K.U.

「感じること、想うこと、文にしてみよう」

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最近の記事

山種美術館「速水御舟と吉田善彦〜師弟による超絶技巧」

たとえば、ドラマ・映画・美術などのコンテンツに触れ感動したとき、この自分の中から噴き出し漏れてくる感情のマグマを何かに昇華させたいと思う。人に話したり、文章で表したり、ネットで同様の感動コメントを探したりする。 一方、深く感激をして心動かされたけれども、その余韻をいつまでも静かに味わっていたいと思う種類の感動がある。言葉で整理したり、表現して外に出すというより、 じわじわと自分のなかにその作品が染み渡っていくのを味わっていたい。 その作品に再び出会えたときに、「また会えた」

    • モーリス・ベジャール・バレエ団2021年日本公演「バレエ・フォー・ライフ」

      フランスのバレエ団モーリス・ベジャールがクイーンの楽曲とコラボした演目を観てきました。 ふとSNSのタイムラインに流れてきた、東京文化会館のお花の美しさと、The show must go on! のタイトルに惹かれて気まぐれに足を運んでみただけだったものの、、全身が生まれ変わったような感動に包まれて帰ってきました。 クイーンの曲って、フレディ・マーキュリーの声って、イヤホンで自分の耳に閉じて聴くより、ライブ会場や舞台で聴くことで何百倍も心に響く。 元の楽曲の素晴らしさ

      • 東京国立博物館「聖林寺十一面観音」

        雨のせいか人の入りがとても疎らだった今日。 近くにいくらでも寄ることができるのに、 畏れ多くてじりじりとしか近づくことができませんでした。 暗がりのライトアップのなか、すくっと世界や我々民を見据える姿に、宇宙的なもの、圧倒的な高さと存在感、何か霊的なものを感じて、身体がぴたりと動かなくなるほどで、、 私だけでなく、その場にいた人達が恐らくみんなそんな様子で、この観音様を息を殺して仰ぎ見上げているようでした。 ああ、こうやって何百年も前から、何百何万人といった人達の瞳から放

        • 東京国立博物館「特別展 桃山 天下人の100年」

          おそらく初めてだった。作品の前で身動きがとれず、涙がボロボロ出て止まらなかったのは。。 こんなにも紙面や画像でみるものと、本物が違うものとは知らなかった。 間近でみる長谷川等伯の「楓図壁貼付」は、色が剝げかかっている箇所から下書きや縁取りが見えて、それがかえって「そこを等伯が手を動かし描いていたのだ」ということを訴えているようで、生々しくて美しい。 美しすぎるけど、どうしてこんなに悲しいのだろう。 豊臣秀吉の愛児秀松の死を弔い建立された、祥雲寺に飾られたこの絵は、勿論

        山種美術館「速水御舟と吉田善彦〜師弟による超絶技巧」

        • モーリス・ベジャール・バレエ団2021年日本公演「バレエ・フォー・ライフ」

        • 東京国立博物館「聖林寺十一面観音」

        • 東京国立博物館「特別展 桃山 天下人の100年」

          「教養としてのお金とアート」山本豊津、田中靖浩

          一見対極にあるようなものが、実は時や空間の概念を越えて密接に繋がっている。その繋がりがみえてくると、価値と価格の本質に気づくことができる。 古今東西を問わず、それこそダヴィンチ、メディチ家、生類憐みの令、フェルメール、ペスト、産業革命、ゴッホ、ピカソ、草間彌生、落語、算盤、アラビア数学…みんな出てきてみんな絡み合っている。 ダビィンチがなぜ数学的目線で物事を写しとっていたのか。金利と宗教の関係性は。浮世絵は日本で捨てられなかったら今の地位は無いのか、、等。 美術画商と会

          「教養としてのお金とアート」山本豊津、田中靖浩

          「美しき愚か者たちのタブロー」原田マハ

          「タブロー(仏: tableau)とは、壁画ではなく、板絵やキャンバス画を指す。また、絵画に於いて完成作品を指す言葉でもある。訓練としてのデッサンとは対称を成し、完成を目的として制作されたもののことを言う。--Wikipedia」 国立西洋美術館が作られる元となった、松方幸次郎のコレクションを巡る物語である。 戦前の名士で人間的魅力溢れる実業家でありながら、フランス絵画を始めとする膨大な貴重コレクションが終戦時にフランスに押さえられ、ついに生前、自身のコレクションを手元に

          「美しき愚か者たちのタブロー」原田マハ

          「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一

          アルコール度数は決して低くないのにクイクイ飲めてしまうお酒がある。マッコリ風の日本酒など、、。 そんな類の読了感だった。 新聞記者として1970年代のベトナムに赴任した作者が、現地で娘のいる妻と結婚しサイゴンの長屋町で生活を営み、サイゴン陥落後は妻子と日本に暮らす様子をエッセイとして描いている。 この奥さんが大変魅力的なのである。 ベトナム戦争の大変な歴史に間違いなく翻弄された市井の人々のひとりである奥さんが、ナチュラルにたくましく、生きるや食べるを第一義に、家族を支え

          「サイゴンから来た妻と娘」近藤紘一

          「教養としてのロンドン・ナショナルギャラリー」木村泰司

          本書を読んで1番印象に残ったのはロンドン・ナショナルギャラリーの成り立ちそのものについて、その存在意義について。 美術館は王家や国が所有している美術品を解放しているものが多いが、本ギャラリーについては、英国市民がヨーロッパの美術史を学べるよう、有志から寄贈された美術品群が、歴史の流れに沿って網羅的に並べられており、 美術館自体がある意味無料の教育機関としてそこに在る。 敢えて英国ではなくヨーロッパを含んだ美術品群というところがミソ。英国は他国に比べ美術史歴史は浅く、主にイ

