人の熱量の差が重要と感じた話
こんばんは。
今日、一日長野の方でゴルフを1ラウンドプレーをしていました。
スコアは、107(61、46)でした。
相変わらずドライバーが引っ掛けてしまって真っ直ぐ飛ばず、前半は精神的にも納得いく展開ではなかったのですが、昼においしいヒレカツカレーを食べていいスコアで回れました。
比較的簡単なコースだったためもあるにもかかわらずこのスコアは、不甲斐ない結果だなと感じています。
さて、本題に入っていくのですが、本日は、熱量の違いについて話していこうかなと思います。
中学時代
中学生の時のサッカー部では、厳しいコーチがいたこともあり、それなりにハードな日々を過ごしていました。
その当時僕は、サッカーは好きだけどそんなにガチでやるのに意味があるのだろうという気持ちで練習に参加していました。
そんなこともあり、高校では、ガッツリというより比較的エンジョイ系の部活に入部したいなという思考に至っていました。
高校そして大学に
高校になると考えていた通りエンジョイ系の部活に入りそれなりに楽しい日々を過ごしていました。(一年くらいで辞めてしまいますが、)
そんなかんやで高校生活を過ごしているうちに友達同士で休み時間にバレーをやることが増えてきました。
また、体育の授業で試合形式のスポーツが増えていくうちにぬるい試合や真面目にやってない試合やスポーツって楽しくないなと感じていました。
友達同士や授業で1人だけガチでやっても浮いてしまうため周りに合わせることが重要でそれが強調力ってやつなのかなと思っていました。
そして大学に入り、二年生になると実験等でグループ活動が増えてきました。
大学って真面目に勉強する人としない人の差が結構あると感じていました。
高校までは、スポーツ面で熱量の差を感じていたところ最近では、勉強や思考などでも熱量の差を感じています。
熱量の差のジレンマ
疑問に思っていた熱量の差の何が難しいかというとどちらも居心地が悪いのではないかということです。
例えば、スポーツでいうと熱量が低い人が熱量高い人についていくことで疲れてしまったりします。
特に難しいのがグループ活動で評価を高いのを狙おうと熱量が高い人が低い人にに強要、または妥協をどこまでするべきなのかがすごく悩ましところです。
どちらも納得してくれればいいですが、そうでない場合両者の関係も悪くなりますし、楽しくなくなります。
熱量を合わせること自体が難しいことなのではないかなと考えています。
類は友を呼ぶ
そういうグループ活動等は割り切ってみんなで取り組む姿勢が大事なのではないかなと考えています。
最初から諦めず、少なからず努力はするべきだと思います。
そこだけ頑張れば、周りからの評判を少なからず良くなりますし、今後の関係値も良好のままです。
それが終われば、自分たちの波長の合う友達同士で集まればいいのではないかなと思います。
その波長が合う友達が比較的熱量が同じくらいの人たちなのではないかなと考察しています。
それが「強調力」というものなのでしょうか。
まとめ
熱量が違うと話していて疲れてしまったり、飽きてしまったりすることが顕著に出ると思います。
そういったことを踏まえて周りにいる付き合いの長い友達は熱量が同じくらいの人なのではないかなと考えています。
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