見出し画像

ルポ【パレスチナ難民キャンプ[故郷に思いを馳せる]】

皆さんこんにちは。

これまでの記事にも度々登場してきた同僚のムハンマドさんから、1967年当時の離散の状況について伺ってきました。
そのため、今回はそれを記事にまとめました。

1967年6月5日 第三次中東戦争
イスラエルの奇襲攻撃によって第三次中東戦争が勃発。
この戦争でイスラエルはシナイ半島、ゴラン高原、ヨルダン川西岸、ガザを占領し、それに伴って大量のパレスチナ人が故郷を追われ、近隣諸国へと流れ込んだ。

更に詳しい内容は【パレスチナ問題の歴史的背景③】に記載しています。

以下、ムハンマドさんの話を日本語訳してまとめたものです。

【パレスチナは美しい国だ】

ムハンマドさんが生まれた当初のパレスチナ(1960年代前半)では、シオニストによる虐殺行為や入植活動が激化していた時期で、彼の祖父と祖母もシオニストによって殺された。
そして1967年に起きた第三次中東戦争の際には祖国を追われ、ヨルダンのバカアという地区へ移住してきた。

今でこそバカアは家屋や店が隙間なく軒連なり、多くの人で賑わっている街であるが、当時は建物など一つもなく、蛇や狼などの野生動物が跋扈しているような荒野であった。
仮の住まいであるテントは粗末なもので、雨の日には雨漏りと浸水で寒さに凍え、冬季には死者が出るほどの状況だった。

しかしパレスチナ人は強いから、それを乗り越えてきた。

パレスチナは本当に美しい国だ。

もちろん祖国であるパレスチナにはいつか帰りたい。
しかし、たとえ自分が帰還できなくても、自分の息子、また次の世代の人間にはそれを叶えてほしい。


ムハンマドさんは目に涙を浮かべながら、当時の壮絶な体験と未来への希望を語ってくれました。彼の悲哀に満ちた表情は今でも脳裏に焼き付いています。

世界中に離散したパレスチナ人にとっての悲願である『祖国への帰還』は、昨今の複雑な世界情勢からは見通しが持てない状況です。
それでも未来に希望を抱き続ける限り、帰還の夢が潰えることはきっとないでしょう。

よろしければサポートお願い致します。今後記事を書くにあたっての活動費(書籍)とさせていただきます。