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部屋


とっちらかっている。


なにがって頭の中が。絵を描き始めると部屋もそうだ。自分の内面をそのまんま表しているようで、気持ち悪いし困ってしまう。

とっちらかっている。なにがって心の中が。明確に示すのが苦手だ。大袈裟でもなんでもなく、私にとっては本当にそうなんだ。いつでも色々なことはなんとも言えないものばかり。グレ−なことばかりに目も神経も飛んで行って、自分がやっていることを表す時でさえ、私はとっちらかっている。はっきりと答えられず、相手の首を傾げさせて、それに私もまたつられて余計に。なんて滑稽なやり取りだろうと思う。



「何の人ですか?」



自分でもわからないです。自分のことだけれど、自分でもそれを自分に聴いてみたいって、そう思って何かしていることが多い。そういうことです。



「趣味は?」

「好きなことは?」

『わからない……』

「えっ」



尋ねてきてはいても、恐らく予想はあったろうと思う。特に、私のように ”表に何かつくったものを出していますよ” という人に対しては。表に出している ”それ” が ”好きなもの・好きなこと” であると。質問というより答え合わせのようだなあと、今これを書きながら改めて思ってみる。

思い返してみれば、展示や出展をしていても、ずっと絵を描いてきたはきたけれど、言うほど情熱的ではないような気がする。好きと言っていいのかがわからない。情熱的ではない気がして、よくわからない。「楽しいか」と聴かれればなんだか自信を持てないし、「では苦しいのか」と聴かれれば、『苦しい』と答えてしまうから。それを辞めたいかと聴かれると『うん』とは答えられない。『捨てがたい』と、そう思う。



「休みの日って何しているんですか」

『……寝ています?』

「えっ」

「休みの日も絵を描いているんですね」

『あっはい。や、そんなこともない……?そんなことある??えっわからない』

「??」



絵を描いている、し、たまに出している、けれど、そんなに言うほど描いてはいない、ような。私のあの感じは、はたして “描いている” と答えるほどの ”描いている” 、なのか。絵を描く際は何が参考ですか。憧れの作家や目標は誰ですかありますか。どの質問も、はっきり明確に答えられない。

手っ取り早く使えるのは。一番勝手にできるのは。傷付いても傷付けても最小でいられるのは。遠慮なしでぶつけられるのは。一貫してやり続けていたこと、と思い浮かべる。やっぱり浮かんでくる。

”自信” というものについて、人と比べるものではないだとかなんだとかも近頃は耳に目にすることも多いけれど、自分の詳細を知るにはやはり、比較対象というものはどうしても必要になるものだと思う。

表現するには。オンリーワンだとかマイペースだとか。言うほど簡単なことじゃあない。





やること為すこといつでも不安が背後をついて回るので、何かしていてもしていなくても、私は落ち着かない気持ちで毎日を過ごしている。そんな風に自信がないくせには、機会さえあれば情けないことを零しながらも、ここ数年は色々なことをやってみていた。





手描きでもパソコンでも描いた。学生の頃から、癖があるようなないようなそんな雰囲気。上達しているのか、いないのか。髪の長い何を考えているのかよくわからない表情の女の子。服を着ないほとんどが裸の女性。女。近頃は赤ちゃんを描くようにもなって、薄紫と百合を取り入れるようになった。

角度を変えると、正面からでは見えないものが見える。キラキラして見えるその中で、実はほとんどの子が、こっそり泣いている。


文章も詩も書いていた。あれらは、詩というものだと教えてもらった。調べてみると、おそらく絵と合わせるタイプのものは口語自由詩、そうではない文章は随筆や散文という分類なのだと思う。思えば、ずうっと書いていた(書いたというよりかは、ポチポチと打ち込んでいたのだけれど)。ほとんどを表に出しはしないから、恐らく何か書いているなどとは思わない人もいるとは思うけれど、実のところ、こういうことをしていることの方が一番多い。書いては消して書いては消して、その途中で何度も何度も読み返しては、また書いたり消したり。本当にキリがない。


絵だけでは物足りないような。言葉だけでも物足りないような。いつのまにか、混ぜてしまった。あまりにわかりにくいので、自己紹介の時は「詩画作家」なんて言うようにもなった。そう表すようになってかれこれもう3年ほど経ったけれど、これが未だにさっぱり慣れない。落ち着かない。名乗るのが苦手すぎる。

