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書籍解説No.9「ぼくの村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち」

こちらのnoteでは、毎週土曜日に「書籍解説」を更新しています。
※感想文ではありません。

本の要点だと思われる部分を軸に、私がこれまで読んだ文献や論文から得られた知識、これまで海外で経た経験などを織り交ぜながら独自の見解を示しています。
よりよいコンテンツにするため試行錯誤している段階ですが、有益な情報源となるようまとめていきますので、ご覧いただければ幸いです。

それでは、前回の投稿はこちらからお願いします。

第9弾は【ぼくの村は壁で囲まれた パレスチナに生きる子どもたち(高橋真樹)】です。

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今回、この本を取り上げた理由が2つあります。

一つは、ヨルダン滞在中に関わったパレスチナ難民の人たちとの記憶を風化させないためです。3月に日本へ帰国してから、物理的な距離も相まって彼らとコンタクトをとる頻度は減ってしまいましたが、この記録を通じて当時の記憶を想起したいと思いました。

もう一つは、1日過ぎてしまいましたが、5月15日はパレスチナ人にとって重要な意味を持つ日だからです。
何の日かというと、パレスチナ人が故郷を失った日です。1948年5月15日のイスラエル建国に伴い、パレスチナに故郷を持つ約75万人の人々が土地を奪われ、家を追われ、故郷を占領されたことから、その悲劇を象徴する日としてパレスチナ人の間では「ナクバ(大厄災、大破局)」と呼ばれています。
そしてこの時には、イスラエル軍による意図的なパレスチナ人排斥と民族浄化が発生し、各地で破壊や虐殺、追放が行われました。

ナクバに関する記事は、以前の記事でまとめていますのでこちらからご覧ください。

【「見えやすい暴力」と「見えにくい暴力」】

イスラエル建国以降、パレスチナは国家として独立しておらず、イスラエルによって占領されている状態です。その占領地において、パレスチナ人は不条理な境遇にさらされながら日常を過ごしています。
大規模な空爆や衝突が起きた際には、稀に日本のメディアにも取り上げられますが、日常生活についてはほとんど取り上げられることがありません。
その理由は、著者の言葉を借りれば空爆や衝突は「見えやすい暴力」ですが、日常的な差別や嫌がらせは「見えにくい暴力」だからです。

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(出典:PASSIA)

マスコミは話題性があり、視聴者がより食いつきそうな内容を報じがちです。もちろん、爆発や衝突によって生じた深刻な被害などを報道することは必要ですが、パレスチナで起きていることを知るには後者にも目を向けるべきです。
パレスチナで日常的に発生している「見えにくい暴力」について詳しく解説しているのが本書です。非常に分かりやすく書かれているので、宗教や民族、パレスチナ問題についてあまり知らないという方でも読み進められると思います。


(※この記事で歴史の部分については触れませんが、過去にパレスチナ問題の歴史的な背景や、ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプでのルポに関する記事をマガジンでまとめているので、もしよければこちらからご覧ください)


【日常的に振りかざされる「見えにくい暴力」】

イスラエルが「独立記念日」として祝う1948年5月15日は、約75万人のパレスチナ人が土地を奪われ、家を追われ、故郷を占領された日でもあります。パレスチナ人にとって5月15日はその悲劇を象徴する日であり、「ナクバ(大厄災・大破局)」と呼ばれています。

更に、1967年の第三次中東戦争ではパレスチナ全土がイスラエルによって占領されます。その後、部分的に返還されましたが、未だにパレスチナの領土はイスラエルによって占領されていることには変わりありません。
そして、今もなおイスラエル当局は入植地拡大を推し進めており、パレスチナ人に対しては人権侵害と呼べるほどの暴力を日常的に加えています。

著者は、パレスチナで起きていることを象徴する代表的な「見えにくい暴力」として「検問所」「入植地」「分離壁」の3つを挙げています。

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(ヨルダン国内にあるパレスチナ難民キャンプ)


【パレスチナ人には厳格な「検問所」】

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イスラエルと書かれている領土の東側がヨルダン川西岸地区、西側がガザ地区で、この2つがパレスチナ自治区です。自治区とはいえ、実質的な主導権はイスラエル当局にあります。
ヨルダン川西岸地区の検問所は140ヶ所以上にのぼるといわれており、ここではIDカードの提示、荷物検査などが行われます。イスラエル人や外国人が通過する際にはそれほど時間がかかりませんが、パレスチナ人の場合は違います。異様なほど厳格にチェックされ、通過の許可はイスラエル兵の気分によって決まることがあるため、明確な理由もなく通過できないことも頻発します。
また、一人あたりの検査に要する時間が多いことから常に混雑し、学校や仕事にも支障を来してしまうといいます。


【留まることのない「入植地拡大」】

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(出典:PASSIA)

