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限界までやると世界が違って見える。「ただし心は壊すな!絶対に!」

受験期の記憶。二度と味わいたくはないが、あれは一つの達成感があったのは事実である。自分の意志か親からの刷り込みかはわからないが、何にせよ大きな壁を越えたのは確かである。大学生になり、1年生の時は右も左もわからない状態であったので、とりあえず沢山のことに挑戦してきた。起業、英語の勉強、筋トレ、メール営業、旅行、クラブ、農ボラ、尊敬できる人に会いに行く等々。人は過去のことはいくらでも都合よく解釈できるので、それにあやかって悔いはない。いつも心配で希望を託すのは未来のことである。

過去を有効利用するには経験という甘くも痛いはち巣から、はちみつを取り出すようなものであると考える。私の人間1年生の中で2年生へ昇華させることがあるとするならタイトルにあるようなことをすることだと考える。私は天才ではないので、doingというよりもbeingつまりなりたい姿を想像してしまうものである。天才はdoing のほうである。ただし、当たり前のこととして、doingをしなければbeingにはなれないことである。つまり、そのことをわかっているかどうかが結構人生の天才さ=充実?を左右するのかもしれない。

上っ面をなめていては、本当の旨味はわからない。本当にそうだと思う。多分、人間の性質上、環境に「順応」することができるから、そのような解にたどり着くのだろうが、その「本能」とも呼べる人間の特性を素直に受け入れたほうが、人生充実?「充実は人それぞれ」になるのかもしれない。

ただし、自分の心を殺してはダメである。1部のスキは残しておくべきである。一度クシャっとなった紙は二度ともとに戻らないように、心を一度壊すと、それが一生ついてまわる。勿論、ハードワークに対して心を壊す場合もあるだろう。だから、限界までするというのは、あくまで自分の人生に迷った時である。

追記

私も含めて今を生きる人たちで、最も心を壊しかねない危険があるのは「未来に答えを出せないから」ではなかろうか?私のそれに対する答えはタイトルである。

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