雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今ま…

雑司が谷散人

2016年11月から東海道を歩き始めて以来、あちこちの街道歩きを楽しんでいます。 今まで歩きながら撮り溜めた写真など、街道歩きの軌跡を記録として整理したく、このページを立ち上げました。 古いものから時系列に紹介していますので、内容が最新ではないこと、ご容赦下さい。

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雑司が谷散人の街道遊歩 街道別→歩いた日別の目次

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    • 雑司が谷散人の街道遊歩 0634

      中山道 1日目-08 2018.12.29地蔵通り商店街に入ると、右手に地蔵尊煎餅むさしや。 大正2年創業。 巣鴨の代名詞「とげぬき地蔵」高岩寺。 慶長元年に湯島に創建され、下谷屏風坂を経て明治24年に巣鴨へ。 本尊「とげぬき地蔵」は秘仏。 境内で行列ができるのは、洗い観音。 観世音菩薩坐像に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという。 地蔵通り商店街左手に、清水畳店。 明治38年創業。 庚申塚交差点の右手角に、巣鴨庚申塚。 このあたりは立場として賑わった場所。 飛鳥

      • 雑司が谷散人の街道遊歩 0633

        中山道 1日目-07 2018.12.29国道17号右手に大円寺。 天和の大火の火元といわれ、大火は後の八百屋お七の放火事件のきっかけとなった出来事。 そのお七供養のために享保4年に建てられたのが、境内のほうろく地蔵。 地蔵が熱したほうろくを被って焦熱の苦しみを受けるといわれ、祠には願い事を記したほうろくげ積み上がる。 国道17号は白山上交差点へ。 近くの白山神社に因む地名。 中山道の通る高台側が白山上、地下鉄白山駅方向に下ると白山下。 国道17号は巣鴨駅へ。 その手前、

        • 雑司が谷散人の街道遊歩 0632

          中山道 1日目-06 2018.12.29国道17号は東大正門前へ。 明治45年完成。 伊東忠太の設計による。 国道17号から左手の路地へ少し入ると、万定フルーツパーラー。 大正3年創業。 フルーツパーラーは創業当時の姿で、今はカレーが名物。 建物は昭和3年築。 国道17号は本郷追分へ。 ここは中山道と日光御成道(岩槻街道)との分岐点。 直進が御成道で、中山道は左折。 角の高崎屋は、寛延4年創業の老舗。 江戸期には両替商も兼ねた。 本郷追分からは道幅の狭まる国道17号。

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0631

          中山道 1日目-05 2018.12.29天堅屋の脇から僅かな区間ではあるが、国道17号から離れた中山道旧道がある。 小さな手作りの道標が嬉しい。 国道17号は本郷3丁目交差点へ。 角に「かねやす」。 京都の口中医、兼康祐悦が元禄年間に歯磨き粉「乳香散」を発売。 これが人気となり、小間物店「兼康」を開業。 暖簾分けの芝「兼康」との争いで、大岡裁きにより「かねやす」とひらがな表記に。 本郷もかねやすまでは江戸のうち。 本郷3丁目交差点の少し先から左へ入る道は、菊坂。 樋口一

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0630

          中山道 1日目-04 2018.12.29万世橋高架橋に沿って進むと、神田川(外堀)を渡る昌平橋へ。 寛永年間の架橋といわれるこの橋は、当初は近くの一口(いもあらい)稲荷から一口橋と呼ばれたが、元禄4年に湯島聖堂(孔子廟)建設の際、孔子の生誕地、魯国昌平郷に因んで昌平橋と命名。 昌平橋を渡ると、中山道は再び国道17号となり、総武線の松住町架道橋をくぐる。 昭和7年に総武線が御茶ノ水へ延伸された際に、交差点を斜めに跨ぐ形で架けられた橋で、日本の鉄道橋としては初のタイドアーチ橋

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0629

          中山道 1日目-03 2018.12.29国道17号中央通りは須田町交差点へ。 交差点手前に日本橋から1キロのキロポスト。 草津まではあと507キロ。 須田町交差点の廣岡株式会社東京支店ビル。 スクラッチタイルのシンプルな外観は、昭和モダニズムの現れか。 昭和10年築。 須田町交差点から国道17号を離れ、廣岡ビル脇の旧道へ直進する中山道。 左手の路地へ入ると、甘味処「竹邑」。 戦災を免れた貴重な建物。昭和5年築。 竹邑の向かい側には、あんこう鍋の「いせ源」。 創業は天保

          雑司が谷散人の街道遊歩 0629

          雑司が谷散人の街道遊歩 0628

          中山道 1日目-02 2018.12.29日本橋からの中山道は、国道17号。 この先群馬県高崎までは、国道17号が中山道の踏襲路線。 室町3丁目交差点までは国道4号との重複区間。 国道17号中央通りは今川橋跡へ。 今川橋は神田堀(竜閑川)を渡した橋で、天和年間の架橋。 当時の名主今川氏の尽力で架橋されたという。 堀の暗渠化による橋の撤去は昭和25年。 今は痕跡も無い。 国道17号中央通り左手に、山梨中央銀行東京支店。 小ぶりだが堅牢な銀行建築。昭和6年築。当時は第十銀行東

