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自殺の非論理性「最終的な勝利:生への選択」『いやな気分よ、さようなら』第十五章

 さぁラストスパートの十五章です。

 この本の紹介も次回で最終回ということで、本の内容もここは避けて通れないというところに来ました。今回のテーマは「自殺」です。毎朝死にたくなる僕も含めて、今「自殺」は他人事ではなく実際に自身におこることでもあるととらえる人も少なくないと思います。

 最近ニュースなどで、俳優やプロレスラーの自殺が取り沙汰される中、この章の紹介もきっと意味のあるものになるはずという願いも込めて書き進めていこうと思います。

 今回は、僕が抱える問題にかなり近いので、ちょっと形式を変えて、本で言っていることにツッコミを入れたりん、ときには反対をする形にしてみようかと思います。

本の内容

ツッコミ

 こんな感じで。

 さて、それでは本題に入っていきましょう。

うつと自殺の関係性

 死にたいという願望は中等度のうつ病ではおよそ三分の一に、重症度のうつ病では四分の三に認められるそうです。実際にうつ病患者が自殺する率は5%で一般人口の自殺率の凡そ25倍です。うつ病患者が死亡する場合、六人に一人はその死因が自殺なのです。

自殺には年齢も社会状況も職業も関係ありません。これはわかりますよね?お金持ちでも、顔が良くても、社会的地位があっても自殺というのは起こりえるのです。

 うんざりすことですが、これをすみやかに解決する一つの方法としても認知療法があります。第一に自殺する必要はないのです。

なぜ自殺を考えるか

 うつの人はなぜ頻繁に自殺を考えるのでしょうか?またこれを防ぐにはどうしたらいいのでしょうか?

 その答えは積極的に自殺を考えている人の思考にあります。その思考は、悲観的なものの見方が蔓延しており、人生は悪夢以外の何物でもないというものです。また、過去を振り返ると思い出すのは抑うつと苦悩の日々です。

あ、これ自分のことだ、と思った人いませんか?ちなみに僕はこれです。人生は全くもって悪夢です。この世は地獄です。楽しかったことはありましたが、今はみんな嫌な思い出になりました。

 気分が落ち込むと今まで一度も楽しいことがなく、これから先もないような気がして、ますます落ちます。そんなことないといわれても、それは励ましで言ってるだけだと解釈します。

 これは、自身が過去を曲解してとらえているためです。過去の楽しかったことを思い出せないのでなかったと錯覚しているのです。そしてこれからずっと惨めだと思うのです。

これを書いていて、今のところ僕はこれからの人生は、このままならずっと惨めだろうと、完全にそう思っています。

 しかし、あなたの気分がどんなに悪くても、ものごとは最終的にはよくなっていくという確信さえ持っていれば耐えられるものです。つまり、自殺を決行しようという決断はこの気分はこの先もよくなることはないという非論理的な確信から起こってくるのです。未来はもっとつらいことがあると確信しているのです。

え?違うんですか?世の中にはいいことも悪いこともあるかもしれませんが、悪いことがなくなるということはないですよね?そしたらずっとつらいじゃないですか。

 非現実的な絶望感が自殺願望を発展させる重要な要因であることは、多くの研究でわかっているそうです。自分自身を逃げ場のない落とし穴に入ったように見てしまうのです。あなたにとっての唯一の逃げ道、それが自殺なのだと錯覚するのです。

会社で働いていた時の僕が正にこれです。死んだら抜け出せるとおもうのです。

 もしあなたも過去にこんな考えを持ったことがあったなら、また、現に今持っているとしたら、バーンズは大きな声ではっきりと言いたい言葉があるそうです。それは、

自殺が、問題解決の唯一の、そして最上の方法だとするあなたの考えは間違っています。

 

 ということです。あなたはうつ病という病気のために単純な誤りを犯しているだけなのです。自殺は、あなたの苦しみを解決する最上の方法とは言えません。あなたがはまっている落とし穴から抜け出す方法をこれから示します。

バーンズ先生、自殺が最上の方法だとは思っていないが、解決する一つの方法だとは思っている。現実的な解決法は無限にあるわけではない。一番手っ取り早く実現可能で、つらいという感覚をなくせる方法なのだが、もっといい方法があるとすれば、それはどんなものなのか?

自己の自殺衝動を正しく評価すること

 自殺したいという気持ち事態は、うつ病のであるか否かに関係がなくだれでも存在するとしても、あなたがうつ病の場合には、現にそれが起こってしまう可能性が危険な臨床症状の一つとしていつも考えられます。

 こういった自殺衝動がどのくらいあなたを脅かしているかを正確に知ることが大切なのです。第二章のベックうつ病調査票の中で、質問9が自殺衝動に関連しています。

 あなたがこの質問に1か2か3を答えたとすると、自殺衝動があることになり、その重症度を評価すること、必要であれば何らかの介入をすることも大事です。

 自殺衝動に関してあなたが犯しやすい最も大きな誤りは、カウンセラーと一緒に語ることを過度に避けている点です。

 あなたが自殺したいと思っているならその考えを重大だとみなしているかどうか自問してみましょう。それは能動的ですか?受動的ですか?