詩画は、パソコンに絵の線画段階を撮影して取り込み、着色開始段階の色振りまき状態を取り込み、都度見返しながら取り込み、最後完成したものまで取り込み。そうしてせっかく完成したものを、デジタル上で破壊して、元になった言葉と合わせながら、また再構築してつくっていく。

お陰様で、20点近い詩画+原画、これで本当のひとつだとか訳のわからないことになり、現在今後のやり方なんてものがわからない状態になっている。ただでさえ遅い制作スピードは、この形式にすることによりなおのこと遅さに拍車がかかる。保管に困る上に、展示にも困り、仕舞いには「完成ってなんだ?」と思うようになった。制作している中で、何度も何度も完成を見ていくことになる。

創作には、例えば勉強のように ”これ” といった着地点がない。デザインするのと、私のような感覚でつくりこんでいくのとでも、やはり毛色が違う。色が乗っていればいいわけでもなければ、つくりこめばいいだけでもない。

引き際を誤れば、うるさくなってしまう。色を用いないモノクロの作品だって、世の中には無数にある。どこで終わりとするか。何を完成と見なすか。常に終わりの見えないものと対峙しつつ、進行する。表現する手段は、いくつもある。線の勢い、色は何通り、絵肌はどうする、光の当たり方は。あえて何も画面に入れ込まないことで、その余白で緊張感や孤独感なんかも出せたりする。所謂、”間” というものなのだと思う。考えて行けば、手段も答えも幾通りあることだろう。常に選択と決断の連続だ。

もちろんそれは絵だけの話ではなく、音楽でもなんでも、表現におけるものはみんな等しくそうなのだろう。こう考えて行くと、なんだか、何かの話に似ているではないか。気が遠くなる。



そんなこんな色々なことを考えながら展示なんてことをしている内に、やたら作品以外のものを散らばすようにもなった。初個展を終えてからというもの、私は飾り付けに異様にこだわりだした。画面上の作品では満足できず、言葉だけでも満足できず、絵に描ききっても満足せず。

だから、可能な限り、許される範囲いっぱいに色々な物を散らばせる。

原画、線画、過程、詩画。誇れはしないくせに、自分の写真までも。二回目の個展では、随分肌を出したものまで使った。描き途中の作品、つくる過程でできた副産物、ペーパーパレット、絵の具を吸い込んだティッシュ、作品の切れ端。画材、自分の着ていた服、子どもの頃使っていたもの、印刷に失敗した裏紙、アーティストトークで使用したカンペ。その他、レースリボンだの天然石だのタマゴだの造花だのなんだの、とにかく惹かれるもの引っかかるものを片っ端から掻き集めては、ばら撒いたり飾り付けたりした。

最近では散らばしながら、なんとなく節分の豆まきを思い浮かべる。あれは、邪気払いの儀式が大衆化したものなのだとわかった。


そうか。おまじないなんだな、あれは。


私の個展に足を運んだ人、絵を観た人からはこう言われた。「日本人的な感覚」だと。他にも、「仏教の神様を描いているのかなって」と。不思議だった。私は、反感を買うかもしれないけれど、神様を憎んでいた時期があった。世間知らずの物知らずの私は、何も考えないでただやりたいようにしていただけなんだけれど。偶然。感想を頂く度に思うのは、なんだか不思議なくらい、古くから伝わるそういったものと通じていたり、似ている箇所が多かった。



私は、絵を描きながら文章を描きながら、さらにはそれを展示しながら、一体何を行っているんだろう。行ってきたのだろう。正直、なんにも考えていなかった。ただやらなければいけないような気がして、やっていただけだった。


外へ、内へ。繰り返し繰り返し。


お陰様で、毎度物事を一つ終える度にげっそりしている。キャパシティの低さは、自他共に認めるほど。それについては、物心がついてからずっとコンプレックスであるのに、それでもだ。どうしてこんなことを覚えてしまったのか。初個展を開催してから、気が付けばこうなっていた。後戻りが難しそうだ。覚えてしまった。

せっかく納得するようつくりこんだ詩画作品はというと、仕上がった途端にぐしゃぐしゃに握り潰してしまうことがほとんどだし、破くは踏みつけるはで散々な行いをする。もうここまでくると、何の為につくりこんでいるのかがわからなくなってくる。