          「教養としてのロンドン・ナショナルギャラリー」木村泰司

          「怖い仏教」平野純

          またひとつ、違う世界を知ってしまった。 本書は仏典のうちの一つ、初期仏教の教団向けに書かれた「律蔵」(〇〇してはいけない等の修行僧向けのルール)を読み解くかたちで、ブッタや周りの僧侶たちの当時のあり方に迫る。 〇〇はしてはいけない部分が、動物と交わってはいけないなど、ゲテモノ事例が多く仰天してしまうのだが、当時の新興宗教であった仏教の状況を読み解くと、なるほど…と思える内容もしばしば。 およそ2500年前、「不浄」「無常」(死んだら何も残らない。今の肉体に執着するな。)

          「怖い仏教」平野純

          「一九八四年」ジョージ・オーウェル

          「優れたSF小説が地球の未来を言い当てる」 設定や年代などの違いなどはあれど、コロナ禍で沢山の映画や漫画作品が、この人災を予言していたとしてピックアップされ、書店に積まれている。 本作品はウイルス災がテーマではないものの、「人が自由に思考する、行動することを手放し、とある安全(戦争、天災、人災)の為に、支配層に監視管理されることをよしとすると、どんな顛末が待っているのか」を冒頭から結末まで嫌と見せつけられる小説である。 さもありなん、だから、怖い。 考える、って何だろ

          「一九八四年」ジョージ・オーウェル

          「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」秋田麻早子

          名画が名画である理由を、 「どう目線を動かして見るようできているか」「どう目線を主モチーフに集めているか」「人物達の目線や手の位置がどこにあるか」「光の当たるポイントがどこに置かれているか」「色の境い目はどうなっているか」などのフレームを用いて、流れるように導いてくれる。 実際の名画を用いて、絵の見方を演習しながら読み進めていく形式だが、難しい知識やウンチクで立ち止まってしまうことがない。一歩先の美術の世界に、手を繋いで連れていってくれる。 一見地味な風景の「落穂ひろい

          「絵を見る技術 名画の構造を読み解く」秋田麻早子

          「コーランを知っていますか」阿刀田 高

          「無性に旅をしたくなった」 読了後の感想である。「異」なものに触れてみたいなぁ。世界は自分の知らないほとんどのことで出来ている、って自分の目で確かめてみたい。 イスラム教のことも殆ど知らないのだけれど、改めて一神教と多神教の違いが大きすぎて、よく日本で報道イメージされるイスラムとキリストの対立や、イスラムのなかのスンニ派とシーア派の対立などは、意外と大きな宗教観の中では些細な(といっていいほどの)サイズ感のことなのかもしれない。 彼らからすると、多神教的たくさんの形づけ

          「コーランを知っていますか」阿刀田 高

          「フィンランド人はなぜ午後4時に 仕事が終わるのか」堀内都喜子

          2020年1月に発行された本だが、こんなにもコロナ以前に読むのと今読むのとでは、捉え方が180度変わりそうなものも無いと思う。 以前だったら「家族やプライベート時間、自然との関わりを大切にしながら仕事もこなしGDPや幸福度が高い」って夢物語や異世界のようにしか捉えられなかったと思う。 でも今ならよくわかる。人間らしさや心地よさ、本当の幸せとは、を突き詰めないと人って生きている意味がない、いい仕事ができない。 ここ数年時たまフィンランドの方々とのやり取りもあり、他の海外の

          「フィンランド人はなぜ午後4時に 仕事が終わるのか」堀内都喜子

          「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ

          狩猟時代から農耕時代に移って、産業革命があって、、当たり前に人類は進化してきたしこれからさらなるICTとの進化が待っている、、のだろうか。果たして人間って戻ることなく成長し続けていくのだろうか、進化という名の右肩上がりの階段をかけ上がっていくように。 狩猟民族時代、人間は必要な分の食べ物を採集し、必要な場所に必要に応じて移動し、小さな集団で暮らしていた。木の実や動物や自然に関する知識や、それらと共存する知恵や力も圧倒的に持っていた。農耕時代にはじまる固定した土地での集団生活

          「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ

          「哲学と宗教 全史」出口治明

          ずっと終わっていない宿題が頭の片隅にポツン、ポツンと染み付いているような感覚がありました。この本を読了するまでは。 ジョン・ロック、アイザック・ニュートン、イマヌエル・カント…錚々たる名前はなぞったことはあったけれども、具体的に何をした人なの?どの時代にどんな意見をもった人として位置付けられるの?昔々の人たちなのに今も名前が光り輝くのはなぜ、、? 気になってはいたものの、それぞれの古典名著には手が出ず。。 本書は古今東西の思想家、宗教家、哲学者をプラトンの時代から紐解い

          「哲学と宗教 全史」出口治明

          「国立西洋美術館-ロンドン ナショナル ギャラリー展」

          「こんなにも鮮やかな黄色を貴方は待っていた」 恐らく情熱的で、力強いタッチで、少し狂気じみたインパクトを感じられる作品なのだろうな、とは頭では分かったつもりになっていたのです。ヴィンセントさんごめんなさい。何も知りませんでした。こんなにもただただ美しい黄色のひまわりが存在することを。 想像していたよりも大きくて、鮮やかな彩りに目や身体が釘付けになりました。 思えばコロナでしばらくこんなにカラフルな本物の美に触れられてなかったからか、照明や配置デザインの妙なのか、絵の放つ

          「国立西洋美術館-ロンドン ナショナル ギャラリー展」