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パワハラに対して従業員が出来ること

*パワハラについて*

最近私はパワハラをきっかけに会社を辞めた。
パワハラは、される人もいればされない人もいて、見方も様々。人によっては「される側に隙がある」という人もいる。

確かに相手もターゲットを見定めてやっている節はあると思う。だからキャラクターとか、ターゲットにされないための何かしらのコツは恐らくあるのだろう。

だからと言って正当化されて良いかといえばそれはまた別の話で、パワハラは、大の大人によるいじめや言葉の暴力に他ならないことを忘れてはならないとも思う。

そこで私なりに、自分の体験を交えながらパワハラされた時にどう感じ、どういう方策を取ったのかについて書いておきたいと思う。そしてそれがもし現在進行形でパワハラに悩む人の目に留まり、誰かの何かしらの参考になれば、とても嬉しい・・・。

*パワハラの始まり*


約10年前のこと。
突然会議室から内線が鳴り、行くと直属の上司がいた。

その上司はある部下のことを嫌っていて、
「そいつからされている嫌なことは何だ。いくらでも指導してやる」と鼻息荒く前のめりで言ってきた。

私としては、そういういざこざに巻き込まれることも嫌だったので、「とくに思い当たりません」と答えた。

その日以降、その上司から頻繁に内線があり会議室に呼び出されては「心を開け」「あなたの為に言っている。会社を辞めろ」と度々言われるようになり、例えばコピー機に紙が詰まったり、資料に誤りがあると、全て私のせいであるとの決めつけのもと、指導がなされるようになった。

矛先が変わった。私はそう感じた。

コピー機にしても、資料にしても、本当は真犯人が別にいるのだけど、私のせいにしておけば逃れられるので何が起きても先輩たちは「JenMeyさんじゃないですか?」と言うようになり、ミスを防ぐ為の対応は取られぬまま、決めつけに基づき一方的に責められ、呼び出しが行われるというサンドバッグになる毎日が続いた。

ストレスで片耳が聞こえなくなってしばらく経ったころ、人事異動があり私はその部署を離れることになった。おかげで私の耳は回復し、その後細々した別のパワハラやセクハラはありながらも、その加害者との接点は無いまま10年の歳月が経った。


*パワハラの再開*


月日が流れ、人事異動によりその時のパワハラ加害者は社内のナンバー2として社内を統括する立場につくことになった。

そしてある出来事をきっかけに再び私への会議室からの呼び出しが再開するようになった。相変わらずの一方的な決めつけに基づく人格否定。上司はヒートアップし、「あぁ!?」と詰めてくる。

指導という名の恫喝。その根拠も、完全なる思い込みと決めつけ。まさに指導のための指導。建設的な話は全く出ない。試しに一度こちらとしても「ならば改善したいので具体的にどの対応に問題があったのか教えてほしい」と質問したこともあるものの、「立場をわきまえろ」「俺が誰だか分かっているのか!」と言われるので、結局黙って非を認めひたすら謝罪するしかなかった。(そして後日直属の上司から上席にたてついたことに対する指導があった)そうして回を重ねるごとにどんどん追い詰められ、私は悪循環に陥っていった。

そういったことが何度も続くなかでも、自分なりにもがきながら録音も取り、社内のナンバー1に相談したこともあった。

こういうことが行われているという事実。そしてそれは国が出しているパワハラのガイドラインにも抵触しているという事。こういう指導を見過ごしていることは、社内のNO1の立場として労働環境の安全という観点でも監督責任に及ぶ可能性があるのでは無いかと思い、一応お耳に入れた、ということで相談してみた。けれど、上意下達・事なかれ主義の社風もあり、「指導されるってことは結局あなたにも非があるんじゃないの?」とヘラヘラ笑われただけでものの5分足らずで終わってしまった。

*悪循環*

パワハラにあがいたことで、私は直属の上司と折り合いが悪くなった。組織にたてついたということで、直属の上司は私に不信感を抱いたようだった。

結果、人間関係の切り離しが始まり、私は村八分になり、人と会話することを禁止された。チームで対応する業務からも外され、個人で対応するものについても上司と相談することすらままならなくなった。そういうコミュニケーション不全の中で当然行き違いは避けられず、行き違いに対する叱責と、行き違いが起こることを理由に人間関係の切り離しがますます酷くなった。

