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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑧ [パン屋での攻防]】

皆さんこんにちは。
前回の投稿はこちらからお願い致します。

今回の記録は、初めて平日に難民キャンプを訪れた際のものです。

2018年12月24日(月)

朝日が昇る前に出発し、凍てついた空気のなか難民キャンプへと向かう。
この日、台湾のボランティア団体がバカアの学校を視察に来るということで、学校の関係者であるマルズークも来てほしいと先方から声を掛けられたためである。

バカアに到着後、まずは行きつけとなったいつものパン屋へと向かう予定だ。今回こそは、主人にお代を渡してパンを買いたい。実は2日前の訪問の折にも渡そうと試みたが彼は頑として受け取ってくれなかった。

「君はそこにいる私の息子と兄弟同然だから、お代はいらない」

今まで店の前を通り過ぎる度に挨拶はしていたが、話すようになり始めたのはつい最近のことである。にも関わらずこのような寛大な声を掛けてくれたご主人の懐の大きさを前に、持っていた小銭を引っ込めてしまった。
しかし、それにずっと甘えているわけにはいかない。何かしらの形でお礼をしたいが、おそらく今回もお金は受け取ってくれないだろう。
そこでバカア到着後、停留所近くの八百屋に立ち寄ったのち、パン屋へと歩を進めた。

主人とその息子に挨拶をし、他愛もない雑談をしたのち、早速欲しいパンを告げる。すると主人がそれを袋に詰めて、お代を求めることなく手渡してきた。それに対して、私は手にしていた果物入りの袋を差し出すも、いつものように受け取ってはくれない。これも予想はしていたため、その中からいくつか取り出して「これだけでも貰ってください」と訴えると、逡巡した様子であったが受け取ってくれた。
「やっとで(お金ではないが)お代を渡せた」と、この時点では思っていた。
2人に別れを告げ、袋の中を覗くとパンが2個。頼んだのは1個のはずだが。
今回も主人の方が上手だった。

(主人のアズミ(左)と息子のアッブード(右)。主人が生地を作り、息子が店頭でそれを焼きながら売っている。よく互いに冗談を言い合いながら仕事をしている。)

ムハンマドさんと合流し学校へと向かう。
7:00を過ぎた頃、学校に到着すると既に子ども達が集まって朝礼を行っているところだった。私達は校長室で職員達と挨拶を交わし、この日のスケジュールなどの連絡を受けた。
お菓子のように甘いお茶を飲みながらしばし職員達と話をしていると、例の台湾からのボランティア団体が到着したとの知らせを受けた。職員総出で出迎えに行くと、20人ほどのゲストが門の前で待機していた。英語の先生であるマフムードさんが通訳を務めながら互いの代表者が挨拶を交わし、早速授業の様子を見学して回ることになった。

事前に受けたスケジュール通り、ムハンマドさんは音楽の授業を担当し、私は体育を受け持った。
この日の最後には、イベントの一環としてゲストの御前で高学年による男子vs女子のサッカーの試合を開催した。結果としては2-1で男子チームが勝利したが、3ヶ月前までサッカーのルールすら知らなかった女子生徒達の健闘が光る試合であった。

(ヨルダンの学校の多くは、体育・音楽・美術といった情操教育が必修ではない。この学校も例に漏れずそういった科目が時間割には組み込まれていないため、音楽を専門にするムハンマドさんが時々訪れ、授業をしている。)

(毎週土曜日にサッカーのコーチをしているムハンマドさんの息子、マフムード。専門はハンドボールで、バカアのハンドボールチームではキャプテンとしてチームを束ねる。サッカーの技術も群を抜いている。)

話を聞くと、この日来ていたゲスト達は学校を金銭面でサポートをしている団体の職員だという。
また、ヨルダン大学に所属する中国人の学生もそこに帯同していたことから大学生活やボランティアに関する話を伺ってみようと試みたが、その学生はアラビア語も英語もあまり分からないということで詳しい話を聞くことができなかった。

すべてのスケジュールを経て、ゲスト達は11:00頃に帰って行った。私達も学校の職員達に挨拶を交わし、学校を後にした。
その後、平日のキャンプをムハンマドさんと少し歩いてみたのだが、土曜日の街の様子と大差はないように感じた。いつものように市場は賑わっているし、通りでは相変わらず多くの子どもが空気の抜けたボールを蹴っている。当然のことだが、いつでもここでは彼らの日常が流れているのだった。

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