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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑥ [縁]】

皆さんこんにちは。

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【2018年12月15日(土)】

冷えた空気に体を震わせながら難民キャンプのバス停で同僚を待っていると、店先でパンを焼いていた中学生くらいの少年が笑みを浮かべながら手招きをしていた。
実は以前から彼の存在は知っていた。その店は停留所を降りてすぐのところにあるのだが、彼はいつも店先でパンを焼いては道行く人に売っていた。実際に関わることになるのは今回が初めてである。
挨拶を交わしていると店の奥からご主人が現れ、同僚との待ち合わせの時間まで3人で立ち話を始めた。

(パン屋の主人。初めて会ったにも関わらず、シリア国内で経験した自らの境遇について語ってくれた)

名前や国籍、家族構成などをひとしきり応えた後に、話題は彼らの生い立ちへと移った。聞くと彼らはシリア人で、2011年のアラブの春に伴って始まったシリア内戦から逃れてきた難民だった。

「自分達はシリア人で、2011年に起きた内戦のためにシリアからヨルダンへと逃れてきたんだ。今も街にはたくさんの爆弾が落とされている。(1日にどのくらいの爆撃があるのか訊ねたところ)毎日、数えられないほどたくさんだよ」

話題がシリア内戦に変わってから間もなくして同僚が来たため、彼らとの話も今日はここまで。
別れ際にご主人はパンを一つ手渡してきたため、お代を渡そうとすると、「お代はいらないから、また来週寄ってくれよ」と笑顔で見送ってくれた。来週はちゃんとお代を払ってパンを貰わなければ。

「今夜、パレスチナ人の総会があるんだが来ないか」
活動が終わって一息ついていると、同僚のムハンマドさんから唐突に誘いを受けた。詳細は分からなかったが、どんなものか気になったため二つ返事で参加を決め、総会が開かれるという会場へとその足で向かった。
会場に到着し、中に入るとその雰囲気に圧倒された。てっきり会議室のような部屋でやるものとばかり思っていたが、ホールのような広いスペースにかなりの人数が列席していて立ち見客も散見されるほどだった。そして印象的だったのが、大人はもちろんのこと、多くの青年や子どもも多く見受けられた点である。若年層であっても政治への関心は高いということだろうか。
ムハンマドさんと席に着き、ざっと周囲を見回したところ外国人は自分一人であった。それもあってか会場の多くの人から終始話しかけられていたが、それは思いのほか好意的な反応だった。

(会場は人でごった返していて、ホールの脇や後方には立ち見客もいた。ホールの正面に掲げられた大きな看板には『パレスチナ人の高い連帯の式典』と書かれている)

席についてから約20分ほど経過して、総会が始まった。会場はパンク状態であったが、未だ会場に入ってくる人の波は途切れない。
最初に、進行役の男性が聴衆の士気を高めようと、強い語気で聴衆を煽り立てた。そこから何名かの識者が順番に演台の前に立ち、最近の政治やパレスチナを取り巻く問題などをテーマに聴衆に向けて語りかけていた。時には声を荒らげながら。聴衆はそれに応えるかのように拍手や歓声を挙げ、会場が時間を経るにつれ一体感を増し、熱気が上がっていくのを感じた。
識者の発言のなかでは「祖国」「イスラエル」というフレーズが多く使われていた。故郷への帰還を決して諦めてはいけないという気概を持ち続けること、これが今日の総会の大きな意義であるのだと感じた。

(話者の言葉に聴衆は熱狂し、時間を追う毎に会場が一体になっていくのを感じた)

「そろそろ帰らなきゃいけないだろう?」
2時間ほど経過したところで、総会はまだ続いていたが帰りのバスがなくなるのは困るため帰らなければならない。後ろ髪を引かれる思いで会場を出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
ムハンマドさんに見送られながら帰りのバスに乗ると、会場の雰囲気から自分の鼓動も大きく昂ぶっており、『ワタン(故郷)』という言葉が脳内で反芻していた。

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