ひっちゃん

関西の大学生。趣味は読書、小旅行、課外活動。

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最近の記事

三島由紀夫と私

あれほどピュアで澄んで何か透明な虚無感を抱えている目を見たことがない。エロティズムに目覚め、肉体的な美を求め、闘争が他人をオブジェとと見ずに、自己と他を分けているものであるとする考え方。 東大全共闘との論争は実に愉快なものであり、学生側の物に対する関係性の変更が学生運動の肝であると言った時は、日本語の扱い方と洞察力に感嘆した。 そして、日本が歩んでいくであろう姿を見事に形容していた。一言で言うとつまらない日本である。もちろん個々においてはそうではないかもしれない。ただ水飴

    • 社会のずれを言葉の合間に

      今の時代が特別?? 連綿と続く時代のひと時に過ぎないさ 今の時代は先が見通せない?? 人生そのものがそうだろう 情報はすぐに手に入る 粗悪品ばかりで困るけど 子供時代は民主主義 大人時代は資本主義 いい子が多い 都合のいい子がね Z世代 何も特別ではないただの年齢層 デジタルネイティブ デジタルネガティブが生まれていることをお忘れなく 謙虚、優しい 誰かからの定性的評価 政治について関心が高い 自分らの生活かかってますから 多様性を受け入れる 否定もしないし肯

      • 時代の流れは、大正に似ている。

        今日は神戸港まつりであった。天気は曇り。ちらほらと浴衣姿の人が見えた。三宮の街を今日は歩いた。いわずと知れた神戸の中心地である。もちろん一番発展していて、活気ある場所であることは間違いない。ただ、なんであろうか….神戸にも閉鎖間のある空気がそこはかとなく漂っていた。 日本はこれから発展する国というのを感じにくくなってきている。まるで大正時代のようである。明治維新の動乱を終えて、文明開化、富国強兵に一つの区切りがついた。そして、経済はさほど発展せずに様々な社会の問題点に焦点があ

        • 77年前のあの日あの時

          77年前 日本は戦争を行った 現代と同じ青い空 戦闘機が飛んでいた 目下の人は 懸命に野菜を育てている 時は帝国主義 強ければ生き弱ければ死ぬ 国を強くすることこそ至上命題 滅私奉公 人は部品に過ぎない 国こそすべて 空での戦闘 撃墜された仲間を弔う 新入りが入隊 彼の眼は燃えていた その眼が焦燥に変わるのは いつのことだろうか 地上での戦闘 ジャングルに一人 せめて魂だけでも 空は日本と繋がっている 愛するものの写真 心のよすがとして 艦船での戦闘 黒鉄の鳥を打ち落

        三島由紀夫と私

          パンクするまでやってみると、自分の心がだんだん見えてきた。

          今、自分でいうのもなんであるが、様々なことをしている。留学のための英語の勉強、経済学の勉強、尊敬する先輩の事業の手伝い、農業ボランティア(土日限定)、個別の哲学講義、起業部、筋トレ、プライベートの旅行...正直言ってパンク寸前である。勿論、これほど多くを背負ったからこそ、どこに力を入れて、どこに力を入れないか、それは得てしてどこに自分が力を入れたがっているかがはっきりしてきそうな段階である。 私はまだ20歳にも満たないが、自らの作ったようで作ってない意志で色々やらせてもらっ

          パンクするまでやってみると、自分の心がだんだん見えてきた。

          HSS型HSEについて

          最近は、HSP型人間について耳にすることがあると思う。いわゆる、刺激にとても敏感な人たちである。よく言えば、思慮深い。悪く言うと、引っ込み事案である。しかし、この中にも、好奇心旺盛にも関わらず、繊細な部分を持ち合わせている人がいる。それが、HSS型HSEの人間である。一言で言うと「アクセルを踏みながら、ブレーキを踏んでいる状態」である。つまるところ、非常に生きにくい性格なのである。 私は、まさにこの性格である。他の人間からは、外交的であったり、変わっている(いい意味で)とい

          HSS型HSEについて

          死ぬまで続く、自分を作ることに集中。

          最近、一番力を入れなければいけないことは、自分を作っていくことであると考える。今の私があるのは、ほぼ100%誰かのおかげであることは間違いない。私というのは、環境要因の産物である。意志なんてものは最初から存在しない。あるのは本能である。しかし、ある程度、物事の先入観が固まってくると、今度はその先入観の中で選択をできるようになる。 選択と行動が今の自分を作り上げている。行動による自己形成はとても大きい。しかし、私たちはひび割れた桶であるので、出来上がることは一生ない。死ぬ間際

          死ぬまで続く、自分を作ることに集中。

          若い人の脳出血。当たり前こそ意識。

          脳梗塞、脳出血、いずれも年を取ってから、気を付けるべきことのような若人には関係のないような病気に聞こえる。しかし、現に私の知っている人(20代前半)がつい先日、脳出血で職場でぶっ倒れて救急搬送された。年が近いこともあり尚更驚いた。幸いにも、命に別状はなく、後遺症も残らなかったらしいが、それでも一時はICUに入っている。 大学生である身の上、どうしても生活習慣は乱れてしまうことがある。食事、睡眠はその代表格である。若いうちは健康のありがたみに本当に気づくことはこのような命に関

