見出し画像

「たわわなるたわごと日和」4

 雨が上がってから三人は店を出た。風が強くなっている。それでも三人は坂を下って砂浜に降りた。理由一つ目、ぷらぷらしたい気分だったから。二つ目、目の前に海があるだけでちょっと気分が高揚するから。
 「ウー」
 と、獣の唸り声のような声を出し、果実はきゅっと薔薇の腕にしがみつく。潮風は薔薇のしっとりと豊かな黒髪も、果実のさらさらと細い金色の髪も、平等に乱暴に扱う。
 猫は一番ゆっくりとした足取りなのに、ヒョイヒョイとあっという間に海の端にたどり着いた。少女たちは、一歩ごと誤った時空を踏んでしまっているみたいに進まない。
 「さっき歴史の教科書を読んでいて思ったんだけど、この惑星って相当アブノーマルだよね」
 猫が強風に顔をしかめながら言う。果実はフンと鼻で笑うと、
 「確かに」
 と言った。
 「まあ、最初からこの惑星のことは、ヘンテコだなあと思ってはいたけど」
 「どんな風に?」
 と、薔薇が頬にへばりつこうとする髪を耳にかけながら尋ねる。
 「うーん。真実の裏側に描かれた絵、って感じ。風に吹かれて思いもよらず端っこがほんの少しでも裏返ったり、ちょっとした弾みで穴があいたりして、裏側がこちらへちょこっとでもはみだしたりすると、それだけでもう、その部分だけ現実とは呼べなくなる、みたいな。真実が異様なものとして映る惑星ってことね」
 猫はしかめっ面で海を見つめている。
 「なーるほど」
 果実は濃いピンクのルージュをべったりと塗った唇を歪めて、考え込んだ。
 「ちょっと気になっていたんだけど、違いを受け入れ合うって、そんなに難しいことなのかな?」
 パーカーのポケットに両手を入れ、果実はぐんぐんと前のめりになって歩きだす。
 「ちょっと視点を『ずらす』程度のことじゃない、だって」
 やがて波打ち際にたどり着くと兵隊のようにぴたっと立ち止り、波の先っぽをつま先で蹴った。
 「その『ずらす』ってさ、これっくらいでしょ?」
 猫が頭を右から左へ、本当に本当に本当に微かにずらして見せる。じっと見ていてさえ分からないくらいに少しだけ。
 「そう!それくらい!」
 少女たちはケラケラ笑い声を上げた。
 「こんなにちょっとずらすだけでいいのに、どうして手こずっているわけ?」
 「だからさ、みんな好きだってことでしょ」
 果実は猫に怪訝な表情を向ける。
 「何のこと?」
 「人間はドラマが好き!」
 「ああ」
 果実は納得してこくっと頷いた。
 こつこつと歩みを進めようやく波打ち際までたどりついた薔薇は、果実の背中にぺたりとへばり付き水平線を指さす。
 「ねえねえ、この海の向こうに三人で行ってみたくない?」
 「めちゃくちゃ寒いのに?寒いのは嫌いじゃん、薔薇」
 と、猫は案外そっけない返事。果実は指をピストルの形にして海の彼方を指さすと、
 「こっちに月、あるのかなあ?」
 と言って首を傾げる。
 「さあ?どうかな」
 猫は腕を伸ばして天を指した後で、片目をつぶって人差し指で水平線を指す。
 「ねえ、猫。寒いって、零下?」
 「当り前だろ。真空だよ?」
 「そっかあ。じゃあ、キツイね」
 薔薇が神妙な表情でそう言った。水平線の向こうの場所と言えば、この三人にとっては海を接する外国では無く宇宙のことだった。
 「あ!ヤバい」
 突然、果実がぶるっと身震いする。
 「来た・・・」
 「もしかして、アレ?」
 と、薔薇が果実の顔をのぞき込む。果実はこくっと頷く。
 「今すごく国家が歌いたい」
 猫が珍しく生真面目な表情を浮かべて果実を見る。
 「了解した。俺もつきあうよ」
 「わたしも」 
 薔薇も重々しく頷く。
 猫はすうっと宙に腕を伸ばし、人差し指を指揮棒としてピンと立てゆらゆらと揺らしはじめる。こうして浜辺の少年少女たちの国歌の大合唱がはじまった。大きな、大きな、大きな声で。

       
『どこでもランド・国歌』

見やすくするために
時というアイディアが生まれ
展開しやすくするため
死というアイディアが
三次元宇宙のシステムに
採用されたのだ
わたしたちは
世界の果て
という神のジョークと出会うだろう

もうすぐ花が咲くと
砂漠が息をひそめる
好奇心旺盛なら結構
未知に敏感に反応すれば
通り過ぎる一瞬を逃さない

濃度の違う雲が
カフェオレのように混ざり合った
火山の煙は
愛し合うため
二元性というアイディアを取り入れ
キスを発明した
天と地の間から眺めれば
ありとあらゆる誕生というイベントが
どのような魔法陣に守られているか
見てとれるだろう
魔法陣のまわりに配置されている
二組以上の愛し合った者たちの残像
それらはまるで象徴のよう