壊す為につくるのか、またつくる為に壊しているのか。





本来であれば、ここ数年の立場的に私は ”作品を大事にする” という役目にも似たようなことを、もっとしていかなければならなかった。伝わり方が間違えば、あらぬ誤解を招いてしまう。そうであるにも関わらず、自分の作品に関しては、私は逆の行為を行う。これでもかと言うほど作品に手を出し、これでもかというほど散らかす。丁寧さや優しさなど微塵も感じられないだろう。周りがそれに対してどう感じるかなど知る由もないけれど、私は実は、ずうっとそれが引っかかっていた。どこかで咎めながら、それでも。それでもだった。幸い、今のところきちんと受け止めてくれる人ばかりであるから、救われているだけだ。

これからもそうであって欲しい。また、できるなら良い意味合いでそれがもっと伝われば良い。

もちろん、自分が削れない程度、許される範囲のことではあるけれど。





他にも。ほんの数回。

人前で、人を背にして絵を描いた。普段とんでもなく遅く描く私に何ができるだろうか見せられるだろうか。少し考えて、線画を壊す段階である色をキャンバスにぶちまける行為を意識して行った。つくったものを壊すのはこわいことだから、不確かなものをつくりだすのも見据えるのもこわいことだから。ライブペイントの際は特に、その気持ちを目の前の描いた女の子にあてる。色を叩きつけて、せっかく広げた色を水で撃ち落として、爪で引っ掻いて、削って、絵を倒しては散々キャンバスごと踏みつけたりもした。

身を削る、という表現をよく用いていたけれど、本当にその言葉の通りに爪は歪に削れた。絵肌の仕上がってないキャンバスより、爪の方が、余程強いと思っていたんだ。爪があんなに無くなるとは思わなかった。お陰様で、なんだかそういう人のような印象が多少なりともついたらしい。けれど、そう簡単にできることでもないなら、それを中心に考えるのも心地の良いことではない。



これもほんの数回。

自分で書いた詩を人前で朗読してみた。とんだ恥を晒した。朗読は見たことも聴いたこともなかった。なかったけれどやった。機会があるならなんでもやって、自分のことを自分で傷つけてみたかった。先のことなんて知らない。とにかく何かしなければと、その時期は。

ずうっと、人前で何かするということは恐ろしいことでしかなかった。

十代後半あたりから特に、人と目を合わせられず、ろくに喋れなくなったことがあった。蚊の鳴くような声しか出せず、上ずった高い声を「ぶりっ子」といじられてからは自分が気持ち悪くなったし恥ずかしかった。店にもろくに入れない、レジに立つこともやっとの思い。人が集まる場所に出向くのはもちろん、人とすれ違っただけで恐ろしくて硬直し、今すぐにでも消えてしまいたくなり、冷や汗が吹き出しては目眩がする。途方に暮れた。恐くて恥ずかしくて情けなくて苦しくて、隠しきれはしないそれらをそれでも、気付かれたくはなくて抑え込もうと、必死だった。助けて欲しい、でも気付かないで欲しい。

矛盾する感情が制御しきれず、気が狂いそうな日々だった。

随分と現在は、マシになったろうと思う。それでも忘れられない、体があの感覚をずっと覚えている。そして想像する。いつまた、あんな風になってしまうのだろうかと。自分の身に降りかかるとは思っていなかった苦しみが、容易に襲い掛かってきた。私はそれに、驚く程何の抵抗もできなかった。あの恐怖心をもう知っている。覚えている。逃れられはしない、身体の奥底に鳴りを潜めているだけだ。それならいつかまた表に滲み出てくる前に。



マシな今の内に。何か何か。



ガタガタ震えながら声を出してみれば、後から、朗読というより芝居のようだと言われた。人前であんな声を出すとはあの十代の私を知っている人からすれば、誰が想像できたろうか。やってみれば荒療治で、人前が大丈夫になるのだろうかとどこかで期待もあったけれど、現在さっぱりそんなことはない。ただまた機会があれば「やる」と答えるのだろうと思う。



