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👂聴こえないこと=不幸ですか?

ドラマの『silent』最終回
皆さんは どんな感想を持ったでしょうか?


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その数日前に
🍀手話通訳者のhanasakiさんのnoteを読みました。

この記事に対する私のコメント

hanasakiさん
ありがとうございます。
非常に興味深く読ませていただきました。
一般の日本人は(私もつい最近まで)、
日本手話と日本語対応手話の区別がつかないと思います。
うまれつき、耳が聴こえない状態で生まれた場合
身につけるべき言語は日本手話だと思います。
人工内耳は、賛否両論あり、どちらとも言えません。
でも、聴者は聴こえない人を障害者ととらえ
(本当は社会に障害があるのに)
なんとか、聴こえるようにしようとしたり、
聴者に近づけようとしますね。
(それが、長い間、手話を禁じ、読話や口話教育を強制した
黒歴史の根底にあるかと思います)
ですから、人工内耳を勧める人には
「聴こえるほうが幸せでしょ」という思い込みもあると思います。
確かに、聴こえないことにより
この社会では不利益を被ることが多いけれど、
当の本人は(silentのように中途失調者じゃない限り)
生まれたときから、ありのままを受け入れている。
だから自分が障害者だという感覚はないのではないかと思います。
(以前、明晴学園のドキュメンタリー動画で、ろうのお子さんが
「ぼくたちは障害者じゃない」と言っていたと記憶しています)
日本手話という言語を身につければ
十分学ぶこともでき、考える力も育つと思います。
ですから、hanasakiさんが見た動画で1歳のろうのお子さんが
ちゃんと手話で会話している姿を見たときの感想について
私も同感です。

ドラマsilentの主人公の苦悩とは別ですね。
あったものが(聴こえたこと)
とつぜんなくなってしまったことの喪失感
以前と変わってしまった自分を受け入れられないことの苦悩が
前回描かれていたと思います。
最終回、見逃せません。

by ひろ


はじめの質問
👂聴こえないことは、不幸でしょうか?



・・・確かにこの社会では
圧倒的に不利で不便です。
でも、不幸だとは言えないと思うのです。

幸せかどうかは
本人が決めることであって
まわりが勝手に決めつけることはできません。


もちろん
困ったときはお互い様です。

みんな違ってあたりまえ
みんな何かが足りない

かわいそうだから助けるのではなく
〇〇が足りないなら私のを分けるね、
的な感じかな。
おすそわけ、みたいなことかも。


お互いに助け合う優しい社会が
結局みんなが生きやすい社会だと思います。



***


『silent』は久しぶりに
連続して見たドラマでした。
最終回は・・・


そう:"何のために「言葉」があるのか?"
🎀
つむぎ:"大切な人と一緒にいるために「言葉」がある。"

過去を向いていた想と
今を見ていた紬が
未来へ向かって

想と紬の心が
手話という「言葉」を通して
つながった瞬間💞


そして、二人の周りの人たちも
みんな泣きたくなるほど
温かくて優しくて素敵でした。




☟見逃した人はこちらで



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☟手話が禁じられた過去について



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special thanks to もぐもぐハリネズミさん
(写真・クリエイター)

応援ありがとうございます。<(_ _)> いただいたサポートは、恩送りの活動に役立てたいと思います。💞