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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑭ [現地女性からの招待]】

皆様こんにちは。

前回の投稿はこちらからお願い致します。

ラマダーンが終了しました。街を歩いていると、断食の終了を祝う挨拶をあちこちから耳にします。
ラマダーン後には、イードと呼ばれるラマダーンの終了を祝福する大祭が3日間にわたって行われ、人々は夜通しでお祝いをするといいます。


今回の投稿は、ラマダーン中にイフタール(断食解禁の食事)に招待された時の記録です。しかし、今までとは事情が異なります。

女性から家にお呼ばれされました。


※今回は女性宅であったことから写真は載せていません。ご了承ください。



【2019年5月28日(火)】

ヨルダンにいると知り合いから家に招待されては食事をごちそうされ、お茶やコーヒー、水煙草を共に嗜むことがよくある。そしてラマダーン中も家に招かれては、イフタール(断食解禁後の食事)を家族の人達と一緒にとることが何度かあった。
しかし、この日はいつもとは少々事情が異なる。なぜなら、ヨルダンに来て初めて女性から招待を受けたためだ。

ことの始まりは一週間前に遡る。
彼女の名前はフィダー。職場の同僚であり、いつも日本人をおもしろがってからかったり冗談ばかり話したりしているような人だ。この日もいつもの調子で他の職員を交えて無駄話をしていた。すると唐突に彼女が私に向けて話を振ってきた。

「来週暇?何曜日なら空いてる?うちにおいでよ」

またいつもの冗談かと半分あきれながらもいつでも空いてる旨を伝えると、「それじゃ来週の火曜日ね」とあっさり来訪の日にちが決まってしまった。

多くの人が知っているように、アラブ圏では男女間の関わりに一定の距離がある。職場で朝食をとる際に男女が同席することはないし、多くの学校では男女で校舎が分かれていたりする。モスク内のお祈りも男女で場所が分けられている。
そのため、この時点では彼女の性格も相まって冗談で話しているのだと思っていた。しかし、週の初めに出勤して早々、彼女に会うといつになく真剣な表情で話しかけてきた。

「火曜日だけど、何が食べたい?」

どうやら冗談でも何でもなく最初から本気で話していたのだった。予期していなかった展開に「もしかして結婚の話に進むのでは…」とひとり想像をめぐらせていた。

そして当日。14:30に仕事が終わると、フィダーから3、4時間後に家に来るよう言われた。私の自宅は職場から遠かったために一度帰ってから、再びここに戻ってくるとなると一苦労だ。そこで、職場の門番をしているおじさんに事情を話すと、彼の家で一休みさせてもらえることになった。
「疲れてるだろうから時間まで寝てな」
彼は私のために部屋を用意してくれたため、その気遣いに甘えてゆっくり横になっていた。

17:30。目が覚めて空腹と喉の渇きを覚えながら天井を見つめていると、おじさんが部屋に入ってきた。するとフィダーの家の近くまで送ってくれるということだったため、彼の所有するバイクの後ろにまたがって移動することになった。
5分ほどバイクを走らせ、停まったところは「マルカ」という地区にあるパレスチナ難民キャンプの入り口であった。彼女がパレスチナ人であることをそこで初めて知った。思い返せば一年ほど勤めているのに、今まで彼女とまじめな話をした記憶がない。
そしてそこには、一人の青年が立っていた。
「それじゃ、そいつについて行きな。楽しんでこい」
面識のない青年を前に事情が今ひとつ飲み込めないまま、彼は元来た道を引き返していった。

状況が今ひとつ把握できていなかったためその青年に話を聞くと、彼はフィダーの弟だった。名前はアハマド。
複雑に入り組んだ細い路地。その通りでサッカーに興じる子ども、隙間もないほどに敷き詰められた家屋、通りに撒き散らされているゴミ。難民キャンプでは見慣れた光景だ。このような道を彼と話をしながら歩いていると、いつしか家の前に辿り着いた。
入るように促され、階段を上った先には、奥に長い空間が広がっていた。その一番手前の部屋に通されると、そこはソファーが多く並べられた小綺麗なサロンだった。そして、一人の上裸の男性が布団の上に横になって寝ていた。彼はこの家の主だという。弟は食事の用意の手伝いをすると言い、私を残して部屋から出て行った。

冷房の効いた快適な部屋で一息ついていると、上裸の男性は目を覚ました。

「どうも。娘さんの同僚のマルズーク(私のアラビア語ネーム)です」
「ああ、話には聞いていた。よく来たな」

お父さんは脇に落ちていたTシャツを拾い上げ、それを着ながら笑顔で対応してくれた。その後も話を聞くと、お父さんはヨルダン北部の街アジュルンで生まれ育ち、その後マルカキャンプに移住してきたということだった。現在はこの家で夫婦、1人の息子、5人の娘の8人で暮らしている。

19:30、間もなく夕暮れの時間だ。するとフィダーが食事を携えて部屋に入ってきた。床に大量の食事が用意され、その中央にはパレスチナ、ヨルダン、シリアなどのアラブ圏では家庭料理としてよく食べられているマクルーバ(アラブ流炊き込みご飯)がひときわ存在感を放っている。4人の娘はモールへ出掛けているということで、私達だけでいただくことになった。
外ではアザーンが鳴り響き、これを合図に食事が始まった。この日の食事の席でも、アラブ人のホスピタリティとも言うべきか「肉も食え、ほぐしてやろうか?」「飲み物何が欲しい?」「たくさん食べなさい」と矢継ぎ早に勧められる。言われるがままに手を進めていると、お父さんからは食いっぷりを褒められた。
食後にはトルココーヒー、ミントティーをもらい、お父さんからは煙草も勧められた。約1年間禁煙していた私は一度それを断ったが、結局押しに負けてしまった。お父さんは初めて来訪した日本人を気に入った様子で、しきりに次はいつ来るかを尋ねてきた。

こうして食後に一息ついていると、お父さんはモスクにお祈りに行くという。
「今日は本当に楽しかったです。また訪問させてください」
感謝の気持ちを伝えると、彼は機嫌良くモスクへと出掛けていった。
それを見送った後、フィダーは立ち上がり私の隣へと移ってきた。
「お父さんは、あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ。今日はものすごく機嫌が良かったし、あなたのこと気に入っていたみたい」

22:30。そろそろ帰らなければならない。帰りの交通手段もなくなってしまう。
「泊まっていってもいいのよ」
これが初めての来訪でもあったことから、さすがにこの日は遠慮して帰ることにした。惜しむ気持ちを胸に秘めながら。
真夜中の難民キャンプ内を、少々身構えながらバス乗り場へと向かう。ラマダーン中ともあって、23:00を過ぎてもなお街は賑やかだ。
結局24:00近くに帰宅し、早々と寝る支度をして床に就いた。そしてベッドに横たわりながらこの日の出来事を回想する。いつも冗談ばかり吐いている女性は、家では率先して家事をこなし、お客に対して礼をもって接していた。
行く前までは「もしかして結婚の話か・・・」などと考えていたが、結局それは杞憂に終わった。職場にいる変わった日本人を家に招待し、もてなし、歓迎してくれた。ただそれだけのことだった。

この一日を通じて、少しだけ彼女を見る目が変わった気がする。


次の日、職場に出勤すると彼女はいつもと変わらぬ調子で日本人をおちょくっていた。

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