僕の場合は今のところ能動的です。痛いのも苦しいのもいやなので。一番いいのは薬を使う方法ですが、これも苦しまずにいけるものが調べてもわからなかったので。

 能動的な死を望む場合はもっと危険です。実際にあなたが自殺の手段を真剣に練っているとしたら次のことを知っておいてください。

 計画が具体的であればあるほど、またよく整っているほど実行移す可能性は高くなります。専門家に相談するとしたら今しかありません。

 あなたは過去に自殺を図ったことがありますか?もしあるなら、今抱える自殺衝動がどんなものであろうとすぐに助けを求めるべき危険信号としてその衝動を考えねばなりません。過去の失敗体験から自殺の成功確率が上がっているからです。

 過去の失敗が注意を惹きたいためと考えるのは大変危険です。

僕は過去3回ほど首を吊ろうとしましたが結局失敗しました。死ぬ勇気が出ませんでした。家には僕の紐を吊ったとき体重を支えられるようなものがありませんでした。ひもはビニール紐を使おうと思ってましたが、準備したところで結局できませんでした。

 自殺願望や行為を「助けを求める叫び」と取ってしまうのは、非常に誤解を招きます。むしろ自殺者の多くは助けを求めてないと考えていいかもしれません。かれらは真に死を望んでいるのです。

そりゃそうです。死が救いなのですから。そう思っているのですから。なんで助けを求めるんですか。

 あなたが自殺した気持ちを持っているなら。、その衝動性を常識的にあ事実に即して正しく評価することが最も重要です。以下の項目に当てはまれば、あなたの危険性は高いでしょう。

1、重症のうつ病で、絶望感を持っている。
2、以前に自殺を図ったことがある。
3、自殺についての綿密な計画と準備をした。
4、自分を引き止める何の歯止めも見当たらない。

 あてはまるなら、専門家による介入と治療を直ちに受けた方がよいでしょう。

すごい、3つも当てはまっている。また病院行った方がいいのかなぁ。

自殺の非論理性

 うつ病の人は自殺する「権利」を持っていると思いますか?

 実はこれは、ポイントを取り間違えた不合理な質問なのです。本当に問題になるのは、うつ病患者が自殺する権利の有無ではなくて、自殺を考えているときの思考が理にかなっているかどうかなのです。

 そして自殺衝動の背後にある非論理性を明らかにするのです。もっと論理的考えられるようになったら、絶望感は消え、生きたいという欲求が出てくるはずです。

本では2人の患者のロールプレイの例が出ています。この一人が↑で僕が言っていることと非常に似たようなことを言っており、驚きました。ここではその例は載せません。確認してみたいなら本を開いてみましょう。

自殺患者のほとんどすべてに共通しているのは、非論理的な絶望感を持ち、自分は解決不可能な窮地に直面していると確信することです。今まで学んだことをつかって考え方の歪みを暴露すると精神的解放感が得られるはずです。

 自分は「絶望的」なんだとする信念がなぜ非合理的で自己破壊的であるかを確認します。

 抑うつ状態はたいていは自己限定的なものなので、多くの場合治療しなくても結局は消失してしまうものだということです。落ち込んでいるときには感情と事実とを混同してしまいがちです。絶望感や自暴自棄はうつ病の症状であって、事実ではないのです。自分には希望がないと考えれば、このような感情が起きて当然なのです。

 死にたいという思いは、治療が必要だというサインなのです。だから自分は「絶望的」だと確信するのはたいていはそうでないことの証と言えます。

絶望を感じている患者は、決して実際に絶望的ではない。

バーンズはこのように言っています。

 うつ病患者や自殺志願者は決して「本当の」問題を抱えてはいないというのは言い過ぎかもしれません。我々は皆様々な問題をかかえ、それを自殺以外のもっと合理的な方法で何とか切り抜けているのです。事実そのような朝鮮との出会いは気分の高揚や人間的成長の源になります。

以上十五章でした。

 僕はこの章はなんだか少し釈然としないものが残りました。僕は生きるのが辛いのであり、その原因は僕が生きていることにあるために、そのつらさをなくすには死を選ぶしかないと思っているからです。だからこれからも僕が生きている限りずっと辛いでしょうし、この辛さがある限り僕はずっと不幸だとも思うのです。毎日死にたいと思う日々はまだまだ続くでしょう。

 さあ、次回はいよいよ最終回。最後は今まで学んできたことを自分に当てはめた集大成のような感じです。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')