのお母さん」と、妻は何事もないみたいに言うけれど、どう見たって鼠である。  戸惑いながら「…あ、どうも。お世話になってます」と挨拶したら、

蜂殺し、別れ

 中学生の頃、一時期毎日家の中へ蜂が入って来た。どうも近くに巣ができたらしかった。大体、一日に一匹の割合で来るのを殺虫スプレーで殺していた。  蜂をスプレーで殺す際は、怖がって遠くから中途半端に吹きかけると、逆に怒った蜂の反撃に遭う。しっかり間合いに入って存分に薬剤を浴びせる必要がある。  一度、うっかり遠くからやってしまったら、物凄い勢いで向かってきた。驚いて逃げたけれど、追いつかれて左肩にポツッと当たる感触があった。それで必死になって、肩が薬液で濡れるぐらいスプレーを噴

誤発信、美容師

 土曜に取引先のKさんから仕事用の携帯電話へ着信があった。今朝折り返したら、先方ではかけた覚えがないと云う。どうも誤操作でかかったものらしいと謝ってきた。 「なぁんだ、一昨日の土曜に着信があったものだから、何かと思いましたよ」と笑ったら、彼は「あ!」と不意に大きな声を出す。 「土曜ですか、いやぁ、百さん、すみません。それもしかしたらうちの孫かもしれないです。テーブルの上にスマホを置いてたら、ときどき勝手にいじるんですよ」 「それじゃぁ、お孫さんによろしくお伝えください」

暗示にかかる人、甘い珈琲

 先日受けた健康診断で、胃が荒れているとの指摘を受けた。 「症状あるでしょう?」と医師が云うから、「別段ないようです」と答えたら、「じゃぁ、こういう胃なのかな」と納得された。医師は梶原一騎に似ていた。  それでおしまいならばいいけれど、きっと後から再検査を受けなさいという書面が来るに相違ない。  再検査の中でも、胃の内視鏡だけは嫌だ。前に受けた時、鼻から通せば苦しくないと職場の小澤さんが教えてくれたから、病院にそう云って鼻からやってもらったら、普通に苦しくて随分がっかりした。

蜂殺し、徒競走のアドバイス

 近頃の小学校の運動会は児童が椅子に座って観戦するけれど、自分らが子供だった頃は地べたへ直に座らされていた。  小3の時、その観戦席(地べた)へ、蜂が一匹飛んできた。 「おわっ、蜂じゃ!」「うわっ!」とか騒ぎながら、みんなで矢継ぎ早に砂を被せて、あっという間に砂山ができあがった。蜂は埋もれて、出てくる気配はない。何だか呆気ない気がしたが、やっつけたという達成感があった。  そこへ担任が仏頂面で現れて、「砂遊びをすな!」と駄洒落のようなことを言った。 「蜂がおったけ、埋めたん

羊羹の道

 何の弾みでそうなったものか覚えていないけれど、コンビニで売っている100円ぐらいの羊羹に、一時期随分ハマった。  朝、出勤途中にコンビニへ寄ったら珈琲と一緒に買ってしまい――珈琲と羊羹は存外相性が良い――、仕事帰りには「今日は大いに頑張ったから自分にご褒美だ」とか「今日はあんまりしっくり来なかったから、明日からの仕切り直しに」とか、都合のいい理由をつけては食っていたものだから、随分太って、昨年の健康診断でメタボ認定を受けた――それからダイエットした――。  今はもうコンビ

紅茶の味、品のないマダム

 大学時代はよく喫茶店へ行った。一人で喫茶店に入って時間を過ごすのが、何だか大人になったようで嬉しかったのだと思う。  行きつけの店はいくつかあって、大抵どの店でも紅茶を飲んでいた。珈琲だと1杯で終わってしまうけれど紅茶はポットで提供されて3杯分ぐらいあるから、というような理由で、別段紅茶が好きだったわけじゃない。  そうして4年間、紅茶ばかり飲んでいたのに、味の違いは未だに渋いか渋くないかぐらいしかわからない。まったく通い甲斐のなかったことだと思う。  ただ、この喫茶店通い

zilch、借りパク

 仕事帰りに、10年ぶりぐらいでzilchを聴いたら松川さんのことを思い出した。 ※  松川さんは自分が大阪に住んでいた頃の飲み友達だった。  ある時、いつものように音楽のことなど語り合いながら飲んでいたら、お薦めのCDを3枚ばかり貸してくれと云ってきた。  自分がメタル愛好家であることは既に知られていて、そのものズバリを持って行っても面白くないと思ったから、敢えてちょっとずらしたのを3枚選んで渡したら、「全部予想外だった、面白かった」と大いに喜ばれた。zilchもその中

父になる

 先日、妻が一人で出かけたものだから、久しぶりに娘と二人で外食した。  幼い頃にはよく一緒にうどん屋とかマクドナルドへ行ったけれど、プチ反抗期が始まった辺りからはあんまり行かなくなっていた。  娘は行く店ごとに、いつも注文するメニューが決まっている。この日はガストへ行ったから、チーズインハンバーグを食べた。いつも同じ物ばかりで飽きないのかと問うても、飽きないのだと云う。  あんまり冒険をしたがらないところは自分に似たのかもしれない。 ※  自分は幼稚園に上る前、父の勤め先

万年筆、手跡、教師

 仕事で10年ぐらい愛用している万年筆の、書き味が近頃変わったように感じる。  何だかざらっとする。紙との相性とか、自分の気のせいかも知れないが、60年前の骨董品だからそろそろ悪くなっても不思議はない。  だから同じ物をもう1本予備に持っておくつもりで、ヤフオクで何本か見繕った。メルカリはあんまり好きじゃないから使わない。  職場で、ペン先があんまり大きくてギラギラしているのを使うと、陰で『小説家』とか『調印式』とか云われそうで具合が悪い。  その点、昔の物は見た目がこじん

東京駅

 明日、新幹線で東京へ行くことになった。  東京駅は外観がレトロなのがいい。おかげであそこへ行くと妙にノスタルジックな気分になって、ちょっとした異世界気分が味わえる。  今はあんまり行かないけれど、一時期ほとんど毎週、大名古屋と東京を行き来していた。  仕事には違いないけれど、全体どういう用件でそんなことをしていたものか、もう覚えていない。あるいは毎週でなく毎月の間違いだったかも知れない。それなら何となく用件の見当もつく。  ある時、帰りの新幹線まで時間があったから構内の

天井裏

 小学4年生の時分、何をどうしようという話だったかは忘れたけれど父が押入れの点検口から天井裏に上がった。自分は天井裏なんて見たこともなかったから、興味を持って父の後から覗いてみた。  薄暗い中に柱が何本か見えた。父はそのうちの一本に懐中電灯をぶら下げて、何かの作業をやっていた。何だか、妙に懐かしい気がした。  随分昔にもこんな光景を見たことがある。あの時は父一人でなく、近所のおじさんやお兄さんたちも集まって、裸電球の下、板床の上で祭りか何かの準備をしていたように思う。  ど