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東京国立博物館「特別展 桃山 天下人の100年」

おそらく初めてだった。作品の前で身動きがとれず、涙がボロボロ出て止まらなかったのは。。

こんなにも紙面や画像でみるものと、本物が違うものとは知らなかった。

間近でみる長谷川等伯の「楓図壁貼付」は、色が剝げかかっている箇所から下書きや縁取りが見えて、それがかえって「そこを等伯が手を動かし描いていたのだ」ということを訴えているようで、生々しくて美しい。


美しすぎるけど、どうしてこんなに悲しいのだろう。


豊臣秀吉の愛児秀松の死を弔い建立された、祥雲寺に飾られたこの絵は、勿論天下人にふさわしい華やさと厳かさを掲げ、鎮魂を捧げるために描かれているのだろう。

でもきっとそれだけではなく、同じく傍らでこの楓図と並ぶ「桜図」を命を燃やしながら描き、作品の完成とともに急逝した若き息子、長谷川久蔵を想いながら描いたのではないか。


こんなにも全身に悲しみが現れている。表しているだけでなく、現れて滲み出てしまっていて、みていて涙が出てくる。


久蔵が同寺に捧げた桜図は、華やかで美しく、同じく秀松への鎮魂の意味も込められながら、どこか清々しい。「俺はやり切ったぞ」という若き絵師の快叫が聞こえるようである。
(こちらは出展されてない為いつか実見してみたい。)

一方の楓図は、儚くも確かにそこにあった息子の存在を、草花のひとつひとつや木の枝の先々に託し、魂を込めて描かれているように思えてならない。


そしてなんとも贅沢なことに、楓図の隣には等伯の「松林図屏風」が並んでいる。

一見寂寥感漂うものの、こちらの方が、等伯の「やり切った境地」が感じられるから不思議である。

ライバルとして名高い狩野永徳も、沢山傑作を残しており、本展にも数点飾られているが(そして「唐獅子図屏風」も「洛中洛外図屏風」もとても素晴らしい)、


永徳は果たしてこの「自分が描きたかったものを自分だけの為に描き切った境地」に達していたのだろうか。


巨匠たちの作品が居並ぶなかで、こんな風に、なんとも贅沢な妄想や想像が頭の中を駆け巡った。

心は胸を打たれ、色々な角度や距離から作品をみるべく目を動かし足を動かし、心身を大変忙しくはたらかせ、堪能したひとときだった。

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