そういう中で仕事の成果を出すことは難しく、何度も直属の上司や、更にその上の上司にも相談をした。けれど「直属上司の自主性を重んじているから」ということで状況が変化することはなく、繰り返される「あなたがいるから行き違う」「あなたと働きたくないと誰それが言っている」という直属の上司の言葉はまるで呪いのように私を縛り、次第に人と接すること、人と会話することが怖くて怖くて仕方なくなっていった。

やがて私は心身の体調を崩し、会社に行くことが難しくなり、その後退職するに至った。


*公的機関で出来ることは・・・形式的な電話1本*


途中、どこかに助けを求めたくて労働局にも相談した。けれど回答は「被害者自身が改善案を会社に提示し、会社側が履行しなかったという証拠を提出すれば役所の中で協議の上、会社に1本電話を入れることが出来る事もある。ただその電話の内容には強制力がないことだけは理解しておいてほしい」との事だった。

なんという無力感。私は受話器越しに相談員の説明を聞きながら、力が抜けていくのを感じた。

*組織に対峙する事の難しさ*


直属の上司の言葉で印象に残っているのは「俺を陥れようとしているのか」という言葉だった。上司からすれば、俺の足を引っ張りやがって、という怒りや恐れや不安の表れなのだと思う。私としては、雇用契約の存続と引き換えに、長いものに巻かれる会社員という立場の弱さを目の当たりにするとともに、パワハラをされて声を上げることの難しさを痛感し絶望した瞬間でもあった。

*休職の壁はメンタルクリニックの予約の困難さ*


私は会社に行けなくなって、「せめてまずは休職を」と思ったものの休職の為の診断書を書いてもらうためのメンタルクリニックの初診の予約は2カ月待ちという状況だった。そのころには毎日マスクの中で声も立てずに涙を流しながら仕事をしており「今日明日出社する事すらままならない今の状況のまま2カ月も出勤することなどとんでもない」との思いから、私は「別にもう、これ以上頑張らなくて良いじゃないか(と言うか、そもそももうこれ以上頑張れないし)」と思い至り、退職願を出すに至った。

こういう一連の流れの中で、私は被雇用者を守るセーフティネットは形式的なものに過ぎないと感じた。そしてコロナの影響か、初めてメンタルクリニックにかかろうと思った時、2か月の予約待ちというハードルが予想以上に高く感じた。

*結局、パワハラに対して出来ることとは*


私が前職でパワハラと対峙して感じたことは、悔しいけれど辞めるしか選択肢はないのだということ。そして、休職という選択肢を使う為には、かなりの余裕を持った状態でクリニックの予約を取ってく必要があるということだった。

13年勤めた会社。愛着が全くないかといえば、ウソになる。というより寧ろ、孤軍奮闘で戦い続けた分、思い入れは恐らく人一倍ある。だからこそ、こういう辞め方をしてしまったことはとても悔しい。

けれどもしあの時、例えば「一番最初に上司から呼び出された時に、先輩からされた嫌なことを上司に告げ口していれば、私は今こうして辞めずに済んだのか?」などと考えてみると、おそらく別の理由で目をつけられて、結局は今と同じ状況に陥ったのではないかとも思う。

そして結局、告げ口するかしないかという小手先の話ではなく、根本的に彼らとは生き方や、住む世界が違ったのかもしれない、と思い至る。

不安やストレスを下の者にぶつけたいと思う上の人が居て、それを容認する環境がある。するとそこにパワハラが発生する。だからこれから私が社会生活を送る上で、会社用のペルソナとして、より強く器用な自分を演出することは、今後パワハラに遭わないためにもまず身につけるべき物かもしれない。

*のび太が、のび太らしく生きる道*

ただ、例えば漫画のドラえもんで言えば、普段ジャイアンとスネ夫からカツアゲに遭いがちなのび太が、心機一転ジャイアンやスネ夫とも互角に渡り合うようになり、3人で別の誰かをカツアゲするようになったとしたら、それはのび太にとって幸せなのだろうか・・・?それなら、もとからカツアゲをしないドラえもんなど、別の人とつるむ方が幸せなのではないだろうか、とも思う。

大人の人間関係をドラえもんに例えるのはいささか強引で甘い気はするけれど、私には、カツアゲに参加するのび太より、ドラえもんと部屋で漫画を読むのび太の方に好感が持てるし、のび太としても幸せなのではないかと思えて仕方ない。

パワハラに遭った時に会社に残るか辞めるかの判断は非常に難しい。だからこそ、後悔のない判断ができるよう、パワハラと対峙した者として、この思いや経験や情報が必要な人に届き、何かしらの参考になると、とても嬉しい・・・。

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