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0627

          中山道 1日目-01 2018.12.292016年11月6日に東海道の旅をスタートして以来、日本橋を通ることは何度かあったが、街道歩きの旅としては2年ぶりに再びこの地へ立つこととなった。 およそ2年で東海道を歩き終え、今度は中山道の旅。 これから出会う様々な街道風景に思いを馳せ、改めて草津宿までの長丁場に挑む。 日本橋北詰東側に、日本橋魚市場発祥の地の碑が立つ。 日本橋魚河岸の発祥は、家康が江戸へ呼び寄せた佃村の漁民たちが、江戸城へ献上する以外の余った魚を日本橋の河岸で売

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          雑司が谷散人の街道遊歩 0626

          京街道 2日目-13 2018.12.19京街道旧道右手に妙見宮常夜燈。 枚方宿を構成した4ヶ村のうち、岡村と三矢村の境。 京街道右手に大きな妻面を見せる商家は、旧塩熊商店。 享保年間創業の塩屋で、赤穂の塩を販売した。 建物は明治31年築。 旧塩熊商店は、くらわんかギャラリーとして公開されている。 淀川水運の中継港として栄えた枚方宿では、船から宿の船宿に向けて「餅くらわんか、酒くらわんか」と賑やかに叫びながら酒や食べ物を売るくらわんか舟が名物だった。 枚方宿の中心地、三

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          京街道 2日目-12 2018.12.19京都~大阪間には明治9年に官営鉄道(東海道線)が淀川右岸に開業したが、運賃が高く、淀川の蒸気船の方が賑わっていたという。 これに対しての京街道に沿った左岸側の電気鉄道計画として設立されたのが京阪電鉄。 大阪天満橋~京都五条間の開業は明治43年。 京街道の原形は秀吉が文禄5年に毛利一族に命じて築かせた淀川左岸の文禄堤。 よって、江戸初期の頃までは、路面の断面が半円形になっていたという。 その名残で、今も旧道筋が周囲よりやや高くなってい

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          京街道 2日目-11 2018.12.19枚方宿を構成したのは、東見附側から順に岡新町、岡、三矢、泥町の4ヶ村。 岡新町は今は新町の町名。 枚方市駅が近づくと、京街道旧道右手に枚方橋の親柱が残る。 かつてここには安居川が流れ、枚方橋があった。 岡新町から岡へと進む京街道旧道。 かつての岡は今の町名では岡本町、岡東町、岡南町、岡山手町となる。 枚方市駅の西側で、京街道旧道は右に折れるが、直進するのが磐船街道。 文政9年の道標が残り、裏面には「右 くらじたき」とある。 倉治

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          京街道 2日目-10 2018.12.19枚方市、交野市一帯は天の川・七夕伝説の発祥の地といわれる。 京街道旧道周辺は天之川町。 京街道旧道は天野川へ。 川は磐船渓谷から流れ出て淀川に注ぐが、その緩やかな流れから天の川に見立てられ、交野、枚方一帯の天の川・七夕伝説の舞台となり、多くの歌人が歌に詠んだ。 天の川にかささぎの群れが飛来して橋となり、彦星と織姫の橋渡しをしたという中国古来の七夕伝説による。 天野川の鵲橋の南詰には、昭和7年架橋の先代鵲橋の親柱と橋桁の一部が残る。

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          京街道 2日目-09 2018.12.19京阪牧野駅の東側に出ると、京街道旧道に前島街道の道標。 前島は淀川対岸の地。 京街道と西国街道を結ぶルートのひとつで、前島の渡しへと通じた。 穂谷川沿いの京街道旧道を進むと、左手に片埜神社への参道入口。 両脇の常夜燈には「大阪」「京都」の文字。 三栗地区に入る京街道旧道。 三栗は「めぐり」と読む。 三栗南交差点から府道13号に合流する京街道。 左手に京阪線が寄り添うと、御殿山駅。 駅の反対側に御殿山神社のある高台があり、永井伊賀

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          京街道 2日目-08 2018.12.19淀川左岸の堤防に出た京街道旧道は、京阪電車の線路に沿って進む。 その線路越しに、幕末期の楠葉台場跡地。 多くは海岸に作られた台場だが、淀川左岸のここと、対岸の高浜台場の2ヶ所は内陸部に作られた珍しい事例。 淀川左岸の堤防から楠葉の住宅街に入る京街道旧道。 町名をよく見ると、楠葉町ではなく町楠葉。 淀川左岸の堤防上には、旧国道1号にあたる府道13号。 旧京阪国道とも呼ばれるが、そのまた旧道が東海道の旧道であり、今は住宅街の静かな道も

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          京街道 2日目-07 2018.12.19京街道旧道から淀川堤防に上がる道に、対岸の山崎との間を結んだ山崎の渡しの道標。 淀川を渡した山崎の渡し、狐の渡し、広瀬の渡しのうち、最後まで残ったのが山崎の渡しで、廃止は昭和37年。 橋本といえば往時は遊郭で知られた街。 京街道旧道沿いは、まるで映画のセットのように遊郭時代の面影を色濃く残す建物が軒を連ねる。 江戸期に成立した橋本遊郭は、鳥羽・伏見の戦いで砲撃を受け、街は焼失。 これを明治20年に京都府が遊郭営業を許可し、街は息を

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