背中を押す存在

背中を押してくれる存在、それは不意に訪れてくれる。私自身それのおかげで何度も急場を救われた。詳しくは書かない。そのような美談は、他の人の役には立たない。

「あの時この人が来てくれなかったら、あるいはいなかったら」と考えると、人生はもっと違う方向に流れていったと思うことは多かれ少なかれあるのではないか。

今の時代、「起業」という言葉が若い世代でトレンドであるように思える。テレビや記事で紹介されるのは、あくまで成功した代表者である。勿論彼らが発起人であるので、取り上げられるのはなんら不思議ではないし、以下のことも重々わかっていると思う。だけれどもあえて言語化したい。

自分自身の成功と捉えることのできる要因となるうちの9割以上は、自分が最初の要因ではない。

私が成功したなと思う瞬間の源流を主観的にたどってみると、人の環境が良かったことに帰着する。人が機会を呼び、機会が人を呼んで私をさらなる世界へ送り出してくれた。

それぞれの人生の主役は自分と思うかもしれないけれど、同時に沢山の人の人生を引き立てる名わき役であるということも忘れないでほしい。舞台は名わき役がいてこそ一つの作品になる。人生も同じだ。

自分が主役である人生を謳歌することは、同時に誰かの名わき役になるということであると考える。勿論、いつもわき役になる必要はない。自分のできる範囲で構わないと思う。ちょっぴり背伸びしてもいいと思う。

私はまだ社会というものをあまり知らないが、どこの社会に行っても自分の背中を押してくれた人は決して忘れないし、今度は自分がという思いはだれしも持つのではないのだろうか。

勿論、逆もまた然りであることも注意してほしい。

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