ナポレオン悲惨なラブストーリー
ナポレオンには二人の妻がいました、一人はジョゼフィーヌ、一人はオーストリアの姫様。
ジョゼフィーヌ皇后はナポレオンより六つ年上の未亡人、二人が結婚した時ナポレオンは27歳、当時フランス最も若い将軍であり、フランスの救世主として輝いていた時でした。
ジョゼフィーヌと前夫の娘はナポレオンの養女として弟であるオランダ国王「ルイ」と結婚させ、二人の息子が後のフランス皇帝ナポレオン3世となります。
ナポレオンとオーストリア姫様の息子はナポレオン2世、彼の運命がかなり悲惨でした。生まれたすぐナポレオンが戦敗したため、母と一緒にオーストリアに行き、母は再婚したが彼はずっと人質として軟禁され、21歳で病死しました。
実はナポレオンが最も愛していたのは二人の妻ではなく、初恋の「デジレ・クラリー」でした。
この初恋の人は小商人の娘、ナポレオンに一途でした、しかもナポレオンが出世する前にかなり資金面で援助していたという話もあります。しかし、ナポレオンは出世のために政府高官と繋がりのあるジョゼフィーヌの人脈がどうしてもほしかった。そのため、ジョゼフィーヌと結婚し、彼女を捨てました。
ナポレオンが結婚することを知った彼女は式場に行き、もちろん門前払いされましたが、そこで一人できたベルナドット将軍と出会い、彼女を式場に連れて行き、ナポレオンを罵倒しました。彼女の「勇姿」を見たベルナドットは彼女に惚れ、二人は結ばれました。
一方、ナポレオンとジョゼフィーヌが結婚した後、妻の浮気性が発覚し、自分が遠征する度にジョゼフィーヌが浮気をしていたことを知り、やはり初恋がいいと悟り、頻繁に「デジレ・クラリー」と会い、誘惑しようとしていました。しかし、ベルナドット夫人となった彼女は決してナポレオンを許さなかった。ナポレオンが第一執政だろうか、皇帝だろうかずっと拒絶し続けていました。
夫であるベルナドット将軍はもちろんナポレオに怒り心頭でした、しかも二人は政治理念にも合わず、ベルナドットは共和制の支持者であり、独裁者であるナポレオンを殺そうとしていました。
当時スウェーデンの国王が王位継承者がないため、フランスに一名元帥を継承人として迎えたいと打診され、ベルナドットがそのままスウェーデンに行きやがて国王となりました。
1813年欧州第六次対仏大同盟が組織され、ナポレオンが遠征失敗し、ベルナドットが迷いなくスウェーデンを反フランス陣営に加えました。この後ナポレオンが百日復辟したが、第七次対仏大同盟が組織され、もちろんスウェーデンは依然同盟の一員であり、公的、私的ともナポレオンを許すことができなかった。
ナポレオン最後に自殺するつもりでしたが、自殺すれば欧州諸国のメンツを潰せます、諸国は彼を自ら退位させ流刑にしたい、彼を説得したのは「デジレ・クラリー」でした。
どうせ何もかも失ったから、最後にフランス国民によいことをしなさいと
ナポレオンが最後「デジレ・クラリー」の言葉を受け入れ、自分の剣~全欧州を震撼させた剣を渡しました。
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