雅雪

自分が文章を書くことが好きなことに、ようやく気付きました。 日々考えたことや気づいたこ…

雅雪

自分が文章を書くことが好きなことに、ようやく気付きました。 日々考えたことや気づいたことについて、気の向くままに筆を執りたいと思います。 また、学習記録や学習計画の共有、自己啓発などについて、交流ができればと思います。 英語や会計、監査(内部監査)等に興味があります。

マガジン

  • 中級未満の大人のピアノ

    中級未満の技量ながら、趣味と自己満足、教養のためのピアノ練習について。

最近の記事

どんな組織でもある話。A usual story in an organization.

I said to the ex-director that the problem certainly has been known since 10 years ago. (私はその元部長に、そういった問題が発生してくるのは10年以上前から明らかだったのではありませんか、と尋ねた。) It was an ironic comment. However, one of ex-directors replayed. "Actually, We have been unde

    • スモールスタートという言葉 The word of "small start".

      Recently I found an interesting word. The word is "small start". It is a simple word and I have heard. Actually, It is not I have found, but I could understand correctly.(最近、「スモールスタート」という興味深い言葉を見つけた。単純な言葉で、以前にも聞いたことがあった。見つけたというより、正しく理解したといっ

      • Reading books without looking clock.

        Although I was almost sick, I am regretting my low performance of the today's work.(体調が悪かったということもあるが、今日仕事の効率が上がらなかったことが残念でならない。) It is the usual thing that fatigues appear after a few days of the reason, but some people say it depends age.

        • デザインという多義語(仮題)

          多くの記事があるが、自分が読みたい記事に出会える可能性は、低い。 キーワードを見つけて適切に検索してみればよいのだろうが、簡単ではない。 外資系の仕事術の本を読んだときに、フォームやフォーマットの効率性を説く話が印象的であった。型があるから、型に沿って理解することができる。わかりやすい効率的な「型」をデザインする能力は、今後ますます重要だろう。そもそも、日本企業は属人的な業務形態が多く、型ではなく人の「経験と勘」、よくいっても「職人技」のような可視化されない領域に、業務ノウ

        どんな組織でもある話。A usual story in an organization.

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        • 中級未満の大人のピアノ
          11本

        記事

          哲学カフェとSNS The expectation of a new SNS system based on philosophy cafe.

          先週、3ヵ月ぶりに哲学カフェに出席した。時節柄、オンライン開催であるが、オンラインであるからこそ出席できたという面もある。 私自身が哲学カフェを自分で主催できるかというと、まだまだ難しいだろう。主催したいわけではないが、運営に参加してみたいとは思う。またそもそも、哲学カフェは個人で主催するより、若干名のチームが共同で主催する方が、バランスが取れて長続きするのではないか。 私がお世話になっている哲学カフェは、表立っては2名の主催者により共同で運営されている。(非公式な運営協力

          哲学カフェとSNS The expectation of a new SNS system based on philosophy cafe.

          メモ的な手記 The private note like a memo.

          毎日noteを意図せず止めてしまったことをきっかけに、約10週間(70日)noteから遠のいていた。 一度、ダメだと思ってしまうと、私はその否定的感情が強く、急にモチベーションを失ってしまう。世間的には、そういった傾向は完璧主義者のマイナス面の一つとされているが、完璧主義者に限らず、一つの汚点で全体を汚した気になってしまう人は、多いことと思う。 つい毎日の更新を怠ってしまった日の翌日、それを契機に新しい執筆方針を考えて、早々に再開するつもりであった。 しかし、なかなか書く気

          メモ的な手記 The private note like a memo.

          一日一善ならぬ一日一掃除

          首記の通り。 長年、7割以上実践できているが、それでも完璧な清潔さや完璧な整理整頓の状態には至らない。生活する以上、汚れやモノの散らかりは生じるものだ。汚れや散らかりの発生と、掃除・整頓による回復は、常に一進一退なのかもしれない。 それにしても、掃除を省力化できないか。 その発想が、掃除機ロボットの普及なのであろう。発売されて何年にもなるが、劇的な価格の低下は見られない。一定の品質には相応の原価がかかるということなのだろう。(安物を買って、失敗したことがある。) 掃除の前

          一日一善ならぬ一日一掃除

          ファンタジー考 いわゆる勇者といわゆる魔王

          ファンタジーでよくあるストーリーが、勇者が魔王を倒しに行くといもの。正義が悪を倒すというよくある話であるが、忠臣蔵でも吉良側から描かれることがあるように、また桃太郎の鬼退治も、鬼側からの倫理観に脚光を当てた卓見というべきストーリーも聞かれる。勇者と魔王の関係性も、多様な見方が広まっていると考えたい。 勇者というとひと昔前は少年ないし青年というイメージが強かったであろうが、そもそも青年という語に女性も含まれるように、女性の勇者も考えらえれ、「女勇者」などという語は現代において

