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760杯目:【子育て】『映画 えんとつ町のプペル』から学ぶ子育て

『映画 えんとつ町のプペル』を観ていて、これは子育てにも通ずるものがあると思いnoteに書いてみることにしました。

『映画 えんとつ町のプペル』を観ていない人には???な部分もあるかもしれませんがお付き合いの程をよろしくお願いいたします。

かと言って、父親ブルーノの息子ルビッチへの教えから学ぶとかそういうのではありません。
もっと違ったひねくれた(笑)方向から考えてみます。
その方向から見る『映画 えんとつ町のプペル』は、自分が子供にこうしてあげたいと思っているものが詰まっているので…。

この映画のお話は、ある事情により、外の世界を知られないようにするために、街の至る所に高い煙突を立てて煙を焚き、空も含めて街全体を煙で覆ってしまい、目に見えるものも含めて全て外との世界を遮断してしまった街でのお話です。

しかし、煙を炊いて外との世界を遮断している者が、悪いやつなのかというと、そうではなく街の住人を守るための方法であり、その者なりの正義があったのです。
なので、この映画で戦いの場面など出てきますが、悪い奴というのは1人も出てきません。
少なくとも自分はそのように思っています。
ディズニー映画で言ったら『美女と野獣』みたいな感じかな。


さて、自分はこの映画を観て、外が見えないようにする高い煙突やそこから出る煙…これって親の存在にもなるのではないかと思いました。
そしてえんとつ町の住人は自分の子供。

自分の子供を危険から守る、親としては当然の心理です。
親が煙をたいて外の世界を子供に見せなくするということは可能です。
しかし、親は外の世界を知っている。
だから高い煙突を立てて煙を炊くかどうかは親の判断に委ねられています。

子供は生まれた時から、そのえんとつ町のことしか知らないので、それが世の中だと思っています。
それは当然ですね。
比較するものがないんですから。

そうして幼稚園や小学校など行くようになり、友達との交流から、少しずつ外の世界を知るようになるわけです。

それで、子供に煙の外の世界を知られて、あたふたする親って意外といますね。
それを成長ととるか、悪いことを知ったととるかによって…。

そもそもなぜ、親が高い煙突を立てて煙を焚き、外と遮断しようと思ったかというと、外の世界を否定的に思っているからだと思うのです。
そう思っていなかったら、親も子供を積極的に外の世界と触れ合うようにすると思うので。

前述したように、親本人の外の世界との触れ合いの経験から、これがベストと思い、子供に対して煙を炊くのですが、はたしてその親は今までの経験だけでなく、それからの外の世界の変化も的確にちゃんと見えているのでしょうか?
そこが1番の問題だと思うのです。

自分が親になった時、まず初めに思ったのは子供には外の世界をどんどん見せてあげたい。
それはどういう事かと言うと、子供の選択肢を増やすという事です。

外の世界を知った上で、それでもえんとつ町が良いというのであれば、それはそれで子供の判断だから良いと思うのです。

一番、子供に可哀想だと思うのは、えんとつ町の外の世界を知らない状態で、何事も物事を判断するようになってしまう事だと思っています。

親である自分の経験や見たものなんて、世の中の全てからしたらしれています。
それに外の変化を見過ごしていることもあるでしょう。
だから親である自分が煙を炊いて外との世界を遮断するのではなく、子供に外をどんどん見てもらい体験や経験を積み重ねてもらい選択肢を増やした中で、物事を判断できるような環境にしたいと思っています。

それで、やっぱり えんとつ町が良いというならそれで良いんです😊


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貴重なお時間の中、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 駄文ながら一生懸命書かせていただいていますので、またいらしてください。