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2021年3月の記事一覧
快適になったこそのイライラ
私の子供の頃には、停電てもう少し頻繁にありました。
年末年始は店はどこも閉まっていたし、24時間開いてる店なんてなかったし、電話は一家に1台で、クラスに一人二人くらいは電話のない家がありました。
電卓が画期的で、エアコンなんて家に入ったのは10代後半になってから。
待ち合わせ場所の時間や場所を間違えようものなら一生会えないかもしれないって。
昔のが情緒があってよかった・・・・なんてこと言うつも
私の3.11備忘録−5
実はこれまで生きてきた中で”九死に一生を得た”経験がない。もの心つく前は知らないけれど、何かあったとしたら親が私に話をしていただろう。
今回も又、そういう意味では免れた。人によっては行く先々で地震にあっている人もいるというのに。
又、首が回らないほどの借金地獄に陥った生活をした事はないが、かといって裕福な家庭でもなかった。中の下という所だろうか。
だから募金、というものもあまりしていない。ごくたま
私の3.11備忘録−4
スーパー勤めの私も連日忙しかったが、彼(今の夫)はもっとだった。
運送業。10㌧トラック転がせる。
災害が起きると救援物資を配送するための救援要請がくる。詳しい事情は知らないが、要請を受けるにつけ、受けないにつけ、一部の車及び付随する運転手がそちらに回される。
が、関西以降方向の荷物は普通にあるわけで(もちろん災害地からの荷物はないけれど)それは運ばなければならない。支援要請に回った分の穴埋め、と
私の3.11備忘録−3
今まで経験した事のない災害の発生だった。
はっきりとは覚えていないが、数日後チラホラ出始めた、品不足。
交通網が寸断されていることはもちろん、製造拠点がやられている、あるいはある品物のパッケージをする工場がやられている、流通拠点がやられている、被害にあっている地域を優先的に品物を確保配送している、様々な理由で納品がない、あるいは大幅に遅れている。
届く品物が少ない事がわかると出始めるのが買い占め
私の3.11備忘録−2
停電復旧が大幅に遅れた地域だったので、その惨状を目の当たりにしたのは翌日だった。
当然ながらテレビをつければそのニュース一色で、でもこちらの私周辺の被害はほとんどなく(某スーパーの立体駐車場が一部倒壊し、一人死亡、が最大の事件だったかも)、勤め先スーパーもいつも通りの開店時間(社員は前日の事もあり、早々に出勤したらしい)。
皆テレビに釘づけだったのだろう。店は暇だった、・・・というか、あまり覚
私の3.11備忘録−1
東日本大震災から10年。
もう10年なのかまだ10年なのか。
あの日、そしてしばらくの日々を思い出しながら備忘録として今しばし綴っていこうと思う。
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今勤めているスーパーには既に勤めていた。当時は徒歩20分くらい。16時出勤だった私は、そろそろ支度を始めようとしていた、と地震。随分大きかったのは確かだ。又当時は築数十年と
これ以上自粛政策しても状況が変わらないから解除っていかにも日本らしい