(輪唱で)
※死とは無限が好む
変身スタイルの一つだから
本質的には
シルクハットから飛び出す鳩くらい
愛らしくて平和

目の前に居る人と
遠くに居る人と
その二人が包まれている世界
それらがすべて同一人物ではないなんて
一体、誰が言えるだろう※

神とは遊びそのものなのだ
魂にとって
神とは変容し続ける迷路
魂というスタイルで
神の中をあっちこっち楽しむ

息を吐いて、吸うように
無数のはじまりと
収斂される帰結と
どんなに死を模倣した凝固した信念さえ
生命の内側
宇宙という子宮の中

死の光に照らされ
彫り出されたものが事象となる
現れ、とはそういうこと
やがて死の炎が消えるとき
わたしたちは
本来のスタイルへと帰る
死という概念の崩壊したわたしへと
(ハミング。歌詞を思い浮かべながら)
※ざっざ、ざっざ、ざっざ、ざ
夢の大行進
テックテック、ホップステップ
ピンと伸びたシナプスの大群
その中心で
目の前に広がる景観だけ
我々は知覚している
ここがどこかは分からない
どこに向かっているかも分からない
ざっざ、ざっざ、ざっざ、ざ
夢たちがピクニック
テックテック、ホップステップ
延々と続くシナプスの角※

(女性パート)
※つまるところ
跳ねまわるような知性の奔放さと
鋭敏な感性と
楽しもうという心持ちが
あると良い
ありとあらゆるものの価値も意味も
わたしがどんな風に遊ぶかによって
決まるのだから※

(両性具有パート)
※時空で現れる世界なんて
不器用に見える?
とろくさくて、
面倒くさくて、
バカバカしいことも沢山あるのは確か
だけど、退屈だなんて思わないで
ライブ会場のようだよ
リハーサルなんて無し
お客はずっと君を囲んで見ている
ありとあらゆるスタイルの知性たちが
この惑星で一番上手くやっていたのは
アフリカのとある民族の人々だ
そう。まるでここは
ライブ会場のようだよ※

(男性パート)
※その実のなかに
どんな風に叡智が詰まっているか
見えたらいいのにね

その身を育む生命の中に
どれほどの死が重なっているか
知れたらいいのに※

(無性パート)
※ほら、目を覚まして
もういい加減
歪のあるメガネを通して世界を見るのは
止めちゃおう
怖がらなくても良いのに
現実なんてものは
所詮、君から生まれているんだから

ほらほら
お伽噺の中を
大きな人たちが闊歩するよ
小脇に分厚いルールブックを抱え
もう片方の手でコインの数を数えている
情報をビスケットみたいに
パリパリ齧って
なんとなく、納得している
オーケー、これで、オーケー、
なんて具合に
おやおや、ごらんよ
彼らの立派な革靴の影に
秘密基地がある
インディアンの羽を付けた
二人のこどもたちは
もう地図を見つけている
もう神も見つけている
もう宇宙船も作っている

(混声七二部合唱)
※それぞれの遊びがある
んでもって
みなが同じ盤をつかってプレイしている
それはまあ
なんとなく感じているでしょう?

空気が入っているから形となる
その形がそれを形作る本質と
異なっているように見えても
問題じゃナーイ
空気が入っている間は
その形の意味を成す
どんなに儚くとも
どんなに儚くとも※

何かが終息に近づくと
新たな何かの起点が
種のようにぱらっと散らばる
さあ
そして
君がここに、いる
目を閉じた時
知恵や栄光や武器や過ちに見えるものが
君の思考に降り注ぐかもしれない
でもね
目を開けさえすれば
それらが実は
化石であったり
ぼろきれであったりすることに
気づくのさ
最も明瞭なものから目をそらさぬこと
それがまったく理解不能な
未知の形状をしていても

 三人は満足げな表情で歌い終えると、それぞれの目を見つめ合いながら胸のあたりでピースマークを作った。
 そこで不意に突風が吹き抜けた。宇宙からやって来たような冷たい冷たい風が。と、同時に全員が息をのんだ。とうとう薔薇のスカートのチェックが、風に乗って逃げだしたのだ。それはあまりにあっという間で、チェックが海の上を翔けていくのを三人は呆然と眺めるしかなかった。
 「あれはなかなか戻って来ないな」
 思わず猫は客観的な感想を呟く。
 「めっちゃ意気揚々としてるもん」 
 果実は猫の無遠慮な発言に、小さく舌打ちした。猫はベロンと舌を出し、果実に向かってにやっと笑う。実は果実も、笑いを堪えている。
 「あーあ。またやっちゃったあ」
 薔薇がそう呟き肩を落とすので、果実は笑みを誤魔化すために顔を引き締めなければならなかった。バス停でバスを待つ間、薔薇はひっきりなしに茶色のプリーツスカートになってしまった生地をくしゃくしゃと指先で弄っていた。そんなわけでスカートは、チェックが居なくなった上に皺までできる羽目になった。
 さて、因みに逃亡したチェックがどうなったかといえば、十二日後の夕暮れ、果実がベランダに仕掛けた罠にひっかかって捕獲されたのだった。その夜、例のごとく果実はベッドの上に見たことの無いメロディーがのっかっているのを見つけた。チェックがどこかから連れてきたのだと、彼女は直ぐに気が付く。それはとても愛らしいメロディーで、まだ生後百日目くらい、という感じだった。
 夜の九時、パジャマに着替えた果実が布団を持ちあげると、メロディーが滑るようにベッドの中央へと移動した。もちろん、しばらくすれば大人しくなるだろう。とはいえベッドの真ん中で鳴かれると少々邪魔だと思った彼女は、音が発生している空間の目星をつけ、すぐそばでパンと手をたたいてメロディーを違う位相へ散らした。部屋の中はぴたと静かになり、闇は少しだけ膨張し濃度を薄くする。
 翠がかった夜明かりが、大きな四角い窓いっぱいに注いでいた。果実は、月の皮と実のようにぴたりとシーツと掛け布団の中に収まると、気持ちよさそうな表情で瞼を閉じて眠りに落ちた。
 「では、また会う日まで!」
 まるでそんなすてきな別れみたいな、ウキウキした笑みを唇に浮かべて。 

       

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?