ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑤ [難民キャンプでのホームステイ]】
皆さんこんにちは。
前回の投稿はこちらからよろしくお願い致します。
前回訪問した際、マフムードさんが勤めているバカアの学校の授業風景を見学させてもらいたい旨を伝えたところ、快諾してもらったうえに次の日朝が早いことから泊まりに来るよう誘いを受けました。
今回はその時の記録になります。
【2018年11月24日(土)】
冬の到来を思わせるような日が増えてきた。
中東と聞くと、年中暑いイメージを抱くかもしれないが、日本のような四季を感じることができる。春は心地よい陽光を感じられる一方で花粉症患者にはつらい時期であり、夏は言うまでもなく強烈な日射しが降り注ぐ。そして10月を過ぎると日を追う毎に気温が下がっていき、冬には雨の日が多くなる。また、みぞれや雪が降ることもある。
11月、降雪はないが徐々に雨が降る日が増えてきている。
7:30にムハンマドさん、マフムードさんとバス停で合流し、活動先の学校へと向かう。これまでは汗を流しながら活動をしていたが、長時間日陰にいると震えるほどに寒くなってきた。にも関わらず子ども達は相変わらず薄着で、夢中になってボールを追いかけている。いつもながら微笑ましい光景である。
学校を後にしてからは昼休みのためマフムードさん宅へと訪問し、あらかじめ用意していた菓子折などを渡したところ「今晩泊まりに来るんだって?みんな楽しみにしてるよ。夕飯用意してるね」と声をかけられた。彼の家族は、外国人である自分に対していつも温かく接してくれる。彼らのホスピタリティには本当に頭が上がらない。
キャンプ内にある土曜塾での活動が終了した後には、再びマフムードさん宅へと向かった。
夕食の支度を待っている間、2人の娘さん(16歳、18歳)と話をしていた。兄弟について伺ったところ3人兄弟、5人姉妹、家には13人で暮らしているという。日本の感覚ではなかなかに想像しにくい。やはりそれだけ人数がいることもあって、家の中は夜遅くまでにぎやかだ。
夕食は家族の皆さんと一緒に頂いた。ひとしきり食べると、お茶を飲みながら家族や生活、仕事、結婚についての話題になった。
「生活は決して楽ではない」
マフムードさんと奥さんは口を揃えて心情を吐露した。バカアキャンプ内に住む他の世帯と比較すると、マフムードさん一家は裕福な方である。しかし、収入に関する詳細は明言を避けるが、これだけの大家族を養うには十分でない額であるのは確かだった。彼の息子、娘も働いてはいるものの、決して余裕のある生活を送っているようには思えない。
その後、マフムードさんと奥さんから「2人の下の娘のどちらかもらってくれないかい?」と本音とも冗談とも取れる話題になったが、なんとかその場を切り抜け、次の日も早いということで日を跨ぐ前に床に就いた。
【2018年11月25日(日)】
5:30、外もまだ暗いうちに身支度を始める。挨拶を交わすと、彼らはもっと早くに起きていたらしい。お祈りなどもあることからムスリムの朝は早い。軽い朝食を頂き、6:50には朝礼が始まるということで車で足早に学校へと向かう。
学校に着くと、見慣れないアジア人に一斉に視線が集まる。しかしそれは今まで受けたことのある蔑視的な眼ではなく、単純な好奇心から来るものだと感じた。近くにいた子どもに挨拶を交わし簡単な自己紹介を済ませると、遠巻きに見ていた子ども達も一斉に駆け寄ってきて「名前は?」「中国人?韓国人?」「僕の(私の)名前、日本語でなんて言うの?」などと質問攻めを受けた。
鐘が鳴ると、先生達は子ども達に整列を促し、朝礼が始まった。コーランの暗唱と簡単な体操など、日本では当然馴染みのない慣習だが、自分の配属先でも見たことのない光景であることから食い入るように見ていた。
朝礼を終えた後は授業風景を見学して回っていたが、土曜のサッカークラブで毎週顔を合わせていた先生から「体育の授業をやってほしい。できれば空手も」と要請を受けた。空手の経験など一切無かったが断るのも気が引けたため、引き受けることにした。ウォーミングアップで空手の型のようなものをこんな感じだよなぁ、というイメージで行ったのち、ボールを使った活動を各クラスで実施した。子どもからのウケはそれほど悪くなかったように感じた。
子ども達は全体的に礼儀正しく、人懐っこい印象を受けた。子どもが授業中に立って歩いたり、椅子や机に座ったり、お菓子を食べたりすることはなく、先生の授業にしっかりと向き合っていた。当然のことのように思えるが、ヨルダン国内ではそれができていない学校も多く存在する。
すべての授業が終わった後、子ども達が下校の際に乗るタクシーに同乗し、再びマフムードさんの家に向かった。ここでも子どもからの質問責めは続いた。
子どもと別れを告げ、家でお茶を頂きながら一息ついたのち、家族の皆さんにお礼を述べてから帰りのバス停へと向かった。
帰りのバスで、非日常を味わった2日間を頭の中で何度も反芻しながら帰途についた。
先日、この学校の生徒でサッカークラブに来ていた子どもが亡くなった知らせをムハンマドさんから受けた。元々病気を抱えていたらしく、その様態が突然悪化したらしい。
記憶が正しければ彼は12歳。サッカークラブではやんちゃな子どもが多い中で、一際落ち着いていた。もっと彼のために何かしてあげられなかったか、今更になって思い返す。このような後悔の念などを抱かないよう、より一層尽力していこうと誓った。
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