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【ヨルダン川西岸地区とガザ地区】

皆様こんにちは。

前回の投稿はこちらからお願い致します。


トップの写真は、バカアキャンプで年に数回開催されているというパレスチナ人の総会に参列した際のものです。かなりの人数が列席していて立ち見の人もいるほどでした。そして会場には大人はもちろんですが多くの青年や子どもの姿も多く見受けられ、若年層における政治への関心の高さが窺えました。
何名かの識者が壇上で政治やパレスチナ問題などについて聴衆に向けて語りかけ、聴衆はそれに応えるかのように拍手や歓声を挙げ、会場は常に一体となっているように感じられたのを覚えています。

さて今回は【ヨルダン川西岸地区とガザ地区】というテーマで綴っていきます。
前置きですが私はパレスチナにはまだ行ったことがなく、当面は渡航することもできないので、ヨルダン川西岸地区・ガザ地区の状況については文献や資料で把握している限りでの情報になりますのでご容赦願います。
パレスチナとイスラエルには、ヨルダンでの任期終了後(2020年7月以降)に足を運ぶ予定です。

【パレスチナ(ヨルダン川西岸地区・ガザ地区)】

パレスチナ難民は、1947年の「国連パレスチナ分割決議」に端を発して生まれました。一般的に世界の難民はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の管理下にありますが、パレスチナ難民の発生はUNHCRが発足する前だったことから、UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の管理下に置かれています。
また「国連難民条約」の適用も受けられないため「保護」されることが少なく、軍事的な脅威にもさらされやすいといえます。

(出典:外務省HPより引用)

パレスチナは、ヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」と、エジプトに接する「ガザ地区」からなるパレスチナ人の自治地区です。いずれも1994年以来「パレスチナ自治区」とされ、「パレスチナ自治政府」が存在していますが独立国家ではありません。
人口は両地域を合わせて約455万人で、西岸地区が3分の2、ガザ地区が3分の1を占めています。これは、1,160万人強いるとされるパレスチナ人の全人口の約3分の1にあたり、その過半数が15歳以下の子どもといわれています。
そのなかで失業率の増加が大きな問題となっており、現在およそ42%で上下していますが、若者(15~29歳)に限ってみれば70%近くにまで達します。いまや労働人口のおよそ半数が生活の手段を持たないという事態を引き起こしています。

面積はヨルダン川西岸地区が5,655㎢(三重県と同程度)、ガザ地区が365㎢(種子島と同程度)ですが、この面積は第二次世界大戦終結以前のものから、国連の分割決議案、中東戦争を経て大幅に縮小されてきました。それは、ヨルダン川西岸地区においてはイスラエルが現在でも入植活動をおこなっており、ガザでも占領政策等によって領地を奪い続けているためです。

そして両地区はそれぞれ異なる行政を敷いており、ヨルダン川西岸地区を領する「ファタハ」ガザ地区を領する「ハマース」の間で事実上の分断状態となっています。両者がお互いに歩み寄りを試みた時期もありましたが、今でも両者の分断状態は続いています。

今回はここまでで、次回は【ヨルダン川西岸地区】について更に掘り下げていきます。

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