さらにもっと数回。

写真に撮られてみる機会もあった。ほんの数える程度だけれど、所謂被写体のような印象を持つ人も、いるようだとの見解だった。写真は苦手だった。学生時代の写真は、ほとんどが俯いているし隠れている。自分の容姿も好きではない。美しさも可愛さも感じない。地味だ。それでも私はその自分を、一番はじめに自分で使って晒してやりたくて、自分の写真も使うようになった。人物画の参考の為として、大量に撮ってあったのも理由だった。降りてこない絵の刺激となるよう、半ば記録のような気持ちで残していた。清算したかった。隠れているのももう釈だった。それもきっと機会があった理由だったのかもしれない。


必要に迫られてデザインもした。したけれどやはり、これも自信がさっぱりない。ちなみに学生時代、この手の授業は苦手だしわりとよく眠くなっていたし、謙遜でもなんでもなく、成績も良くなかったろうと思う。デザインには、癖があると言われた。なんというか、ふわふわしているらしい。自分では癖がないと思っていたので、意外だった。

わりとよく言われる。作品は、ふわふわしていると。特徴がないような気がしていたけれど、その特徴のないのが特徴のようなものかもしれない。モヤモヤ、ふわふわ。違いない。そういったものが、つくる上での材料だった。




創作以外でも色々な変化があった。




人に沢山会って、話をして、聴いた。

「好きです」と言うことも、書くことも、伝えることも、表すことも増えた。

自分以外の人から比べればもしかすればなんてことないのかもしれなくても、思っていたよりも随分と色々なものを見ることができたし、色々なものを聴けたし、色々な場所に行けた。思っていたよりも、必要だと言ってくれる人が増えたし覚えていてくれる人が増えた。

何かしら今のようにしていなければ、きっとこのようにはなっていなかった。

それでも全部が全部、うまくいくことはやっぱりなかった。なんとかしなければいけない、けれど自分からは。それなら、巡って来たことに対してはせめて、拒まないで向き合って行こうと考えていた。否定から入り、否定し続けていてあの有様だ。あの頃と逆になりたかった。「こうに決まっている」なんてことは言えない、例え思っていたとしても。

私は私で、誰かは誰かで、きっとその人なりの考え方や今までの生き方がある。想像力をどれだけ働かせてもきっと到底足りはしないものを、誰かは体験している。隠していたいような薄暗いことや何か過ちをおかしてしまうこと、私にもなかったわけではなかった。到底、胸を張って誇れるような生き方などできていない。良くも悪くもどれだけ心を寄せて考えたところで、「そうだったんだね」と、私には掌に乗せて受け入れるくらいしかできない。

すべては必要な時に目の前に現れると思っている。役目を終えれば。

あとはもう。ご想像の通りだ。

私だったらどうしていたか。どうしていれば違っていたか。これと言った正解なんてないことばかりを、作品制作のスタイルと合わせて延々と考えては、時折飲まれてどうにかなりそうでこわかった。大丈夫かと思えばそんなことはなく、叱られるようなことを平気でしでかすし、そうかと思えばわりと落ち着いているではないか、とどうにも定まらない。

ずっと一緒にいて、様子を見てきた人ならわかる。私がどれだけ勝手で気分屋でねこかぶりで、がさつなくせして弱っちい人間かということが。





そうぞうりょくが足りない。

私には未だに健全なそうぞうりょくが。

退くばかりでいいのか。隠れるばかりでいいのか。そんなことをしたら ”憎い” ばかりだった頃と何も変わらない。それならせめてマシなことで、ささやかだとしても、何かしてバランスを保たねばなるまい。 ”あれがあるからこれをするから” 。何か先立つものを用意して、ぽっきりと折れないようにしなければなるまい。糸が切れないようにしなければなるまいと思っていた。そうすることが、唯一のことのように思えた。

藁のようだと感じた。

だけど、どんな風に思っていようがななめ上をいくことの方が多い。きっとこれからもそんなことの繰り返しだ。決めたくせして、簡単に心を乱しては相変わらず不安になるばかりで、なんて情けないことだろうか。そんな律儀さは、いらなかった。こんな大人になることだけは、したくないと十代の頃そう思っていたのに。幼い頃の自分を思い出す度、なんともいえない気持ちになる。理想になれずにいて、ごめんとそればかり思う。