          ファンタジー考 いわゆる勇者といわゆる魔王

          リスク評価と精神論

          リスク評価は、あまりに当たり前のことだ。それを抜きにして「安全・安心」を主張することはあり得ない。「安全・安心」を保証する論拠として、適切なリスク評価が存在する。それを無視して、単に口先だけで安全や安心を唱え、最後には「最大限努力する」という根拠のない精神論で結ぶ。 昭和は遠くなりにけり、とは誰が言ったことか。令和は昭和の劣化版であろうか。 議論がかみ合わないもどかしさは、双方が感じていることかもしれない。しかし、「別の地平」などという比喩を使って論評する態度は、ひどいと思

          リスク評価と精神論

          同じテーマについて2回書くこと。

          同じテーマについて2回書くことは、いささか怠惰であるかもしれない。新しいテーマや視点を常に探す努力を、怠ることに他ならないので。 一方で、毎回の散文が偶然の産物であるように、同じテーマについて再度書いたとしても、文章は同じものにはならないだろう。同じテーマについて同じことを言っているように見えて、実は別な視点や考察を含んでいるかもしれない。あるいは偶然に、1回目に書いたときには思い当たらなかったことに、思い当たるかもしれない。 繰り返すことは、やむを得ない。 同じことの繰

          同じテーマについて2回書くこと。

          「姿勢のよさ」という抽象論

          ありがたいことに、あまり頭痛には悩まされてこなかった。 そのような私が、断続的な頭痛を経験しているのは、肩凝りが悪化して頭痛にまで至ったためであり、いささか耐え切れず、久しぶりに整体院に足を運ぶことになった。 60分あまり診てもらった後、整体師が言うには、確かにひどく背中が張っているものの、極端にひどいということはなく、その他にも特段の異常は見られないとのこと。 そうなったことの考えられる原因としては、普段の姿勢に尽きるだろう。デスクワーク固有のリスクとして、やはり背を丸め

          「姿勢のよさ」という抽象論

          倒産企業の小説を読んだ感想

          素人臭い小説というか、実際に素人が書いた小説であったので、やはり拙いものであったのだろう。それでもハードカバーから文庫本になっているのは、社会的に耳目を集めた事件の当事者が書いたものであったからだと思うが、読む人が読めば、価値を見出せたのだろうか。 実際のところ、3分の1ほど読んで読むに耐えないと判断したので、死蔵していた。手放さなかったのは、一度手を着けた以上は読了したいという愚かなこだわりがあったためだが、そのこだわりは放棄したつもりでも、つい手放すタイミングを失してい

          倒産企業の小説を読んだ感想

          図書館と新刊書店

          図書館の書棚と新刊書店の書棚は、自ずと違いがある。 図書館の方が、時間軸は長い。古い本から新しい本まで置いてある。 久しぶりの図書館は、感染対策として1時間以内に用を済ませて退出するよう、アナウンスが流れていた。やむを得ないものなのかどうか。 アナウンスの効果かどうかわからないが、若干、館内の人は少ないように思われた。 陶芸の本と書道の本のほか、「薬膳酒」の本を興味深く読んだ。いずれも、新刊書店で見つけられた本かどうかはわからない。 図書館の帰路、新刊書店にも立ち寄ったが

          図書館と新刊書店

          景色と瞑想

          23時を回り、体力も時間もない。 仕事も十分には捗らず、自分はどのように時間を浪費してしまったのかと思う。 定期購読の雑誌を十分に読めていないので、会社の昼休みにネットを漫然と眺めていた時間を、その雑誌を読む時間に充てることにした。昼休みくらい、ディスプレイから目を離すべきであろう。 目の健康には、遠くを眺めるようにするといいらしい。 遠くを眺めることは、おそらく精神的にもよい影響があって、瞑想のような効果ももたらすのではないか。 瞑想をしたとき、心を空にして何も考えるな

          景色と瞑想

          読み返していないもの

          毎日noteも200日を超えているが、良くかけた投稿もあれば、駄文といっていい投稿もある。一度ゆっくり読み直して自己評価してみることは、大いに今後の参考になるであろう。駄文も加筆修正すればマシになるかもしれないし、良くかけたものも推敲して、「記事のまとめ」を作成してもよいかもしれない。 読み返していないものとして、長年保管し続けている旅行先の資料館や博物館のパンフレットや、美術館のチラシと作品目録の類がある。およそ訪れた施設のパンフレットは、必ずファイルして保存し、これまで

          読み返していないもの

          適度な冗長さと簡潔さの弊害

          一定の字数を書く場合、あらかじめテーマを明確にし、構成やアウトラインを考えてから書き始めるべきなのだろう。 逆に、曖昧なテーマで、構成やアウトラインなど考えずに書き始めた文章は、字数の多くなるまでに、筆を置くべきかもしれない。 会社でのメールや会議資料の類で、ひどく簡潔にまとめられすぎてわかりづらくなっているものがある。省略された部分を想像したり忖度したり、行間を読んだりするのは、かえって非効率で誤解を生む。 簡潔ではない長文でも、読みやすい文章やわかりやすい文章は多い。

          適度な冗長さと簡潔さの弊害