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ジブリ「君たちはどう生きるか」を消化できる人とできない人

第96回アカデミー賞長編アニメーション映画賞を受賞した宮崎駿監督映画「君たちはどう生きるか」だが、日本国内で絶賛する人と酷評する人の両極しかいないというジブリ映画としては大変珍しい現象が起きている。

本作はいつものジブリ映画だと思って休日に子供を連れて見に行ったら泡を吹くような映画となっている。駿やりすぎでしょってくらい駿ワールドのフルスロットル。渾身の右ストレートを喰らったような好きなモノ、やりたかったことを詰め込んだ映画となっているため、パクチー並みに好き嫌いが別れているのだ。

では、なぜこのような現象が起きたのかをアート鑑賞という側面から考えてみる。(2分で読めるよ)


映画や音楽など全てのアート鑑賞とは”自分”というフィルターを通して咀嚼し、消化する作業である。

私たちは映画を鑑賞する時、必ず”自分”というフィルターを通して評価している。

フィルターを通す際にその映画と似た境遇にいたり、似た価値観を有していれば”良い映画”と評価される。

逆に言えばその映画と似た経験が少なく、自分の価値観から遠ければ遠いほどその映画は”イケてない映画”と評価される。

話は少し逸れるが、日本人は海苔を消化できる消化酵素を持っているが、欧米人は持っておらず、海苔を消化することができないらしい。

同じように映画やアートを見た際に、その栄養を消化できる消化酵素を持っている人(似た境遇や価値観を持っている)は美味い美味いと咀嚼し、消化し、吸収して、最終的にこれは”良いアート”だと評価する。

逆に特定の消化酵素を持っていない人(そのアートと似た経験や価値観を有していない人)は美味い美味いと咀嚼されることも、消化、吸収されることもなく、最終的にただ糞として”排泄”される。

しかし、後者のような人はアートを何も理解できないというわけではない。その人に合ったその人にしか咀嚼できないアートというものが全人類にあると私は思う。その対象はゴッホなのか、映画なのか、ヒップホップなのか、K-POPなのか、はたまた電車なのかもしれない。

つまり、”アートを消化できる人とできない人がいる”という極端な話ではなく、”その人にしか消化できないアートが必ずある”ということなのだ。

ゴッホやピカソをイケてると感じる人も、ラッパーがイケてると感じるBボーイも、K-POPがイケてると感じるアイドルファンも、電車がイケてると感じる撮り鉄ももれなく全員がアートを消化していると言えるだろう。

話が飛んだが、「君たちはどう生きるか」を絶賛する人がかっこよくて酷評する人がダサいとかそんな話ではなく、たまたまその映画を消化できる消化酵素を持っていたというだけで、全人類それぞれに”ピッタリとハマるアート”が絶対に存在するよ。というピースなお話です。

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