今この時を踊りながら生きる。そんな人に私はなりたい。
久しぶりに「嫌われる勇気」を読みました。また読もうと思ったきっかけは著者の古賀史健さんのnoteを拝見したからです。
前に読んだ時は楽しいエンターテイメントという感じだったのですが、今回はある部分が心に刺さりました。
「刹那(せつな)」というのは仏教用語で、極めて短い時間、一瞬のことだそうです。どのぐらい短いかというと、一回指を弾く間に60から65の刹那があるとか。1秒よりずっと短いですね。
つまりアドラーによると人生とは昔から続いている「線」ではなく、一瞬一瞬ごとの「点」が連なって構成されているということです。これは朗報です。だって、繋がっていないのなら、たとえ大きい失敗を犯してしまっても、いつからでも挽回できるからです。だから著者は人は今この瞬間に幸せになれると言っています。
だから嫌なことがあって気分が悪い時や、雨の月曜の午前中などでも、その気になって口角を少し上げさえすれば、すぐにでもご機嫌になれるということでしょうか。
そして著者は「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てて、ダンスをするように生きよと言っています。
ともすれば私はTo doリストを考えていて、あれもしないと、これもしないとと、何かをしながらも、頭の中は次の段取りを考えていたりします。または、もう終わってしまったことを頭の中で再生してイライラしたり。いかん、いかん、今に集中!
上の言葉は全て同じことを言っていますね。目的地に着くことよりも、そこにたどり着くまでの一歩一歩の過程が大切なのだと。
確かに自分の経験を振り返ってみても、当時ドイツの大学院を必死になって卒業したのですが、卒業の瞬間よりも、その前の7年間の奮闘の経験の方が財産になっています。
未来を心配しすぎず、過去を振り返りすぎず、今に意識を集中して、軽やかにダンスするように生きていけたらいいなあ。人は結局「今」しか生きられないのだから。
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