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ファンタジー考 いわゆる勇者といわゆる魔王

ファンタジーでよくあるストーリーが、勇者が魔王を倒しに行くといもの。正義が悪を倒すというよくある話であるが、忠臣蔵でも吉良側から描かれることがあるように、また桃太郎の鬼退治も、鬼側からの倫理観に脚光を当てた卓見というべきストーリーも聞かれる。勇者と魔王の関係性も、多様な見方が広まっていると考えたい。

勇者というとひと昔前は少年ないし青年というイメージが強かったであろうが、そもそも青年という語に女性も含まれるように、女性の勇者も考えらえれ、「女勇者」などという語は現代においては差別的ともいえるだろう。
多くの場合、勇者は王によって募集されるが、募集要項に男女を問うものはなく、その点は健全な描写である。一方で物語において、勇者とは、業務委託であるのか、派遣社員であるのか、嘱託なのか、パートなのか曖昧でもある。正社員ではなさそうで、あまり国王が勇者候補に、志望動機を聞いたりしていないようであるし、勇者への応募者も福利厚生や年金プランを質問したりはしていない。

魔王についていえば、魔王自身は自分を魔王とは思っておらず、敵意ある他者から魔王といわれているに過ぎない可能性がある。魔王と呼ばれる側からいえば、卑怯にも暗殺者(勇者)を雇って自分を殺そうとしてくるものこそを、「魔王」と呼びたくもなるかもしれない。
いさかいの要因はわからないが、魔王も「王」という肩書(と名刺)を持つものであり、勇者の雇用主である王とは同業であるのかもしれない。第三者から見れば勧善懲悪ではなく権力争いに過ぎない可能性もある。。

そもそもなぜ、王様は勇者を雇うのか。
正規軍を動かせないのは、やましいところがあるのではないか。
そういった点でも勇者の本質は暗殺者であると考えるべきであるが、物語にはあまり暗殺者のような隠密性は描かれず、むしろセレモニー的に、堂々と魔王と戦おうとしているようにも見える。魔王側も、勇者の段階的な人間的成長を期待するかのように、勇者の対戦相手となる配下を絶妙な順番で配置しており、読者を飽きさせない。

古典的テンプレートの脱構築は創造的だ。
物事に多様な見方があることに気づかされる。

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