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何もなくてもシアワセを味わう

他人からお褒めの言葉もなく
安いアパートに住み
そこそこ給料をもらい
特に自慢できる何かを持ってなかったとしても

シアワセを味わう方法がある。

例えば、2011年の3月11日を思い出してみる。

あの日は普通に行ってきますといって
そのまま一緒に夕飯を食べる筈であったけど
そのままあえなくなってしまったり
悲しい場合は、生き別れや死別など。
筆舌には尽くしがたいそれぞれの人生があるはずだ。

翌日になり、昨日まではあの普通がシアワセだったのだと気づかされる。

例えば、健康診断の数週間後に
要再検査 と書かれた紙が回ってきたとする

昨日までは、何も知らず普通にビールやから揚げを食べていた
ああ あれはシアワセだったんだと。

例えば、つれあいがなくなったとする。
昨日までは一緒にご飯を食べていた。
一緒に笑っていた。
くだらないことで喧嘩もした。

でもそれがシアワセだったのだと。

普通の人生に、シアワセは沢山ある。
ただ 気づいていないだけ。

そのふとしたシアワセに焦点を合わせると
他人に対して自慢話をしなくても
自分はシアワセなんだと意識できる。

私は、朝 起きて
お手洗いにいって、朝ごはんをたべて
日差しを浴びて、今日も健康だなと思っているとき
本当に幸せを感じる。

散歩に出て、美しい名もない花を見たり
近所の公園にこれでもかと咲き誇っている沢山のバラを見たり
可愛い声で鳴いている野鳥。。。

海辺に行って、青空の下 寝転んだり

スタジオを借りて、1時間踊ったとき
プールでくたくたになるほど泳いだ時。

シアワセを感じる。

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