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琢玉成器ーー苦労が降りかかったら、歓迎してあげよう

(1034字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)

【琢玉成器】

ピンイン:zhuó yù chéng qì
意味:玉を磨き器とする。鍛え上げることで、人材になること。


『苦労が降りかかったら、歓迎してあげよう』

  出来れば辛い思いなんてしたくない、というのがほとんどの人の本音なのではないか。
 
 苦労せずに幸せに一生を終えられるのであれば何より。
 「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉があるが、そんなことせずとも平和に暮らせるのなら、わざわざ面倒なことを自らもらいに行く必要も無し。
 
 こういう理想な人生を夢見る人は少なくないのではないか。
 
 
 どちらかというと、私も苦労を「買って」までする必要は無いとは思っている。
 
 波風立てずに穏便に過ごせるのならそれが一番。
 敢えてトラブルを起こして、事件の渦中に飛び込む理由なんて無いのではというのが私の考えだ。
 
 
 では、不可抗力で発生してしまった苦労とはどう向き合うか。
 これについての私の主張はこれだーー
 
 
 逃げるな、決して顔を背けてはならない。
 自ら苦労を選ばなくても良いが、降りかかった苦労は全て受け止めよ。
 
 味わえ、噛みしめよ。
 心に染み込ませ、自分の一部とせよ。

 
 
 冒頭の持論と矛盾しているのではないかと思われそうだ。
 だがこの二つは性質が異なる苦労だ
 
 「買ってでも」する苦労はどこかわざとらしい。
 ある程度の経験は積める。けれども、無駄な労力がほとんどだ。
 そんな不自然に人生をややこしくするような苦労は、出来るだけ避けた方が賢明なのである。
 
 一方で、「降りかかった」苦労は生きていく過程で、成り行きで訪れたものだ。
 現時点の自分が足りないもの、強化しなければならない欠点から引き起こしたものが多い。
 こうした苦労は受け入れて乗り越えることで、忍耐力と強さが培われる。
 
 何よりも傷ついた経験がある人は、優しさが育つ。
 優しさが育った人は、他人の傷を扱う際も丁寧だ。

 
 ぬくぬくと生きてきた人ほどズケズケと土足で相手の弱みに踏み込むのも、まさに傷を負ったことが無いからだ
 人の痛みを知らない。痛みに対する想像力も無い。
 だから無神経なことをしてしまったり、心無いことを言ったりする。
 
 失礼極まりないことをしたって、本人は無自覚のままなのだ。
 ある意味可哀そうな人達なのでもある。
 
 治癒力を持てるのは、いつだって一度ひどく傷ついたことがある人なのだ。
 
 
 不必要な苦労は避けるに限る。
 けれども、あるべき苦労を逃してしまうのは実にもったいない。
 
 成り行きで苦労が降りかかったら、強くて優しい人になる為の、大事なステージが来たと歓迎してあげよう。
 無神経な人間にならない為にも。

📚強くならないと、優しくなれない

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