二回目の個展を終えたあの日、役目を終えたもの達を壁からむしり取ってばらまいて、踏みつけて、ぐしゃぐしゃにしてゴミ袋にぶちこんだ。

暗い部屋の中で、他の誰かや何かにではなく、自分の手で確かに台無しにした空間で、私は人様の前では到底見せられないような情けない過ごし方をしてから、本当にほんの少しだけ眠った。大袈裟なのかもしれない。考えすぎなのかもしれない。笑われてしまうかもしれない。なにより、引かれしまうだろう。誰より、自分で一番そう思っている。わかっている。それでも頭の中では、いつまでもいつまでも同じ言葉や感情が浮かんでは消える。


「どうして、自然になれないの?」

「どうして、普通になれないの?」


私達が当たり前のように表す ”普通” というのが、”理想”ということに気付いたのはいつ頃だったろうか。

だけども、私は本当にいっぱいいっぱいだった。

ついこの間くらいのことなのに、遠い昔みたいに思えてしまう。

それから少しして有り難い機会を頂いて、いつもより遠いところまで。きっと随分笑ってから、それまでの数年が嘘だったみたいに。




やたら、おかしいくらいに ”糸” のことばかり頭に浮かんでいた。


獏、卵、鎹、糸、藁、鋏。




年が明けてから、「切れたのかな」と思った。

それから、さっぱり ”糸” は浮かんでこなくなった。





作品だとか作家だとか表されるのも落ち着かないので、毎度自己紹介の時ははっきり伝えられない。アーティスト活動なんて表されても、胸を張ることもできない。わからないからやっていた、マシであるからやっていたたまたまの手段を、年数が経って、回数が増えて、その内に。 ”何かそれを後ろから支える堅実なものが必要なんじゃないか” 、 ”それらしい立派な理由を述べなければいけないのではないか” 。そういったものが頭の隅っこに棲みついた。

自分のことなんだから、どちらでもいいんだ。

またきっとこれも時間の無駄だ。

いつだったか、なんだかんだ言いながら構ってくれるサンが私のなんとも云えない長い文章を読んだ際、持った感想が「わかるようなわからないような」「やっぱりよくわからない」「ぐるぐるする」といったものだったらしい。

それを聴いた私はと言うと、「へえ……」とか他にもなんだか他人事のような反応をした気がする。軽い反応をした気がしたけれど、心中は相当穏やかではなかった。

自分の裸でも見られたかのような気分になった。恥ずかしいと感じた。おかしい話だ。恥ずかしいなら出さなければいいんだ、墓場まで持って行けばいい。けれども活動を始めた頃の私はというと、「墓場まで持って行くつもりだったけれど、なんかもういっそのこと出す」と確かに言っていた。

だから今だってこうして。思っていることもやっていることも矛盾している。あっち行ったりこっち行ったり。

聴いた感想は、やはりまちがっていない。自覚がなかっただけで、聴いてから「ああその通りだな」と思った。ぐるぐるしている。堂々巡りだ。思えば、やはり頂いた感想で「そういうことだったのか」と思うことが多い。わからないから、だからやっている。






自分で自分を晒しあげる、という気持ちもあったのだろうと思う。とすると、暴力的な衝動とも切り離せないと最近では考える。

私はやたら、人を殺す夢だったり、闘う夢を見る。

「お前に殺されるくらいなら私がお前を殺す」
「お前にこのまま殺されるくらいならせめて一つでも傷を付けてから死ぬ」
「刺し違えることになってもなんとかお前を苦しめてから死ぬ」
「手を汚すことになってもお前を何としてでも痛めつける、大事な人達を傷付けられるくらいなら」
「このままやられっぱなしで死んでたまるか」

いつも同じようなことを、夢の中で考えている。その時の感情の激しさは、相当だ。とても言葉では表しようもない。死んでしまうかもしれないという恐怖心と同じ大きさで、激しい闘争心のようなものだけを頼りに、自分より何倍も大きい恐ろしい顔をした男の人と、どうしてか闘う羽目になっている。

それもあってなのか、私は男の人が本当に苦手であった。随分マシになったものだと安心している。

夢の中では、散々な暴言罵声を吐き散らして喚きながら応戦していく。もう二度と私達に向かってなど来られないように、襲ってきたことを後悔できるよう、散々に苦しめて痛めつけて、後悔させてから息絶えてもらおうと考えた。それが例え非人道的であっても。目には歯にはなんとやらである。敵が完全に息の根を止めるまでの間、刃物を突き刺していく順番までしっかり考えていたのをよく覚えている。

