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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑨ [肩透かしの1日]】

皆さんこんにちは。

前回の投稿はこちらからお願い致します。

【2019年1月5日(土)】

バカアのバス停に到着し、ムハンマドさんに電話を掛けた。しかし何度連絡を入れても呼び出し音が鳴り続けるだけで一向に繋がらない。途方に暮れた私は、パン屋に行って主人とその息子とおしゃべりをしていた。

話を聞くと、ご主人は故郷シリアでもパン屋を営んでいた。しかし、2011年に勃発した内戦により故郷から離れることを決断し、その後はサウジアラビアでも数年仕事をしていたらしい。そして今はヨルダンが彼の拠点である。

(ご主人のアズミ(左)と息子のアッブード(右)。ご主人が生地を作り、息子が店頭でパンを焼き、売っている。よく冗談を言い合いながら仕事をしている)

「2年後にマルズークが帰国するとき、今度は日本で一緒にパン屋を開こう」

主人は唐突に、本音とも冗談とも取れるような調子で提案をしてきた。その後も、私とマルズークでパン屋を経営して、息子にタダ働きさせて、などと日本に行った際のイメージを彼は語り続けた。

「アズミさんがパスポートを取得して、お互いに開業する資金を調達できたらやりたいね」

無責任に期待を持たせるようなことができず、中途半端な返答に終始してしまった。彼が本音で語っていたのかは今も分からない。

気付けば時間は9:00を回っていた。いつもであればとっくにサッカークラブが始まっている時間である。パン屋で立ち話をしている間もムハンマドさんに電話は掛けていたが、まったく繋がる様子がなかったため今日は中止だろうと判断し、パン屋のご主人と息子に挨拶をし、バカアを後にした。

帰宅して一息ついた頃にムハンマドさんから連絡があった。
「すまない、寝ていた。今週から学校はテスト期間に入るから、今日は休みだったんだ」
できれば事前に伝えてほしかったが、パン屋での時間は有意義なものであったため、気にとめることなくこの日の日記を綴ることにした。

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