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子どもの叱りかた。

僕は子どものことをアホなことするし、正しい行動なんてしなくていい存在だよね、なんてことを思って育児をしている。

そう言うと、僕の育児を見ているほとんどの人は、「いやいやいや、めちゃくちゃ叱ってるやん!怒っているやん!」と、反論する。

そう、僕は日常的にめちゃくちゃ子どもを、娘たちを叱っている。

だけれど、僕が叱っているからといって、子どもに常に正解することを求めている訳じゃないし、そこには明確な考えを持って叱っている。

よく、褒めて伸ばす、叱って伸ばすのどちらが正解かなんて議論があるけれど、僕は確実にどっちかを選べない。

と言うよりも、伸ばすつもりはないんだけれど、育児でどっちかを選べと言われると難しいことこの上ない。

ダメなこと⇒叱る
良いこと⇒褒める

この2つを並べると、やっぱり親なら二者択一なんてできないじゃない?

なんなら、僕はこれを二者択一にしていることさえ間違っていると思っている。

例えば、

「ダメなこと⇒叱る」なんかは、親なら必ずしていることだと思うんだけど、

(必ずって時点で二者択一じゃないけど)

ダメなことを子どもが繰り返さないようになればいいなと思って叱っている、と思うんだよね。

でもさ、そうだとしたら、

「ダメなこと⇒叱る」で終わりじゃなくて、叱ったことによってダメなことを繰り返さない、つまり良いことをしてるんだから、

「ダメなこと⇒叱る⇒良いこと⇒褒める」

じゃないとおかしいよね。

つまり、僕はダメなことのゴールが叱ることじゃなくて、ゴールは褒めることなんだと思っている。

親は時折、自分の欲求で子どもを褒めることがある。反対に自分の欲求で叱ってしまうこともある。

例えば、初めての寝返りなんかはめちゃくちゃ褒められる。けれど、その行動が当たり前になれば褒められない。

それは、親が初めての行動を欲しているだけで、慣れてしまえば親の欲求から外れてしまうからだろう。

まぁ、かわいさは永遠にかわいいんだろうけど、二十歳を超えた子どもの寝返りは褒めないよね。

なのに叱られることは、いつまで経っても叱られる。褒められるのは一瞬なのに、叱られる行動はいつまでも叱られる。

残酷で理不尽な親の習性。

だから僕は決めている。

子どもはアホなことをするもんで、叱って絶対に直してやろうとは思わない。

でも、ダメなこと、危ないこと、悪いことを手当り次第に叱り倒す。

結果できなくても別にいい。

それでも、ちょびっと頑張りが見えたら褒めたらいいし、それこそ悪いことが止められたときは、溶けるくらいに褒め倒す。

僕が子どもを叱るのは、なにも怒っている訳じゃない。

僕は子どもを褒めたくて叱っている。


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