もう、夢の中ではご想像の通りに返り血塗れ。真っ赤である。刺した時の肉を切る重い感覚まで、夢であろうとなんとなく覚えている。もう、寝覚めの気分の悪さと言ったらない。創作物でそういった類のものを見ただろうか。連想する何かを見かけたか。さっぱりない。痛いのはこわいし、嫌いだ。なのに夢で見てしまう。何の表れなのだろう。やはり暴力衝動だろうか。

普段はすぐにビクビクと萎縮して、健全に自分の意見も言えないくせして、本当にたちが悪い。ただこれでも随分減った方で、10代後半など、ほとんど毎日夢の中では殺されるか死んでいるかでうなされていた。本当によくマシになったものだ。





ちなみに私のような種類の創作をする者に対して、自慰行為と同等などと分析する人も少なからずいるようだ。変態だなんて戯けて表したりは私自身もあるけれど、「どちらにしろ大きく一括りにすれば、誰かにとっては変態なことに変わりないんじゃないの」と思う。苦しい時もあるのにやめられはしないのだから、なんというか、もう中毒のようだ。

物事でも人でもなんでも、こだわればこだわるほど、こだわりのない人からすれば変態に見えるものだと思う。執着しているのだから。それに関しては正直、何を言われようがどちらでもいいし、否定も肯定もしようがないから「ご想像にお任せします」「仰る通りです」と思う。

例えば暴力衝動でも、自慰行為のようなものであったとしても、精神的な自傷のようであっても、代償行為なのだとしても。そして良く聞く、承認欲求からなのだとしても。何であれ、どれもその人にはたまたま手段がそれだったということだ。

誰かには酒、誰かには歌、誰かにはリストカット、誰かには睡眠。何かを保つ為に、自分以外の誰かにはその手段が必要だった。認められやすいか、多数的であるか、ただそれだけの違いだ。みんな、何かしらそういった手段のようなものは大なり小なりある。ここ3・4年くらいで、似ているのではないか、と私は強く思うようになった。






少しの間、色々なことを少しだけしてみた。全部は当然のことながら、上手くいくわけではなかった。足りないままだ。自信は持てない。結局ずうっと自分だって苦手なままで、マシになったと言える気もしない。

ただ、前よりかは少し愚かな自分にあきらめがつくようになったし、わかったこともあった。憎く思い続けることが段々面倒になってきたり、許せることが増えた。否定し続けていたことが引っかかって、疑うようにもなった。歳を重ねると、人間丸くなると言う。数年が経った。単純に、そういうことかもしれない。

そして創作関連でもそれ以外のことだとしても、変化に関与できたことは、私にとって大きなことだった。「うずくまっているしかないのだろう」と心の底から信じ切っていた私には。良いことはもちろん、仮にそうではなかったとしても、少しでも動くことができた。少しは、色々とそうぞうすることができた。誰かには大袈裟と笑われるくらいだったとしても、全部自分の体で通して見て来た私には、大袈裟でもなんでもない。自信を持って笑いながら言う。『私には重たいくらいだ』と。

それで、良しとしなければ、ここ数年の私は一体なんだっただろうか。費やした身体も気持ちも時間もそれ以外のことでさえ、なんだったのだろう。




無意味だっただろうか。




部屋の中が散らかって仕方ない。
つくったもの、これから形になるかもしれないもの、添えるもの。


散らばって収拾がつかない。

つくっては壊して、つくられては壊されて。

手に入れては、いつのまにか跡形もなく。

行き着く先はどこなの?


私の身体の中もずうっと散らかったままで、
やっぱり未だに上手く物事を表すことができない。


どうしたらいい?

どうなっている?

どうなっていく?


そのままにしておくことも気持ち悪いなら、じゃあどうしたらいい?どうしたら許してもらえる?罪悪感は、小さくなったり大きくなったりしながら、相変わらず私の中から居なくならない。うまれたんだ、発生したんだ。確かにそこにある。理想になることもできない。過ぎた時間は戻らない。いつ訪れるかわからない何かが壊れる瞬間失われる瞬間を、予感しながらそうぞうしながら、それでも息をしていく。


ぐらぐらする時、私以外の人は何を支えにしてそれでもバランスを保っているの。


私達の根っこはどこにある。どこまで深く潜って探しに行けば、ようやく私や誰かは満足して許してくれる。私以外の誰かは根っこの場所を知っている?根っこの正体がわかっているの?深く強く根付いて、強い風で煽られても大丈夫で簡単には泣き出さなくて。私達がなるべく苦しまない生き方はどんな形だ?私だけが、いい歳してわからないままか?こんなことを考えること自体、愚かでどうしようもない?