          若い人の脳出血。当たり前こそ意識。

          日本にいると分からないかもしれないこと。かの国との戦争について。

          時流に併せてかの国と呼ばせてもらうが、今ウクライナとかの国は戦争をしている。フロイトによると人間の特性は、文化を作る創造力と戦争を行う破壊衝動が存在するそうだ。 連日連夜かの国の大統領についてや戦争の悲惨さを伝えるニュースや記事が散見される。その中で「かの国の戦争に対する意欲は高くない」という記事をよく見かける。普通に日本でニュースや記事を見ていたら、かの国の大統領の独断で国民自体は望んでいないといったことは容易に想像できるだろう。 しかし、私たちは、極東の人間でかの国周

          日本にいると分からないかもしれないこと。かの国との戦争について。

          限界までやると世界が違って見える。「ただし心は壊すな!絶対に!」

          受験期の記憶。二度と味わいたくはないが、あれは一つの達成感があったのは事実である。自分の意志か親からの刷り込みかはわからないが、何にせよ大きな壁を越えたのは確かである。大学生になり、1年生の時は右も左もわからない状態であったので、とりあえず沢山のことに挑戦してきた。起業、英語の勉強、筋トレ、メール営業、旅行、クラブ、農ボラ、尊敬できる人に会いに行く等々。人は過去のことはいくらでも都合よく解釈できるので、それにあやかって悔いはない。いつも心配で希望を託すのは未来のことである。

          限界までやると世界が違って見える。「ただし心は壊すな!絶対に!」

          興味があればそれを突き詰めろ!(若いうちに)

          #思い込みが変わったこと 人生も約5分の1を生きてきた。といっても大学生になり、初めて意思決定ができたような気がするので、人間1年生のような感覚である。それまでは、親及び先生のいいなりの生き物だった。しかし、サルトルの「自由の刑」という言葉があるように自由=意思決定が可能というのはなかなか厄介なものである。自由になったとたんに、迷うと誰かにすがりたくなる。一人で抱え込むと鬱になるし、実際なった。 昨今、日本ではキャリア教育も盛んに行われるようになった。私自身、キャリアに関

          興味があればそれを突き詰めろ!(若いうちに)

          まだまだ幼いね僕も笑

          いやー、20歳の手前考えることが多い。しかし、ふと振り返ってみると、ショーもないことで考えてることも多いなーって思った。ないものねだり、食わず嫌いのように外したいけど外せない色眼鏡。これが人生を大きく変えることだってありうる。人生立ち止まってもいいっていうけれど、ほどほどにね。他の人はそれにかかわらず、アクションを起こしているんやから。「他の人は関係ないやろ」と思うかもしれないが、勝負の時って結局誰かと比べちゃうんだよねー笑。一貫した環境、心境なんてないんやから、今のままでい

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          あれもこれもしたい→時間を捨ててるかも...

          起業したい。海外旅行したい。留学したい。などなど、欲望というのはキリがない。どれが大事なのかは人によりけりだが、皆に共通して言えることは、時間は過ぎていて、確実に死に向かっていることである。 人生にAという道とBという道があるとする。どちらかしか選べないが、どちらも素晴らしい人生が待っている。と考えるようになれるのは年老いてからだと思う。今の若い自分には、到底分からないことだらけである。道は見つけるものではない。ロードマップなんてドラクエのようなものはない。だったら、作って

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          死は生きる力

          死とは避けられない。という言葉も現代では怪しい言葉になってきているが、諸行無常という言葉があるように永遠に続くものはない。万物は永遠とも思える時間がかかるかもしれないがいつか崩壊する。 人間は普通に行けば100年そこらで一匹の生物として無くなってしまう。いつ体が自由に動かなくなるか分からない。ただ生かされている体になる可能性もある。医学的な死は与えられていないかも知れないが、精神的な死はその時点で訪れているのかも知れない。 死を意識すると、逆に生きようとする気持ちが湧いて

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          雑談と空間的共有

          コロナ禍でオンライン化が進んで、人と直接話すことが稀有になってきた。社内で生まれていたであろうコミュニケーションは、オンライン化で2次元でのやり取りに変わってしまった。時間的には共有しているけれども、空間的な共有はしていない。このような環境下での会話はなんだかぎこちない。その人の表情は確認できるが、質感や言葉に表すことのできない独特の会話の「間」は取ることができない。 この間があることによって、雑談がかけがえのない余韻を生み出し、輝くひとときに変わる。仕事時にあるような緊張

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          背中を押す存在

          背中を押してくれる存在、それは不意に訪れてくれる。私自身それのおかげで何度も急場を救われた。詳しくは書かない。そのような美談は、他の人の役には立たない。 「あの時この人が来てくれなかったら、あるいはいなかったら」と考えると、人生はもっと違う方向に流れていったと思うことは多かれ少なかれあるのではないか。 今の時代、「起業」という言葉が若い世代でトレンドであるように思える。テレビや記事で紹介されるのは、あくまで成功した代表者である。勿論彼らが発起人であるので、取り上げられるの

          背中を押す存在