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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑪ [2つの別れ]】

【2019年3月30日(土)】

まるで冬に逆戻りしたかのような寒空の中、約3ヶ月ぶりにバカアを訪れた。

早めに到着し、顔馴染みになっていた停留所近くのパン屋に足を運ぶと、いつも店先にいた愛想の良い少年がいない。怪訝に思って店内を覗くと、パンを焼くための使い古した道具がすべてなくなっており、暗く閑散としていた。
隣のコーヒー屋のおじさんとそこにいた客に事情を聞いてみる。すると彼らは一週間ほど前に店をたたみ、ヨルダン北部の町ジェラシュへと行ったらしい。今は何をしているかは分からないという。

毎週店に立ち寄る度、こちらはお代を渡そうと試みるのだが、ご主人は頑として一度たりとも受け取ってはくれなかった。

「君は私の息子のようなものだからお代はいらない。その代わりまたおいで」

いつかお代を払ってパンを買いたいと思っていたが、それを叶えることができなくなってしまった。

(パン屋のご主人。この日訪れた際には既に店内は閑散としていた)

そして先々週、バカアのサッカークラブで関わっていたシリア人の少年の訃報をムハンマドさんから聞いた。彼も少年の死について詳しくは分からないということだったため、土曜日にバカアへ行った際、その少年が通っていた学校の先生方からその詳細を聞いた。

ある日、少年は発熱のため病院に行くと、入院することになった。その発熱は心臓の病気に起因するものだったという。そして入院中に突如容体が悪化し、集中治療室に入れられ処置が施されるが、無情にも彼の心臓は鼓動を止めてしまった。

シリア内戦によって故郷を逃れてきた少年は、銃弾や爆撃ではなく病によって12歳という若さでこの世を去った。

(彼はクラブによく顔を出しては、子ども達とサッカーを興じていた)

出会いの多くは唐突に訪れ、別れもまた予期せずやってくる。現在、懇意にしている人もいつ、どのような形で別れることになるかは誰にも分からない。

この2つの別れは、そのような分かりきっていたはずの現実をまざまざと突き付けられたような出来事だった。

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