この画像は、イスラエル建国以降のパレスチナ領の変遷を示しています。

当局はこれまでパレスチナ人の土地を収奪し、そこに家やマンションを建ててイスラエル国民を住まわせてきました。こうした入植を進める大きな理由は、イスラエルの支配領域を広げ、土地所有の既成事実を作ることだとされています。
また「入植者を危険なパレスチナ人から守る」という名目で入植地には軍を配備しています。その兵士があらゆる口実で隣接するパレスチナの領地を攻撃し、追い出すことで空いた土地に再び入植地を造るという戦略も進められています。
こうした入植活動は国際法で禁じられていますが、イスラエル政府は「パレスチナは国家ではないため占領地とはならない」と主張し、国際社会からの批判を無視し続けています。

また、パレスチナ人は家屋の新築や改築をイスラエルの法律によって禁じられています。もしそれに違反すれば、軍がブルドーザーを動員して破壊し、その費用まで請求してくるのです。

(2003年。非暴力を訴えるアメリカ人の抗議者が、パレスチナ人の家屋をイスラエル軍のブルドーザーから守ろうとして轢き殺された)


【現代の人種隔離政策「分離壁」】


2002年以降、パレスチナ人の住むエリアを囲うように分離壁が建てられました。全長は700km、高さは最高で8mにも及ぶ場所もあるといいます。

イスラエル当局の口実としては「テロリストがイスラエル側に入るのを防ぐため」としていますが、実態は異なります。この分離壁は、第一次中東戦争(1948年)の休戦協定で定められた「グリーンライン」と呼ばれる境界線よりも深く、イスラエル側に入り込んで建てられているのです。そして、分離壁は当局の都合によって建てられていることからパレスチナ人の居住エリアが分断され、移動するにも遠く迂回しなければならないうえに、先述した厳しい検問所も越えなければならず、彼らの日常生活は多大な支障をきたしています。

歴史上、こうした隔離政策は何度も行われてきました。ナチスドイツの「ユダヤ人ゲットー」や、南アフリカでの「アパルトヘイト政策」などもその一つです。
こうした分離壁の建設も国際法に違反していることですが、当局は「テロ対策に貢献している」として反発を続けています。


【イスラエルの強力なパートナー】

国際社会、国連機関から非難を浴びながらも断固としてパレスチナへの弾圧を続けるイスラエルの背後には、アメリカという強大なパートナーが控えています。
なぜこれほどまでにアメリカはイスラエルに肩入れするのでしょうか。

一つは、アメリカにとってイスラエルは、軍需産業面における顧客とされているからです。
アメリカの経済は強大な軍需産業によって支えられています。
高度なセンサー技術、正確な誘導ミサイル、それらを統合的に運用する巨大な戦闘コンピュータシステム。アメリカが生み出したこれら新世代兵器の輸出が、これまでのアメリカ経済の大部分を支えてきました。
そして、周囲をアラブ諸国に囲まれているイスラエルにとっては、軍備増強は必須ともいえます。そのため、アメリカにとってイスラエルは軍需産業における最適の顧客であり、こうした軍産複合体が両者を強力に結びつけています。

もう一つの理由は、強力なユダヤ・ロビーの存在です。
このロビー団体がアメリカの政治家に圧力をかけることで、自らの主張を通させるのです。もし、ある議員がイスラエルに対して批判的な姿勢を貫けば、ユダヤ・ロビーは莫大な資金力をもってネガティブ・キャンペーンを煽り、落選に追い込みます。そして、自分たちにとって都合の良いイスラエルに友好的な議員を出馬させるのです。
つまり、イスラエルを支持しなければ選挙で票を得ることが困難になり、不利になってしまうというわけです。
そのため、昨今はイスラエルの政策に内心では批判的であっても、その影響力の高さを恐れて賛成を表明する議員がほとんどです。

これらの理由により、アメリカは国連安全保障理事会で議論されたイスラエルの行為を批判する数多くの決議に拒否権を発動してきました。こうしたアメリカの偏った姿勢から議論が膠着し、国際法の違反を続けるイスラエルに国際社会は圧力を加えられずにいるのです。


【まとめ】

ここで述べてきた「見えにくい暴力」は、パレスチナで起きている日常の一端です。もちろん「見えやすい暴力」も深刻なもので暴力や差別、嫌がらせは日常と化し、ガザ地区では空爆によって無辜のパレスチナ人が殺されています。

こうしたパレスチナでの状況を知らず、メディアによって報じられる戦闘や爆撃の様子ばかりを見ていれば「パレスチナ人は危険だ」と思うかもしれません。
しかし、分離壁によって閉じ込められ、理由もなく土地を追い出され、無差別に爆弾を落とされ、日常的に嫌がらせを受けている彼らの日常を知れば、その見方が変わるはずです。

今もなお、イスラエル当局による入植活動は進められており、パレスチナ人の領地は奪われ続けています。占領されたパレスチナの土地は、シオニストによって村落や都市のアラブ的景観が破壊されていき、パレスチナ難民の帰還を阻むと同時に、世界各地から集まってくるユダヤ移民のための居住地とされました。
パレスチナ人はこれまで約1世紀の間、世界からの関心を呼び込むべく様々な形で悲痛な思いを訴えてきましたが、何の結果も生まれませんでした。こうしたなかで、国際社会の対応の遅れはパレスチナ人を更なる危険にさらす可能性をはらんでいるといえるでしょう。

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