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短文

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#ドラムス少女

何処の坂

何処の坂 (十二ポ活字で印刷された谷中の記録は路地を二三割間延びさせた。入り組みがゆるやかになり心持ち行間を拡げた) 肉筆の小石川はどうか。巣鴨から古書店を探すうちに白山通りから逸れて坂を下ったりのぼったり……その間、多くの「をみな」の学生とすれ違う。彼女たちの大半はからだに昏いみずうみを持たず、指先から乾いてゆくように見えた。通りのあらゆるところからバスに乗れたが、もっと細く、もっと細くと狭くしっくりするほうへ、路地の奥へと分け入ったのだ。 長くも短くも坂は坂、平坦な

幼命

幼命 幼くして命を失う子供の不運と、ただ単に不運と仕切ってのけておくには余りに重く、とはいえ不可避の事象として、日々どこかで幼命が失われ、取り戻されることもかなわずに、出来ると言えばかつてあった幼い命を静かに偲ぶことだけなのだが、とても長い時間を過ぎ、やがて記憶は延べられて、薄く透ける布のような思いとなって、そのときに初めて記憶は、ふわり、と柔らかく折り畳まれて、なにもない広い部屋に改めて秩序を持たずに留め置かれ、そこに足を踏み入れたときに、それらの薄い布のまとまりがかつて

ひくひくふるえる

ひくひくふるえる …このはなはひくひくふるえるめのおくのはからんだのはなのおかたぐりあうものたちのこのはなはひくくふるえるそら…とおくに麦が揺れかぜに樹の葉がほつれ絡まりよせかえすあさのはまのようなしずかなおとだよ…なぜここにとどまっているとこんなにもたゆむのだろうしぼられていくようねじれていくようねじれからまり編まれてゆく細ひごのように身をよじりどうして際まで近寄れないのか…そのはなはすいたらしいあめの匂いふりはじめのあめの丘りょうすべてがいちどきにどのほうこうからもみら

疎遠

疎遠 内階段を降りると暖簾代わりのカーテンを分けて、私と友人は古書店にいた。電気がついていないため暗く、奥にある窓からの薄明かりで背表紙を見て回る。友人はおそらく本に興味が無く、それでもつきあってくれてポスターなどをぺらぺらしていた。一応店主に声を掛けると代替わりの途中でこんなだけど、と言い訳していた。眼鏡をかけた面長の女性でタオルを頭に巻いていた。私が一冊の本を見せ、ここの数字が値段ですか、と尋ねると、それはそうなんだけど、でも、この値段は高すぎるわね、とそのまま私に返し

団地

団地 雨の朝方、団地へ行った。団地へ行ったそれほど古くない自分で運転した白い車で。団地には来客用の駐車場があった。訪ねてくる人もそれなりにいると言うことだ。そこへ頭から車を入れて、エンジンを切った。一拍置いてエンジンが止まり、車の薄い屋根をぱつぱつと雨が鳴らす音が主音となった室内の、シートベルトをはずして、後部座席においた鞄を身を乗り出して取り、ドアをあけるとともに傘をかかげ、手元に位置するボタンを押した。傘が開き、団地のまわりの木立が匂い、黒い地面にゴム底の革靴で降り立っ

舟棲

舟棲 源流から遙か、海をさかのぼること三四里の、小屋舟上にて暮らし。夕から夜にかけ、どばみみずの針要所要所へ、投げ下ろし水面を見れば夜の魚、騒ぎ始めつつ、ランプ、舳先に掲げ、魚々に訴えるは不遇なる我が生活。舟がみにて棲まうこと幾年、揺れるを常とし、飽くと支流へと逃れて。そこ、三日月に似た用水沼の、農に用いる糧なる水の置きどころ。我が舟と我が暮らし、豊穣を汚すがごとく凪ぐ水面に映し、囲まれた葦からの幽かな物音に語らう。なぜここに浮かび暮らすか、なぜ、川面に生を行き来させるか。

似顔絵

似顔絵 このぜんぜん似ていない似顔絵。しかし、鏡で顔と並べると嫌になるほど似ている。私が描く似顔絵は、鏡で見てはじめて似て見える書き方をしている。いやいやいや、そうではない。鏡の方がゆがんでいて、それにあわせた計算をして描いている。というのも少しニュアンスが違う。わずかなゆがみが絵筆とシンクロしているような、むしろ画用紙の方がうねるのか。光の当たり方と角度、天候。力の入れ方と質感の測り方。その再現性と回数。気温湿度。音量。似顔とはなに。ふと考える。似顔文など成り立つのかどう

バスラーメン

バスラーメン バスでラーメンを食べている。電鉄発行のタウン誌に載っていた沼のほとりのバスラーメンで。営業終了までは一時間程度あった。ここのラーメンはいろいろと玉子を選べる。ふつうのゆで玉子、半熟ゆで玉子、固ゆで煮玉子、半熟煮玉子、温泉玉子、生玉子。それが売りのようだった。しかし、麺の堅さや背脂などは選べない。昔ながらの鶏ガラのとんがったスープに、辛い葱、メンマ、薄いチャーシュー、なるとにほうれん草。そして選んだ玉子は必ず。玉子はそれぞれ底の深いタッパーに分類されている。閉店

教育 ほか1篇

教育 台風の夜、友人の家に勉強しに行った。大して成績も変わらない、ものすごく仲が良かったわけでもない友人の家は土手を見上げるところにあった。停電で蝋燭の下、勉強など出来ようはずもなく、軋む木造家屋の中でうちのカレーは辛いよと言われつつ今思い返すとそれほどでもない辛さのカレーをごちそうになった。教育の一環として辛くしているとおばさんは話してくれたが今に至るまで意味が分からない。食後、急速に風が衰え、私たちは土手の上に立った。夜に川は水嵩を増して、土手道に三メートルほどのところ

1セグメント部分受信サービス

1セグメント部分受信サービス 冷血というのは、血の温度が、周囲の温度と同じになるときの、冷たいところでの血の状態。通常、生者にはあり得ない。血が冷たいと言うことは体も冷たいと言うことで、今こうして、電話を切った後でも、別につめたい血が流れているわけではないのだが、つくづく、自分は冷血だと思う電話を切った後で、その電話のたちきりかたが、人から見ても余りに非道だと陰口をたたかれ、バッテリーの熱のせいで電話自体は暖まり、私はマフラーにくるんだ首の、隙間にそれを差し込むのだった。あ

海市川駅

海市川駅 海千葉県の海市川駅である(海芝浦ではない)。(海芝浦ではない)上りと下りで駅がふたつに分かれていて、上り線のホームは波打ち際にある島だった(海芝ではない)。ホームに至る駅ビルは信頼金庫と言うような屋号で投資商品を売る機関であり、自販機で投資信託などを券売している。そこからコンクリートの螺旋階段を上るとテラスに出て、そこはスポーツクラブなのだが、壁面が水槽になっていて、そのプールで行うアクアエアロビクスというレッスンが当該クラブの売り物なのだ。当然外から水族館の魚で