みんな何を考えてそれでも生きているの。何が支えなの。その支えがある日突然居なくなってしまったら、さてどうだ?応えて欲しい、色々な応えを聴きたい。納得させて、あきらめさせて、受け入れさせて欲しい。私はそれが知りたいから、「わからない」と言いながら。

自信を持って表に出すこともできなければ、思い切って消すこともできない。


それなら?

私じゃない誰かは。






例えば、今これを読む貴方は?






苦手なものは苦手なままだ。
醜い部分も愚かな部分もそのままで、
時間や歳や経験が半端に増えた。


結局、足りない。ずっと足りない。


だけどわざわざ足を運んでつくったものを見にきてくれた人がいて、感想を書き込んでくれた人がいて、ヒリヒリすると言うくせに見てくれて耳を傾ける。聴きやすいわけではない私の話に、綺麗でもない私の声に。そうして絵を見る。血がそれほど出てもいない私のつくったものを「こわい」と表すのに、目を向けて気持ちを向けて、花を贈ってくれる。会いに来てくれる。「好きです」「綺麗です」と言ってくれる。

作品を見て話を聴いて、涙を流してくれた人もいたけれど、なんにも気の利いたことひとつ私は言えなかったしできなかった。もったいない、恐れ多いとそればかり思って、思いがけずひどく繊細なものを見てしまった気がして、胸がぎゅうっとなった。


それでもこうして「足りない」って「心細い」って、「自信がない」なんて思ってしまう。


生きても死んでもいない、もう会うこともできない自分の亡霊。もしかすればいるかもしれない皺くちゃの自分の幻。どちらであっても、向かい合うことはできない。私はずっと挟まれたまま、境目で投げかけたまま。どんなに投げかけても、待ち焦がれて焦がれても、応えはかえってこない。気配だけ残して、あの子はもうどこにもいなくなってしまった。気配だけ醸し出して、あの人は姿を見せてくれはしない。すべてが手遅れになってから、ようやく声が届く。救ってやることはけして叶わない。



私が一番招きたかったのは。

会いたかったのは。

向かい合いたかったのは。




あんなに憎んだのに。

どうしてだろう、罰が当たるだろうか。

今ひっかかることは。

同じだ。

私の命は、私きりでお終いだ。


やっぱり未だに夢を見て泣く。いい歳をして、やたら色々なことを気に病んでは涙が出てきてしまう。呪いのように、昔を思い出してはどうしようもない気持ちに襲われて、またいつかと同じように動けなくなりそうな不安で頭がいっぱいになる。全然強くはなれないし、なれた気もしない。それでも。

大人になったのに、これからもそうなのに、あの頃より色々なことを知れたはずなのに、あの痩せこけた子どもなんてもうどこにも居やしないのに。

これからどうやって生きていこう。いつまで続くんだろう。明日にでも終わってしまうだろうか、それとも皺くちゃになるまで続くんだろうか。ねえ何か応えて。どんな風に私、いつか本当に死んでいくの?無様なままの私を一体どこで見ているの。私、どうやったらきちんと見送れる?




ずっと、考えていることがある。
考えてきたことがある。




自信が持てることと言えば、「わからない」ということだけ。確かなことは何もわからない。

それでもそれでも。

どうしようもないものを清算する為に壊したいと思うし、どうしようもないのだとしてもそれでも保たなければならない、それでもやっぱり居て欲しいから。なにひとつ役には立たないのだとしても、せめて陰でこっそり祈って、その気持ちでほんの少しだけでも、守れればいいと思う。

おまじないだ。

どちらも正反対なようでいて、私にとってはどちらにも意味がある。

私は、本当に間にいる。いつまでも間のことばかり。境目のことを放っておけない。どうしようもない。





考えている、考えている。

あの”部屋”を、私はどうにかしなければならない。





綺麗に片付く日はいつ来るのだろうか。







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